腐女子転生 ~異世界で美少年になりました~

木兎ゆう

第1話 腐女子、美少年に転生する

 こんにちは、腐女子です。異世界転生して美少年になりました。

 そう、自分で言うのもナンだが、かなりの美少年だ。銀の髪に青い瞳で、お肌も白くてつるつるだ。

 ……と言いながら、実はもうすぐ十一歳になる今もまだちょっと半信半疑ではある。何故なら神様らしきものにも会ってないし、チート能力も授かっていない。ちなみに死因は病死だ。

 定期健診のついでに無料のガン検診を受けたら精密検査が必要と言われ、最終的に余命数ヶ月の宣告通り、アラサーで没年を迎えたようだ。延命治療はせず、できるだけ痛みを抑えるのを重視していたこともあり、死んだ瞬間についてはよく覚えていない。

 むしろ生まれてきたときの苦しみというか、痛みというか、あの衝撃は忘れようもないほどの出来事だった。緩和ケアをしていても、辛かったり苦しかったりすることは多々あるので、最初はあまりの痛みにこれから死ぬのかと思ったくらいだ。

 記憶を辿って転生の経緯を簡単に説明すると、病院のベッドに寝ていたのに、気が付いたら餅つき機で散々に捏ねくり回されていて、ぞうきんを絞るようにぎゅうぎゅうと容赦なく体中を圧迫され、歯磨きチューブから無理やり最後の最後まで絞り出されていた、みたいな感じだろうか。取り敢えず、アラサーの意識を持ったまま産道を通るのはなかなか過酷な経験だとだけ言っておこう。

 一応無事に生まれてからも、何が何だか状況が全くわからないし、完全にパニックが収まるまでに相当時間がかかった。目は見えないし、体は自由に動かせないし、聞こえてくる言葉はわからないし。

 知らないうちに一度死んで、生まれ変わったのかも、と気が付くのにこちらの暦で二週はかかったはずだ。赤ん坊の体だから、そのほとんどの時間を眠りに費やしていたというのもある。おまけに、晩年の闘病生活で少しは慣れていたとはいえ、他人に下の世話をしてもらわねばならないという屈辱にも耐えなければならなかった。その他もろもろ言いたいことはたくさんあるが、取り敢えずアラサーの意識を持ったまま赤ん坊の生活をするのはなかなか過酷な経験だとだけ言っておこう。

 そんなこんなで大変なことはいろいろあったのだが、一番問題だったのは五歳年上の兄がいたことだ。恐らく本来ならば、赤ん坊から見た五歳児はかなりお兄さんに感じられたはずだ。実際、私も小学一年生のときは、六年生のことをものすご~くお兄さんお姉さんだと思っていた記憶がある。

 が、アラサーのメンタルを持つ私から見たら五歳児は五歳児でしかないし、まして自分の体は非力な赤ん坊だ。五歳児の傍若無人な振舞いに抗う術を持たないという、かなり恐ろしい状況である。それ故、転生の事実を認め、周囲の環境を僅かながら把握した私は、真っ先に彼を天敵として認定した。そもそも私は生前一人っ子だったし、結婚もしてなければ子供も産んでいない。はっきり言って、子供はあまり得意ではないのだ。

 そこで私が目をつけたのは十三歳年上の姉である。年齢的には中学一年生の女の子だが、彼女はすでに五歳児の弟を育て上げた実績のある、育児経験豊富な素晴らしい姉だ。どうやら母は村にいる唯一の医者で忙しいらしく、私は天敵の兄とともに姉に育ててもらうことになった。

 ちなみに父は優秀なガラス職人で、いわゆる昔気質の非常に寡黙な人間だ。いつも工房にこもっていて、一番上の兄とガラスの精製に励んでいる。この十五歳年上の兄は見た目も中身も父と本当によく似ていて、とにかく寡黙で職人気質だ。二人とも朝早くから仕事に出かけ、昼食と夕飯のときしか姿を見せない。故に、十年近く家族として同じ屋根の下で暮らしているのに、私はほとんど喋ったことがない。

