第3話 腐女子、天使を発見する
こんにちは。一人称も改めて心機一転、新生・腐女子です。
生家のある村を出て約一ヶ月、俺は夢見人の島にある港から船に乗り、隣の繋ぎ手の島にようやく到着した。一ヶ月のほとんどは、爬虫類と馬の掛け合わせのような生き物、竜馬が引く荷車に乗ってひたすら島を横断する旅だった。当然、道は舗装などされていないので、ものすごく揺れてお尻は痛いし、町や村がないところでは野宿が続く。
それでもちゃんとした地図で見ると、故郷の村は俺が思っていたより辺境の地ではなかった。よく考えれば村の特産であるガラス製品は、夢見人の島における大事な名産品だ。母も都にある医療の館にいたことがあるくらいだし、ある程度は都に近いところに位置していても当然だ。
まあ、それでも都会育ちの腐女子としてはド田舎もいいところだったし、隣の村まで大自然の中を歩いて一日以上かかるという時点で、俺としては十分辺境の地ではあった。それに結局、荷車を引く竜馬の足とはいえ、都まで来るのに一ヶ月近くはかかったわけだし。
都から港町までは竜馬の引く乗り合い客車で三日、それから魂の川を運航する大きな帆船に乗ったのだが、これが何とも不思議な旅だった。魂の川をこんなに近くで見るのは初めてだったが、天に浮かぶ雲がやたら分厚いような代物で、本当にそれが魂の集合体なのかはわかりようもなかった。
この世界において、魂の川やその流れに乗って一日一島移動する流浪島、そして四つの浮揚島の配置は最も大きな基準になっている。例えば暦は数を用いない。週は炎の日から始まり、闇の日、光の日、水の日、風の日で終わる。実際の魂の川の流れに沿って作られているのだ。炎から始まる理由としては、炎の民が住まう癒し手の島が、いわゆる太陽である竜の息吹が上がる方向にある、というのが大きいようだ。
そしてその日は魂の川に乗って一日一島移動する、流浪島の場所をも示している。つまり水の日は流浪島が魂の川の流れとともに、水の民が住まう夢見人の島のすぐ横を移動しているわけだ。それ故、水の日は夢見の港が封鎖され、船の運航は一切ない。流浪島の動きに巻き込まれ、事故が起きるのを防ぐためだ。各島でも己が民の名が冠された日は、同様の措置が取られている。
かつては風の民が住まうとされ、悟り人の島とも導き手の島とも呼ばれていたが、今では上陸も禁忌とする不吉な島、それが流浪島だ。風の日は唯一、流浪島が他の島の近くにないまま一日が終わる。つまり炎と水、癒し手の島と夢見人の島の間には、他の島との距離に比べて約二倍の間隔があいているのだ。いにしえの時代には、流浪島も魂の川の上ではなく、他の浮揚島と同じく、癒し手の島と夢見人の島の間にあったのではないかという説を唱える者もいるようだ。
ちなみに船の運航は魂の川の流れに逆行できないので、夢見人の島から隣の繋ぎ手の島に渡るには世界のほぼ一周分、巡る必要がある。しかし流浪島と同じく、夢見人の島から癒し手の島までは二日かかるものの、その後は一昼夜で隣の島に到着するので、俺たちが夢見の港から船に乗って僅か四日で繋ぎ手の島に到着した。
村から都まで、夢見人の島の中を移動するのに一ヶ月近くかかったことを考えると、魂の川の流れが如何に早いか驚嘆に値する。まあ、馬と飛行機を比べるようなものだろう。
船旅は揺れも少なく快適だったが、時間の感覚がおかしくなることが度々あった。まるで時が止まっているような、あるいは過去に逆行しているような、気を抜いたら現実に戻ってこられなくなるような、優しい悪夢に包まれているような感覚だ。
実際、そのまま戻ってこられない者もたまにいるらしく、船の乗務員は次の島に着くと必ず交代する。魂の川に呼ばれる、という現象らしい。若く健康で気丈な者でも呼ばれることがあるというから、船に乗るのはちょっとした賭けのようなものらしい。
セレストと俺はどうやら賭けに勝ったようで、無事に繋ぎ手の島にある港に降り立った。その後、港町で竜馬の引く乗り合いの客車に乗り、光の宮殿がある繋ぎ手の都に向かった。五日ほどで都に到着し、宮殿に併設されている伝導の館に赴く。繋ぎ手の都は夢見の都に比べ、街並みも随分と煌びやかだった。
