第4話 私と「日常」
「皆様おはようございます! 今日も一日、健やかに日常を過ごしましょう!」
町内放送の声で、今日も目が覚めた。週末くらいゆっくり眠っていたいのに……。
でも、この放送のおかげで休みの日も睡眠リズムが崩れないのだから、文句ばかりも言っていられないか。
眠い目を擦りながら、朝食を取って、歯磨きやら、洗顔やら、着替えやらを済ませる。
化粧は……軽くでいいか。会いにいくのは、アイツのところなんだし。
それに、フルメイクなんてした日には――
やあ親愛なる友人よ今日はなんで素敵なんだ!
――うん、絶対に大げさな身振りで、こんな感じのセリフを吐くだろうな、アイツなら。
「……で……の子……が……ってく……かった……」
不意に、隣の部屋からブツブツという声が聞こえた。
古い家だからか、どうも防音が甘くてうっとうしい。まあ、でも、住める場所があるだけありがたいか。
ため息を吐きつつ、簡単な化粧を済ませ、隣の部屋の扉をノックした。
「お母さん、友達のところに行ってくるけど、ついでに何か買ってくる?」
「なん……あの……方がのこ……くれな……たの」
返事の代わりに返ってくるのは、ブツブツという声だけ。まあ、こうなるのは分かっていたけどね。一応聞いておかないと、十回に一回くらいは返事が返ってくるから。
扉に背を向けると、嗚咽なのか引き攣り笑いなのか分からない音が耳に入った。
「なんで、あんな子が残ってしまったの?」
……別に、聞き慣れた言葉だし、気にしても仕方ない。こうやって、部屋に引きこもってぶつくさ言うのが母の「日常」なら、放っておくしかないのだから。
重い気分で家を出て、屋根ごとにアドバルーンが浮かぶ住宅街を進む。
「皆様おはようございます! 皆様おはようございます! 皆様おはようございます! 皆様おはようございます! 皆様おはようございます! 皆様おはようございます! 」
町内放送がひび割れた声で、アドバルーンに書かれたものと同じ言葉を繰り返す。数年前の「あの日」以降、これがこの町の「日常」だ。ひょっとしたら、全国とか全世界的にこんな感じなのかもしれないけれど、詳しいことは分からないし、そんなに興味もない。アドバルーンと町内放送以外に、私にとって変わったことはないのだから。
町内放送がうるさい住宅街を抜け、駅近くの商店街で今日もまたアイツへの手土産を探す。たまには、お菓子じゃなくて、主食になりそうなパンにでもしようかな。いつも、なんだかんだで夕食を作ってもらってるから。
よし! そうしよう!
美味しいと評判のパン屋に入ると、イートインスペースで年配の女性たちが話し込んでいた。
「お宅の息子さん、今年は帰ってくるといいわね」
「ええ……、まったく、なんであの子じゃなくて、嫁の方が残っちゃったのかしら……」
「そうよね……でも、多いみたいよ、残ってほしくない方が残っちゃったなんて話は。うちだってそうだもの」
「本当に、やりきれないわよね……」
……ああ、そうだ。
胸くそ悪い話を聞く機会が増えたってことは、私にとっての変わったことだった。
あとは、手土産になるようなお菓子やパンの値段が、五割増しから二倍くらいになったのも、変わったことか。
本当なら、値段を上げなくても充分にやっていけるはずだ。でも、「あの日」以降、何が起こるか分からないという不安からなのか、いろんな物の値段が少しずつ上がっていった。
まあ、それでも、日用品や食料や各種公共料金の値段は変わっていないから、働いていれば貧窮することはないんだけどね。それに、多少値段が上がったとしても、手土産を用意しないわけにはいかない。
だって――
真由美……無事だったんだ……。良かった……本当に、良かった……。
――私が無事だったことを喜んでくれたのは、アイツだけなんだから。
アイツだって、それどころじゃなかったはずなのに……。
「すみません、そこ、ちょっと、いいですか?」
不意に、背後から男性の声が聞こえた。振り返ると、年配の男性が申し訳なさそうに首を傾げていた。
「あ、すみません。どうぞ」
「どうも、すみません」
……そんなに広くない店内で感傷に浸るのはやめて、さっさと手土産のパンを選んでしまおう。他のお客さんの迷惑になるから。
えーと、ベーコンエピ、でいいかな。アイツ、フランスパン系が好きだし。
さて、今日の飲み物が特級品の何になるか、今から楽しみだ。
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