 だが、恐らく夫婦関係は良好なのだろう。私がようやく三歳になったころ、さらに妹が増えた。


                *


 私の転生先が異世界であることに薄々気づき始めたのは、生まれて半年ほど経ったころだろうか。赤ん坊の体はとにかく睡眠に時間を取られるうえに、何より言葉がわからない。だから最初は地球上の外国で、どこか辺境の村のようだと見当をつけていた。

 ここが異世界である可能性に気づいたきっかけは暦だ。ここの暦は五つの日と五つの週で一ヶ月となり、一年は十五ヶ月、季節も五つに分かれている。そして時間も方角も暦も全て、この世界は基本的に五つのことに分類される。すなわち、風、光、闇、水、炎だ。

 この如何にもテンプレな異世界ファンタジー設定を知ったとき、私はオタクの一人として心の中で狂喜乱舞すると同時に、一抹の不安も覚えた。実は腐女子の体はまだ病院で昏睡状態にあり、異世界に転生したというのはただの妄想かもしれない……という不安だ。

 しかし妄想にしてはやたらリアルだし、単純な私の頭の中で作られたにしては、設定がいろいろと細かすぎる。そもそも、妄想なら言葉くらい最初からわかるようにしてほしい! 結局、私の言語能力では一年経ってもざっくりとした言葉を把握するのが限界だった。

 大体、ここは教材が少なすぎるんだよ! 子供用の絵本なんかないし、医者である母の医学書は難易度が高すぎて普通に無理だし。が、一歳を過ぎたころから身体能力が上がり、一人でできることが飛躍的に増えてきたので、私は自分でいろいろと調べることにした。

 といってもネットなど当然ないので、できることは限られている。一応、村には小さな学び舎があり、簡単な読み書きと計算くらいは子供に教えていたので、私も天敵である兄と一緒に一足早く授業に参加させてもらうことにしたのだ。傍目には置いてある本を適当にめくったり、貸してもらった石板に白い石で気ままにお絵かきをしているように見えたかもしれないが、妹が生まれるころには私がここで学べることはほとんどなくなっていた。

 取り敢えず、この世界に関してわかったことを簡単に説明するとこうだ。まずは創世の歴史から始まるのだが、この世は無に満ちていた。そこから長い時間を経て風が生まれ、やがて光と闇ができた。光と闇は相反する互いの存在を求めあい、激しく交わった。しかし完全に融合することはできず、光に飛び散った闇の欠片は水となり、闇に飛び散った光の欠片は炎となった。

 その後、この世界を満たす風、光、闇、水、炎に意思が宿り、精霊となってそれぞれの島と人を作り出した。光の民が住まう繋ぎ手の島、闇の民が住まう守り人の島、水の民が住まう夢見人の島、炎の民が住まう癒し手の島だ。宙に浮かぶ四つの浮揚島を結び巡るように、雲のような魂の川が流れている。そしてその魂の川に浮かぶ流浪島が、今では伝説となったいにしえの風の民が住んでいた悟り人の島、あるいは導き手の島だ。

 私はどうやら水の民として生まれ、生家のあるこの村は夢見人の島でも都から遥かに遠い、辺境の地にあるらしい。最初は重力などの法則を全く無視したこの突拍子もない世界観が信じられずにいたのだが、六歳になったころ村で一番高い木の天辺まで登り、この目で成否を確認した。

 地球のように丸くないから、視界を遮るものがなければ視力の限り、例え辺境の地からでもこの世界を一望することができるのだ。確かにこの世界は私の知らない法則で成り立っているようだった。

 私の知らない法則は他にもあった。五つの精霊によって生み出された祝福の民には、それぞれ独自の見た目と能力がある。何と、銀の髪と青い瞳を持つ水の民は、その名の通り水を操ることができるのだ!

 ……いや、まあ、確かにできるよ? 生前の、不思議能力とは無縁の世界の住人からしたら、本当に驚きの能力だよ? でも、神作画のアニメやCG技術の発達したゲームや特撮技術を極めた高画質のファンタジー映画を見慣れていた私にとっては、全体的にかなりがっかりするレベルと言わざるを得ない。

 そりゃあね、念を込めて指で印を結んだり、呪文を詠唱したり、杖を振ったりするだけで、何もない空気中にいきなり竜の形をした大量の水が洪水のように発生するとか、それこそ物理法則を無視していて普通におかしい。けど、こんな巨大な島が宙に浮いているんなら、もうちょっと夢のある能力にしてくれてもいいんじゃないか?