何しろ気候からして全く違う。暦の上では闇の季節で暗の月のはずなのに、気温も高く、空気が乾燥している。繋ぎ手の島は砂漠も多い土地柄だというし、そもそも寒冷で光の季節や炎の季節もそれほど暑くならない夢見人の島とは、同じ季節でもかなりいろいろなことが異なるようだ。
俺はセレストに案内され、館にある伝導師の私室に通された。伝導の館は基本的に、二つの大きな塔によって構成されている。伝導師の住まう導きの塔と、その教えを請う見習い候補たちが住まう伝えの塔だ。ここでは日々、ありとあらゆる芸術の指導が行われており、音楽、芝居、絵画などの総合芸術学校として機能している。民の種族、性別、年齢や身分などは関係なく、その適性によって無料で指導が受けられるという、まさに実力至上主義の教室だ。
もちろん、それだけでは内情が立ち行かないので、有料の貴族専用教養コースのような制度もあるらしい。村人Bの俺は当然無料コース一択だが、実力が認められたというよりは、さしずめ訳あり特別コースといったところだろう。事情はともかく、この無料コースの者は最終的に伝導師になれればよし、実力不足で脱落すると、労働によって今までの生活費および授業料を支払うことになっている。
それ故、伝導の館で生活に関わる一切を取り仕切っているのは、かつてここで何かを学んでいたことのある者がほとんどだ。料理、洗濯、掃除、庭師や楽器の保管調整に従事する者など、その役割も多岐にわたり、また適性を考慮された仕事が与えられる。対価労働期間中も僅かながら給料が支払われ、衣食住の心配もないので、俺は齢十一にして早くも安定した職業を手にする一歩を踏み出したといっていいだろう。
まあ、伝導師になれるのは本当にごく一部の卓越したセンスと技術、そこにかける熱意などが突出した者だけだ。楽器の奏者、歌い手、語り部、踊り子、役者、絵描きに詩人、何にせよ、本当に優れた芸術家はどこの世界でも希少なものだ。
俺は恐らくその一人にはなれないが、ここで対価としての労働を終えたあと、街の広場や演芸場などで歌や踊り、楽器の演奏などで生計を立てるという選択肢も残されている。繋ぎ手の島にある都や港町が煌びやかで栄えているのも、そうした質の高い催しが観光資源として成り立っているからに他ならない。
さて、このように館で並みいる好敵手たちと切磋琢磨し、無事に己の才が認められた希少な者だけが誉れ高き伝導師になることができるのだが、普段の生活は割と地味だ。この館で教鞭をとったり、各地を回って演奏を披露し、芸術の素晴らしさを広めたりといった活動が主だという。そしてその外回りの際、俺のように若く有望な見習い候補を連れて帰ることも仕事の一つであった。
しかしながら俺の専攻は歌い手で登録されたので、この事務手続きが終わったら、竪琴の伝導師であるセレストとゆっくり話をする機会はもうあまり訪れないだろう。せっかくなので貴重な推しであるセレストの姿と声を目と耳にしっかり焼き付けながら、ここでの生活について説明を受けていると、不意に扉がノックされた。
「カノンです。お呼びと伺い、参上致しました」
その声は厚い木の扉を隔てておりながら、天上に鳴り響く極上の鈴のごとく麗しく、艶やかで、幼さとあどけなさを残しながらも高貴で品のある、それはそれは他に類を見ない、かつて腐女子だった俺が……いや私が生前、最も愛した声そのものであった。
「────────────っ!!!!!」
………………あゆゆん………………っ!!!!!
一瞬、視界が真っ白に染まり、かつての一人称に戻ってしまうほどの衝撃とともに、私……じゃなかった、俺は固まった。血の気が一気に引いたかと思うと、今度は逆流したかのように脳が沸騰する。
……え? 嘘、まさかそんな? こんな偶然、あり……あり得ないだろう! セレストの火師さんボイスに続いて、これほどまでに都合のいい奇跡が起きるとは! いやいやでも、もう一度ちゃんと聞いて確かめないと。
……っていうか────どうする……? どうしたら……? どうしよう……? どうすれば……?
