第11話 「あの日」
その日は、よく晴れた寒い日だった。
いつも通り起きて、いつも通り朝ご飯を食べて、いつも通り身支度をしていた。
「まったく、美由紀ちゃんはちゃんと東京の大きな会社に入って、一人で暮らしてるっていうのに、真由美は」
「もー、その話はいいでしょ。ちゃんと働いてるんだし、生活費だって私が出してるんだから」
そして、いつも通り姉と私を比べる母の小言を聞いて、いつも通り言い返していた。
それから、いつも通り職場に行って、いつも通り午前中の仕事をして、いつも通り昼休みになった。
そんな中、スマートフォンにゆかりからのメッセージが届いていた。
「真由美、今週末ってひま?」
「うん、ひまだよ」
「なら、家でお茶でもしない?」
「うん! いいね!」
「ありがとう! じゃあ、楽しみに待ってるよ!」
そんなやり取りをしているうちに、いつも通り昼休みが終わった。
それから、いつも通り午後の業務が始まる――
「ねえ、古川さん、さっきのニュース見た?」
「え? ニュース、ですか?」
――はずだった。
先輩から声をかけられて確認すると、スマートフォンのニュースアプリに通知がきていた。
「えーと、『世界の皆様へ』……、なんです? この記事」
「いいから、ちょっと開いてみてよ」
「はあ」
見出しをタップすると、本文はなく動画だけが添付された記事が表示された。
首を捻りながら動画をタップすると、さー、っというノイズのあと、画面に光る人影が表示された。
「世界の皆さん、こんにちは。私たちは@#$”☆&%¥※です」
名前らしき部分は聞き取れなかった。
「突然ですが、今私たちの間では、『異常な状況下で日常を送る人々』を見るのが、とても流行しています」
突然なんの話をしだしたのかも分からなかった。
「なので、世界の皆さんにも、その楽しみをお裾分けしてあげようと思いました!」
ただ、光る人影の声は、すごく弾んでいた。
「だから、大都市を封鎖したり、ときどき空の色を変えたり、いろんなことをしようと思います」
光る人影は、弾んだ声のまま話を続けた。
「まずは、こんな感じで各地の首都や大都市を封鎖しました」
その言葉と共に、一部が白い光に包まれた空撮映像が表示された。
「どうです!? この異常感、ワクワクしませんか!?」
富士山の位置で、光に包まれている部分が東京のあたりだと分かった。
「あ、中の方々は無事なので、安心してくださいね!」
それから、横浜や浦安あたりの東京湾岸の都市も、光に包まれていた。
「ただ、中の方々は外に出られませんし、彼らと直接の連絡も禁止します。その方が異常事態っぽいでしょ?」
光る人影は、そう言いながら首を傾げた。
「でも安心してください! 皆さんが健気に健やかに日常を過ごしていれば、少しずつ返していきますから!」
今度は、そう言いながら胸のあたりで手を握りしめた。
「もちろん! 皆さんが日常を送っていけるよう、私たちは全力でサポートします!」
そして、最後に光る人影は、両手を広げて立ち上がった。
「なんと言っても、私たちはハッピーエンドが好きですから! さあ、皆さんハッピーエンドに向かって、お互いの様子を観察して楽しみながら、日常を過ごしてください!」
そう言い終わると、動画は終了した。
「先輩、これ映画かなんかの宣伝ですか?」
「うーん、そうだと思うけど……、記事のカテゴリが芸能とかエンタメじゃないし……」
先輩はそう言いながら、自分のスマートフォンを取り出して操作した。
「それに、旦那に電話をかけても繋がらないし、メッセージも送信失敗になるし……」
「ふーん、電波状態でも悪いんですよ、きっと」
「そう、なのかなぁ……」
先輩があまりにも心配そうな顔をしていたから、気になって東京にいるはずの姉にメッセージを送った。
その結果、先輩と同じように「送信失敗」という文字が、スマートフォンの
画面に表示された。
それでも、電波の状態が悪いだけだと思って、スマートフォンを鞄にしまい普通に定時まで仕事をした。
だけど、職場を出るとそんな考えは楽観的すぎたと気づかされた。
日が沈んでいるのに、東側の空が明るく光り輝いていた。
それに、道行く人々がみんな緊迫した表情で、スマートフォンを操作して耳に当て手を繰り返していた。
慌てて家に帰ると、母が暗い部屋でテレビをつけたまま、携帯電話を握りしめていた。
テレビでは、光る人影の動画が繰り返し流れていた。
「繋がって、繋がって、繋がって……」
母は逼迫した声でそう繰り返しては、携帯電話を操作して耳に当てていた。
「お母さん……」
声をかけると、母は力なくこちらに顔を向けた。
「ああ、真由美は帰ってきたのね……、でも、美由紀ちゃんには連絡が繋がらないの、全然、全然、全然……」
「お母さん、落ち着いて……」
「落ち着けるわけないでしょ!? 美由紀ちゃんと連絡が全然繋がらないのに! なんで真由美は無事に帰って来るのよ!」
「お母さん……」
それから母は、姉が昔からどんなに良い子だったかや、いい大学を出て大きな会社に就職できてどんなに誇らしかったか、私が反抗期のときにどんなに苦労したかや、大学まで出たのに大きな会社に勤められずにどんなに落胆したか、そんなことを金切り声でまくし立てた。
そして――
「なんで、帰ってきたのがアンタだったのよ!? アンタなんていらないのに! あの子を返してよ!」
――最後に、私の胸ぐらを掴んでそう叫ぶと、膝から崩れ落ちて泣きだした。
それからのことは詳しく覚えていないけれど、気がついたら自分の部屋で朝を迎えていた。