 水の民の能力、それは空気中の水分を集めて水鏡にし、未来を占う能力である。そう、未来を見るのではない、ただ占うだけ。実に地味で実用性のない能力だ。水の民の島が、夢見人の島と呼ばれる所以でもある。

 だが私はほどなくして、一般的に広まっている水の民の能力は、カモフラージュではないかと気づき始めた。確かに水鏡を作ると、ぼんやりと何かが映る。覗き込んでいる私自身ではない、何かが。時にそれはどこかの草むらで風に揺れている花のようであり、どこかの家庭の日常風景のようであった。集中すると、水鏡の向こうから微かに声や音が聞こえるときもあった。

 しょぼい能力だと最初は思っていたが、テレビもゲームもネットもなく暇だったし、今までやったことのないことをするのは楽しかったので、遊び感覚でいろいろと試していた。結果、偶然にも村の知り合いが水鏡に映り、微かに聞き取れた言葉の断片から事実を検証し、私は確信した。

 水の民の本当の能力は、水鏡から遠く離れた場所の出来事を読み取ることだ。もしこの能力を使いこなすことができたなら、水の民同士の通信機器ともなり得るのではないだろうか。それこそ電話もないこの世界で長距離間の情報の伝達が速やかにできるとなれば、これはしょぼいどころの能力ではない。水の民が長年隠し通してきただけの価値はある、すごい能力ではないか!

 それどころか、夢見の都にある水の宮殿には医療を学ぶための特別な館があるということを思い出し、私は軽く戦慄した。村の学び舎で知ったことだが、四つの島にはそれぞれ都があり、各々の精霊を祀る宮殿がある。そこには精霊を奉る巫子がおり、全ての民に解放された学びの館が併設されているらしい。

 陽気で芸術を愛する光の民が運営しているのは、楽器の奏者や歌い手、語り部や踊り子などの育成に特化した伝導の館。身体能力に優れている闇の民は、その名の通り剣士の館で戦闘術を教えている。熱帯の土地に住む炎の民は生産から料理、薬の精製まで幅広く扱う、植物の館。そして水の民が門徒を開いているのが、医療の館だ。ちなみに今生の我が母もそこで医療を学んだエリートの一人である。

 他の民が開いている館は、それぞれの特性を生かした趣旨のものだからすぐに納得できた。けれど、水の民が医療に特化している理由が、今まではよくわからなかった。しかし、水の民は水を操ることができる。そして生き物の体は多くの水でできている。うろ覚えではあるが、人間の体は半分以上水分だ……という情報を生前テレビで見た気がする。この世界でもそこは大差ないだろう。

 つまり、精密なコントロールが可能であれば、恐らく医療にも応用できる能力ということだ。そうなると、通信機という使い方すら初歩的なものになるはずだ。体内の水分から生体情報を感知することが可能なら、究極、心すら読めてしまうかもしれない。血流を速め、心拍数を上げて人為的に疾患状態を引き起こしたり、緊張感を高めて精神的に追い込んだりすることすらできるのでは……?

 もし、理論的に可能だとしても、そんなことが実際にできるのは恐らくごく一部の者だけだろう。才能と努力とセンスを兼ね備えていなければ、到達できない領域だ。実際にどのあたりまで可能な人間がいるのかわからないが、一概にしょぼいと断定できない能力であることは確かだ。

 そうなると、他の民の能力にも一般に広まっている以上の何かがあるかもしれない。いろいろと興味は尽きないが、如何せん、この村は辺境の地にある。村の人間は皆知り合いだし、たまに外からやって来る者も、生活用品を売りに来る行商人や、この村で生産しているガラス製品の買い付けに来る商人だけで、水の民しか見たことがない。さすがに少し退屈してきた。

 村での生活が楽しくないわけではない。平和だし、女の子にもモテるし。そう、自分で言うのもナンだが、私はモテる。殊の外、幼女にモテモテだ。生前では考えつかないほどのモテ期に突入しているが、実はそれほど嬉しくない。何故なら私のメンタルは腐女子のままだからだ。