混乱時の四段活用をランダムに頭の中で繰り返しながら、俺は硬直する筋肉の痛みに息もできず、ただただ全身を叩き潰すような勢いで鳴り響く己の心臓の音だけを感じていた。
……やばい。心不全とか、高血圧とか、よくわからないけど、とにかく俺、死ぬかも。
「おお、カノン。お入り」
良くも悪くもセレストは俺の様子がおかしいことに気づかなかったらしく、その最高に麗しき声の持ち主を部屋に招き入れた。
え……、どうする……? どうしたら……? どうしよう……? どうすれば……? どうするよ?
結局、何の心の準備もできないまま、俺はギギギ……、と軋むような動きで顔を上げた。
不安と期待とよくわからない感情がひたすらに渦巻いて、自分でも自分の思考がわからない。怖くて、嬉しくて、隠れたくて、飛び上がりたくて、ただただ泣きそうだ。
そして顔を上げた視線の先にいたのは、紛れもない天使だった……。
「────────────っ!!!!!」
お……、おかわわわわわわわ……っ!!!!! お可愛いぃぃぃぃぃ……っ!!!!! 何と!!!!! これが天使!!!!! 天使降臨じゃないかぁあぁあぁあ……っ!!!!!
そう、そこにいたのはまさに天使のような美少年だった。はっきり言って、我が自慢の美少年アバターすら霞むほどの、完璧な美少年だ。緩やかなウエーブを描く金色の髪、そして美しく煌めく緑の瞳。その美少年は、まさに光り輝く光の民であった。
が、天使はどうやらご機嫌が悪いらしく、俺を見ると少し不貞腐れたように唇をきゅっと結んだ。すぐに顔を背けると、セレストに向かって言う。
「ご用は何でしょう?」
ふおあぁあぁあ……っ!!! やっぱり……っ、間違いない……っ、この声は紛れもなく我が最愛のあゆゆん……っ、だ……っ。
隠し切れない興奮に、もはや過呼吸寸前だ。しかし、この第一印象による影響力は計り知れない。出逢った瞬間に、これから展開されるかもしれない、目くるめく二人の関係の行方が決まるといっても過言ではないだろう。俺は全集中の呼吸で、自分の体内を巡る水分に意識を注いだ。
実は村を出る前日、母との別れに際し、体内の水分を操るコツを伝授されていた。おかげで独学で試していたときよりも能力の使い方が上達し、いろいろなことが以前より簡単に、しかも短時間にできるようになっていた。旅の間も練習を欠かさなかった俺は、この最大のチャンスでもある非常時に何とか己が興奮状態を鎮め、数秒後にはいつもと変わらない冷静さを取り戻していた。
「シルヴァ。こちらはカノン、これから君と相部屋になる。年もそう変わらないから仲良くしておくれ。専攻は竪琴だから同じ授業を受けることはあまりないと思うが、それ以外のここでの生活については詳しいから何でも聞くといい。もちろん、困ったことがあったら私に相談してくれてもよいからな。とにかくまずは慣れることだ」
「はい、セレスト。お気遣いありがとうございます」
俺はにこやかに礼を言った。相部屋とかいう瞬殺必須の危険ワードに心臓が止まりかけたが、俺は瞬時に体内の水分をコントロールし、何とか持ちこたえた。
母さん、ありがとう。おかげであなたの息子はまだ生きています。
「カノン、こちらはシルヴァ。今言った通り、彼はこれから君と同じ部屋で生活することになる。いろいろと面倒を見てやっておくれ。部屋に荷物を置いたら、少し館の中を案内してやるとよい。頼んだぞ」
「……はい」
カノンは相変わらずご不満な面持ちだったが、セレストの言葉には一応従順に頷いた。セレストはカノンの様子に何か思うところがあるようで、一度は口を開きかけたものの、結局それを言葉にすることはなかった。
「……ふむ。ではシルヴァ、部屋に下がってよいぞ。授業に参加するのは明日からだ。ここでの生活を楽しんでおいで」