始業時間はとっくに過ぎていたのに、支度をして出かける気なんて起きなかった。
いっそのこと二度寝をしようと思った瞬間、床に投げ捨てた鞄から聞こえる振動音に気がついた。
鞄を開けて中を見ると、スマートフォンが震えていた。
画面に表示された番号を確認することもなく、通話に出た。
「はい、古川です……」
「もしもし、真由美……?」
聞こえてきたのは、ゆかりの声だった。
「あー、うん、そうだけど……」
「真由美……無事だったんだ……。良かった……本当に、良かった……」
スピーカーから聞こえたのは、前日と正反対の言葉だった。
「ちょ、ちょっと、何急に泣きだしてるの?」
「だって……、真由美も全然電話に出てくれなかったから……」
「あー、ごめん……、昨日はちょっと疲れて寝てたから……」
「そう、だったんだ……」
「そうそう。だから心配しなくても、大丈夫だよ」
「う、ん……」
そんな会話を交わしてから、ゆかりのところは、旦那さんと連絡がつかなくなったという話を聞いた。
「真由美……どうしよう……」
「ごめん、私にもどうすればいいかは分からない……」
「あ、うん、そうだよね……」
「とりあえず、今日は仕事サボるから、そっちに行くわ」
「ありがとう……、一人だと怖くて仕方なかったから、助かるよ……」
そして、ゆかりの家へ行き、泣きじゃくるアイツを宥めた。
「真由美、無事でいてくれて本当にありがとう」
落ち着いたゆかりは、そんな言葉を恥ずかしげもなく口にした。
「……そんな大げさなこと、言わないでよ。こっちが恥ずかしくなるでしょ」
口ではそう言ったけれど、ゆかりの言葉が嬉しかった。
その後、光る人影に「顔の見えない人たち」という名称がついたり、封鎖されてしまった都市に「光の内側」という名称がついたり、どこかから標語の書かれたアドバルーンが配られたり、町内放送がうるさくなったりしながら、日々が過ぎていった。
そんな日々の中で、光の中にいる人たちもSNSなどの不特定多数向けの情報は受け取れるらしい、ということも分かった。
「真由美、いつまでも泣いてばかりじゃなくて、私もあの人にも届くよう何かを発信していこうと思うんだ」
「うん、それは良いと思うよ。それで、何を発信するの?」
「小説にしようかな、と」
「小説……ああ、そうか。ゆかり高校大学と、文芸部に入ってたもんね」
「うん。そのへんのことはあの人にも話してあるし、それに、あの人結構ライトノベルとか、Web小説が好きみたいだから」
「いいんじゃないかな。それで、旦那さんに見つけてもらうためとなると、本名で発信するの?」
「それが一番見つけてもらえそうなんだけど……、本名出してトラブルでも起きたら、あの人が帰ってきたときに申し訳ないよね……」
「それもそっか……」
「うん。だから、ペンネームでやっていくことにしたんだ」
「うん、その方が良いかもね。それで、どんなペンネームにするの?」
尋ねると、ゆかりはなぜか勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「ああ! 『華麗なる萬★ジョン次郎先生』でいこうと思う!」
「なにそのふざけた名前」
脱力する私に向かって、ゆかりは苦笑を浮かべた。
「いや、ほら、このくらい突拍子もない名前なら、目につきやすいかなぁ、と思って……」
「まあ……、たしかに、気になる名前ではあるよね……」
「ふっふっふ、そうだろう? それで、気になったあの人がプロフィールを見て、そこに掲載されてあるSNSに辿り着いて、SNSの中身を見てくれれば、何となく私っぽい人がそこそこ元気にしている様子が分かると」
「若干というか、かなり回りくどい気がする」
「まあ、私もそうは思うんだけど……SNSでもブログでも何でも、『光の内側』にいる特定の誰かに向けた記事は、書き込もうとするとエラーになるみたいだからね……」
「そっか……それだと、回りくどい方法にしないといけないか……」
「うん。ただ、本当にかなり遠回りだけどね……。だから、とりあえずは、私が元気でいることを伝えられれば御の字、くらいの気持ちでいこうかと」
「うん。当面は、そのくらいの気持ちでいた方が良いかもね」
「そうだよね。あと、もう一つ大きな課題は、大手小説投稿サイトだとユーザー数が二百万人弱だから、いくら突拍子のない名前を使っても、埋もれてしまう可能性が高いってところかな……」
そう言うゆかりの表情は、すごく不安げだった。
「……それなら、その二百万人の中で頂点を取って、『華麗なる萬★ジョン次郎先生』の名を全国に轟かせてやりなさい!」
「……うん! そうだね!」
ゆかりはそう返事をすると、目をきつく閉じて頬を軽く叩いた。
「よーし! あの人が見つけられるくらいに有名な『華麗なる萬★ジョン次郎先生』に、私はなる!」
「ドーン!!」
「あははは、効果音ありがとう」
「ははははは、いえいえ」
そんな感じで、「華麗なる萬★ジョン次郎先生」と私の日々が始まった。
それから、鳴かず飛ばずの「華麗なる萬★ジョン次郎先生」を週一回のペースで家を訪ねて見守りながら、日常を過ごしていった。
そんな中で、「顔の見えない人たち」が言ったように、毎年「あの日」と同じ日に、光の中に閉じ込められた人が帰って来ることもあると分かった。
ゆかりの旦那さんは、まだ帰ってきていない。
でも、そんな日も、すぐに終わるはず。
だって、今日は、「あの日」なんだから。
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