 せっかく自他ともに認める美少年に生まれ変わったのだから、今こそ理想の純愛BLを自ら経験する好機ではないか! と思ったが、そもそもこの腐女子の記憶がある時点で、純然たるBLにはなれないということに気づいてしまった。地雷というほどではないが、女体化などのやや邪道なジャンルの位置付けに近い感覚だ。

 肉体は完璧に男なのに、精神が腐女子のせいで、せっかく同年代の少年とお近づきになっても自分の立ち位置を測りかねるというか、何やら微妙な気持ちになってしまう。第一、リアルのショタはあまりにも子供すぎて、全く何の感情も湧いてこない。というか、むしろ苦手だ。

 さらには幼女にモテるのと同様の理由で、反対にショタからは敬遠される傾向にあることに気づいてしまった。要するに見た目年齢と言動が一致していないので、違和感があるのだろう。大人や幼女などからは大人びている、と好意的に受け取られているが、同年代の少年からは気取っているとか変な奴とか思われているようだ。

 しかし、玩具やお菓子を本気で取り合ったり、好きな子をからかって泣かせたりと、一度成人した身ではなかなかできることではない。まあ、成人しても幼少期と変わらない振舞いをする奴もいるが、そんな奴にはなりたくないし、ならなくてよかった。

 そんなわけで、私はもっぱら一人で行動するようになった。村外れの森の中を探検しながら、水を操る能力をいろいろと試すのが主な日課だ。自分で立てた仮説に基づき、実験と検証を重ねるのはなかなか楽しい時間だった。

 まあ、本当はあまり森の中をうろつくと大人たちがいい顔をしないのは知っていた。何故なら私が一歳になったころ、詳細は不明だが、この森に何やら不穏なものが落ちてきたらしい。大きな地震があり、みんなが騒いでいたことは私も覚えている。そしてそれ以来、森にたくさんあったはずの泉や湖が次々に枯れていくという異変が起きているからだ。

 しかもここは水の精霊に祝福されてできたとされる、水の民の島だ。場所によっては湿地帯も多く存在し、霧や靄の発生率も高い湿潤の気候が常だったらしい。それが十年ほど経った今では森の空気はほどよく乾燥し、沼などもほとんど見なくなった。

 私としては今のほうが安全で快適に感じられるが、このまま乾燥が進むと森が消えると恐れられているらしい。どこの世界でも環境破壊は問題だ。都からも巫子見習いや伝承に詳しい語り部、地質の研究をしている者など、様々な人が来てこの問題を解決しようとしたらしいが、いまだに原因すら不明だという。

 ちなみにこの辺りは、混じり者である竪琴の奏者が霧を払い、魂の誘い人から封印の星屑を守ったという伝説も残っているいわくつきの場所だ。混じり者とはいわゆる混血のことで、この世界ではなかなか珍しい存在らしい。魂の誘い人は幽鬼のようなもので、うっかり出会うと魂を取られて死んでしまう。そして封印の星屑とは、この世界の中心で常に降っている星の雨の欠片のことだ。詳細はわからないが、一応、重要なアイテムであるらしい。

 この世界は創世の歴史からして神話の伝承で、とにかくこういった詳細不明で曖昧な物語が多い。面白いことは面白いが、私は今のところどこまで信じていいのか半信半疑だ。けれど村の者は割とそのまま信じている者も多く、今度は高名な竪琴の奏者を呼ぼうという話も出ているようだ。

 私としては、環境破壊の解決に呼ばれてしまった竪琴の奏者の気苦労を思うと、その何とも言えないシュールさに苦笑いが浮かんでしまうが、この世界ではそれが正解の可能性もあるから、本当に何とも言えない。取り敢えず現状、私はお子様という特権階級に与えられた束の間の自由を満喫すべく、お気に入りの湖に向かっていた。

 森にある湖が次々に干上がっているという話は確かに事実だ。私も実際にいくつか消えてしまった泉などを知っている。が、この湖だけはいつでもなみなみと水を湛えていて、干上がる兆候は微塵も感じられない。