「はい! では、風の祝福を」
セレストに暇の挨拶をし、丁重に部屋から退出する。カノンはその間もずっと、最低限の礼儀は守りつつもご不満の様子を崩さなかった。
俺は旅の荷物を抱え直し、カノンの横について歩きながら、石造りの重厚な廊下の佇まいに改めて感心の目を向けた。それにしても広い、高い。生前の世界にあった高層ビルを思い出す。この世界では破格規模の建築物、さすが民の名を挙げての一大事業に使われる建物といったところだろう。
セレストの部屋がある導きの塔と、俺たちのような見習い候補が住む伝えの塔はかなり高く、数階ごとに吹きさらしの空中連絡通路で繋がっている。が、使用できる人間は制限されているので、俺とカノンは導きの塔のひたすら長い内階段を降り、一階の渡り廊下を歩いて伝えの塔に向かっていた。
どうやら授業中らしく、敷地内の人影はまばらだ。中庭は芝生が敷き詰められており、陽気もいい。竜の息吹のご加護によって、のんびりと光合成するには良い日寄りだ。
……にしても、一体これはどうしたものか。
俺は黙々と隣を歩くカノンをちらりと見やった。このまま放置していても、カノンのご機嫌が改善されるとは思えない。結局、十一年も子供としてやってきたのに、しかもこれで二周目だというのに、俺はいまだに他の子供とどう接していいのやら、よくわからないのだ。
そもそも腐女子時代にあった正規の幼少期でさえ、表面上の友人しか作れなかった。根本的に変わっていないのだから、転生して理想の美少年アバターを得ただけでどうにかなるわけがない。しかし同居人と良好な関係を築くことは、今後の俺の生活に関わる重要な問題だ。何より、最愛のあゆゆんボイスを持つ超絶美少年と仲良くなりたくないわけがない!!!
ぐっと思わず拳を握ったものの、俺はすぐに笑うように軽く息を吐きだした。
…………だが、まあよい。ここは村ではないのだ。俺の好きにやらせてもらおう。誰にどう思われようと関係ない。家族に迷惑がかかることもなく、ただ俺だけが自分の行動の結果を受け止めればいいというのは、何て楽なことなんだ。例え今ここでカノンに嫌われたとしても、多分、何とかなる。基本、いくらでもどうとでもなるのだ。……恐らく、こういうのを解き放たれた気分というのだろう。
俺は周囲にある空気中の水分がどれほどあるか、素早く計測した。繋ぎ手の島に来てから時々試していたが、やはりここも湿度が低い。しかし中庭に敷き詰められた芝生のおかげで、そこそこの水分量はあるようだ。竜の息吹が天にある角度を確認し、俺は近くに人影がないことを改めて見て取った。準備完了だ。
「……なあ、虹を見たことあるか?」
「………………」
無言のまま、こちらに視線すら投げないカノンを見ると、俺は立ち止まった。そのまま歩き続けるカノンの正面に、周囲から集めた水分を一気に集結させる。瞬間、カノンの目の前に、カノンの鏡像が現れた。光の屈折を利用し、空気中の水分で一瞬だけ鏡を作り出したのだ。
「うわぁっ」
びっくりして立ち止まったカノンの風圧で、鏡が霧散する。すかさず周囲に広がった水分の反射角度を変え、俺は瞬時に虹を作り出した。しかし不意に風が吹き、虹はすぐに消えてしまった。
「あ~あ、残念。結構うまくいったのになぁ」
単品より、連続技のほうがやはり難しい。だが、この少ない水分量で鏡が成功したのは、我ながらなかなかよくやったといえよう。虹より鏡のほうが遥かに難易度が高いのだ。当初の目的を忘れかけ、己の技術向上の成果に浸っていると、不意にカノンが輝くばかりの純真な眼差しを俺に向けた。
「今の、君がやったの?」
……っくう! 眩しいっ! これが本物の美少年の力か……っ! だが、俺は負けないぜ!!!
何とか平常心を取り戻し、俺は言った。
「まあな。でも、これは俺のとっておきだからさ、今は俺たちだけの秘密ってことにしといてくんない? ……っていうか、よくわかんないけど多分、あれを水の民以外に知られると、何かいろいろとまずい気がする……」
……そう、結局最後の最後まで、水の民の本当の能力は機密事項だから他の民には決して知られてはいけません、と母からはっきりと釘を刺されたことは一度もなかった。だが、最初で最後のあの特訓の日、言わなくても当然わかっているわよね、という無言の重圧はしっかりと伝わってきた。
何しろ俺が今作った鏡は、一瞬とはいえちゃんと目の前のものを映す姿見で、水の民が占うために作るとされる、どこかの何かをぼんやりと映す水鏡とは全く違う。それに俺が虹を作れるとセレストに知られたら、湖での出来事が間違いなく誰の仕業かわかってしまうだろう。どう考えても、それはよろしくない。そんな気がする。
俺の複雑な事情はともかく、カノンは秘密という言葉に目を輝かせたかと思うと、すぐに真剣な面持ちになって神妙に頷いた。
「……わかった。二人だけの秘密だね。でも……また今度、やってみせてくれる?」
「もちろん!」
当社比三割増しの爽やかな笑顔で答えながら、俺は内心悶えまくっていた。
何、何なの? この可愛すぎる生き物は!!! 可愛すぎるだろ!!! やばい、可愛すぎて死ぬ!!!
言語能力に著しく壊滅的な打撃を受けながらも、俺は表面上は何とか平静を保つことに成功した。するとあたかも俺の忍耐力を試すかのように身を寄せると、カノンは秘密めかして囁いた。
「あっ、じゃあね、僕も教えてあげる。僕も虹、見たことあるよ。すっごく大きいヤツ。一ヶ月くらい前だけどね。夢見人の島のほうから、この繋ぎ手の島にまで届くぐらい、本当に大きくて綺麗だったよ!」
……ああ~、うん。よく知ってる。っていうか、それも俺が作ったヤツだわ。これは本当に本当の秘密だから、絶対に誰にも言えないが。
少し得意げな顔をしているのも可愛すぎるが、何より水を差すようなことを言ってまたご機嫌を損ねたくはない。だが、今ここで知らないふりをして、すぐに嘘がバレてしまうよりは何倍もマシだ。
少し躊躇ったものの、俺は仕方なく言った。
「……えーっと、ごめん。それ、俺も見たわ。っていうか、セレストが俺をここに連れて来たのも多分、俺がその虹を近くで見てたからだと思う。何か闇の鳥? みたいのが出てきたりして、その行方を調べなきゃいけないとか話してたし。まあ、俺は別に何かしろとか言われてるわけじゃないけど、証人としてすぐ話が聞けるようにしておきたいんじゃないかな」
できるだけ真摯に答えたこともあってか、カノンは瞬きを一つすると、機嫌を損ねることなく頷いた。
「……そっか。いろいろ事情があるんだね」
それからちょっとうつむいたあと、カノンは意を決したように続けた。
「さっきはごめん。僕、すごく嫌な態度だったよね。許してくれる?」
「もちろん! 全然気にしてないから大丈夫。っていうか、ティモの八つ当たりに比べたら、本当に何でもないし」
「よかった。あ、荷物持つの手伝うよ。ずっと気になってたんだ」
カノンはほっとしたように微笑むと、俺の荷物を一つ持ってくれた。何ていい子なんだ!!! 内心感涙にむせびながら、俺はカノンに荷物を渡した。
「ありがとう。重くないか?」
「平気。というか、ティモって誰?」
再び渡り廊下を歩きだしながら、俺たちは会話を続けた。
「ティモは俺の兄貴。五つ年上なんだけど、ちょっと俺とは気が合わなくて。まあ、悪い奴じゃないんだけどね。何かいろいろ絡んできたりして、面倒臭いんだよ」
「へえ……兄弟がいるんだね」
何か思うところがあったのか、カノンは目をぱちくりさせた。
「シルヴァは今いくつ?」
「十一。カノンは?」
「僕は十歳。シルヴァも瞳の色が変化してるんだよね。能力も使えるみたいだし。瞳が茶色じゃなくなったのって、いつ頃?」