 ただ、森の木々で覆われているわけでもないのに、湖面の澄んだ煌めきの下がやけに暗く、闇が深いのが少し気になるところだ。湖の水についての感知はできたので、水深や湖底の地形などは大体把握しているし、水質的にも不純物が少なく透明度は高いはずだ。それなのにこの湖は全くといっていいほど中が見えない。

 おまけに水草や藻などの水生植物だけでなく、虫や魚といった生物の存在が一切感じられない。そのくせ、何かが潜んでいるような気配だけは微かにあるのだ。静かだし、実際に危険を感じたことはないが、かなり不気味な場所ではある。

 私は生前も今も全く泳げないので、そんな不気味な湖のそばに一人でいるのは多少不安だ。しかし、ここは村から程よく遠いうえに恐らく誰も来ない場所なので、唯一、心置きなく過ごすことができる絶好のお一人様ポイントなのだ。上質な水が豊富にあるので能力の実験にも事欠かないし、何より好きなだけ声を張り上げて懐かしのアニソンを熱唱できる!

 一時期、毎日のようにカラオケに通い、一人で歌いまくっていたので、転生して十年経った今でも結構覚えている。歌詞が所々あやふやだったり、音程がやや不安なところもあるにはあるが、歌うのはやはり楽しい。記憶を頼りにアカペラで歌うしかない今、伴奏付きで歌詞を表示し、採点までしてくれたカラオケの偉大さに涙を禁じ得ないが、ないものねだりをしても仕方がない。その代わり、今の私にしかできない遊びを発見し、その完成度を上げるべく日夜工夫を凝らしていた。

 その遊びとはすなわち、私の私による私のためだけのワンマンライブにおける、特殊効果の発動である。花火や炎などは無理だが、屋外の昼間という環境ではとっておきの演出だ。そしてその演出に相応しい歌はアレしかない!

 私は晴れ渡る天を仰ぎ、竜の息吹がある位置を確認した。あ、竜の息吹とは生前の世界での、いわゆる太陽のようなものだ。この世界では浮遊島の遥か底に竜がおり、火炎の球を噴き上げていると考えられているので、そう呼ぶのだ。

 竜の息吹の高さから、特殊効果の発動に必要な角度をざっと割り出した私は、風の様子を確認しつつ、満を持して歌い始めた。そう、日本が誇る国民的人気アニメTIKUWAの第一期OP『虹の約束』だ!!!

 まずはAメロでしっとりと導入し、Bメロで華やかに変化、サビで一気に爽快に歌い上げると同時に、湖の水面上で大量に発生させていた霧状の微小な水滴を風に乗せ、できる限り広範囲に拡散する。瞬間、私が想像していた以上の虹の橋が天に架かった。

 これは……自分で言うのもナンだが、かなりすごいのでは? 方角的に魂の川を越え、隣の繋ぎ手の島まで到達しているかもしれない。思わず見とれながらも熱唱を続けていた私は、不意に足元に違和感を覚えて視線を落とした。何か……闇が、濃い?

 その時、森の中から誰かが走り出ると、闇に囚われ立ち竦んでいた私を抱きかかえ、近くの木の根元の陰に滑り込んだ。と同時に、湖の底から実体のない黒い影の塊のようなものが浮かび上がる。それは巨大な鳥のような形に集束すると、片翼のみを大きく羽ばたき、虹の橋の上を駆けるように天へと舞い上がった。

 恐らく私が、この世界の伝説は本物だと初めて心底実感した瞬間だ。この世界は本当に、リアルでファンタジーな世界なのだと。

 しばらく呆然としたまま、虹と、その彼方へと飛び去った闇のような鳥を見送っていたが、少ししてようやく私は傍らの人物に視線を移した。

 その人は先程の素早い身のこなしの割に、深緑の長いローブをまとったダンディなお爺様だった。彼は私の視線に気づくと、安心させるように優しく微笑んだ。その聡明な風貌は、某有名魔法学校の校長先生を彷彿とさせる包容力に溢れている。

 私は失礼と承知しつつも、思わず彼をまじまじと見つめた。金の長い髪と長いひげ、そしてどこか憂いを帯びた緑の瞳。彼は私がこの世界で初めて見る、光の民だった。


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