「あ~、俺は何か発現の時期だけはすごい早かったんだよね。三歳くらいだったかな。でも、能力は人並み程度」
「そうなの? ……さっきの、すごかったけど」
少し声を潜めてくれたカノンに、俺は肩を竦めてみせた。
「あれはね、自分で言うのもナンだけど、あくまでも努力の賜物ってヤツ。能力の発現が早かったから、一人で練習する時間が少し余計にあったってだけ。最初は巫子見習いとして宮殿に呼ばれるかもしれない、とか勝手に噂されたりしてたけど、全然! 実際、精霊の気配なんて微塵も感じないし」
そう、この世界で祝福の民と呼ばれるものには、それぞれ決まった容姿の特徴がある。セレストやカノンのような光の民は、金の髪に緑の瞳。水の民として生まれた俺は、銀の髪に青の瞳。髪の色は生まれたときから変わらないが、瞳の色は違う。どの種族の民も同じ茶色で生まれてくるのだ。
一般的には早くて十歳、遅くとも十五になる頃には己が民を示す瞳の色に変化する。そして瞳の色の変化とともに、民の能力に目覚めるのだ。つまり瞳の色が変わり、能力が使えるようになったことで、大人として成長した証しにもなるわけだ。要は第二次性徴に近いものだと俺は思っている。
では俺は何故、齢三つにして瞳の色が変化し、能力が発現したのか。恐らくではあるが、俺の魂はリサイクルされた腐女子(成人済み)のものだからではないかと、勝手に推測している。まあ、この世界で年を重ねれば重ねるほど、見た目と中身の符合性は高まっていくので、それほど気にはしていない。まさに時間が解決してくれる事案そのものと言っていいだろう。実際、すでに現時点において、俺の瞳の色に違和感を持つものはいない。
カノンはまじまじと俺を見つめていたが、やがて大きく息をついた。
「そっか……。何かすごい、僕と似てるね。僕も瞳の色が変わるの、早かったんだ。でも、シルヴァと一緒で能力は普通。精霊の気配? とかも、よくわかんないし。本当はちょっと心配だったんだけど、シルヴァと同じなら大丈夫だね。よかった」
「……………………」
やっだ、もう、何この子! マジで可愛すぎるじゃない!!! 何なの? そんな可愛すぎることばっか言ってると、本当にマジで惚れちゃうじゃないのよ! もうっ!
内心オネエ言葉で一通り喚いたあと、俺は爽やかイケメンをイメージした微笑みで精一杯擬態した。
「カノンはいつからこの館にいるんだ? 専攻は竪琴だっけ。すごいよな。俺は不器用だから楽器とか絶対無理だわ」
カノンは二度ほど大きな瞬きをすると、言った。
「僕は生まれてすぐ、ここに預けられたんだ。つい最近までこっちの塔じゃなくて、セレストと同じ導きの塔で暮らしてた。竪琴はセレストから教えてもらったんだ。本当はたくさんいる伝導師にいろいろ教えてもらってたんだけど、僕には竪琴が一番合ってるみたい」
「へえー」
なるほど、なるほど、なるほど。
あくまでも平常心を保ちつつ、俺は意図的に思考をずらし、ちゃんと本気の感想を口にした。
「すごいな。それってもはや英才教育じゃん。ってことは、竪琴の他にもいろいろできんの? 笛とか、歌とか、語り部とか」
カノンは少し目を見開いたあと、瞬きを一つし、言った。
「……そう、だね。語り部は聞くの専門だったから、やるのはちょっと難しいかも。でも、各地に伝わる物語には詳しいよ。最近の、まだ伝説になってないようなのも知ってるし」
瞬間、俺は獲物を見つけた捕食獣のように目を光らせた。この人工ブルーライトのない、瞳に優しい世界に転生して早十一年、アニメもゲームもネットもない生活は、毎日浴びるように二次元を摂取し、現実逃避に勤しんでいたオタクにとって、本当にどれほど辛い日々であったことか!!! 新しい物語を……萌えの対象を……くれ……っ!!!
「いいな、それ!!! 今度、俺にも教えてくんない? いや、どうか聞かせてください!!!」
平身低頭も厭わないほどの俺の勢いには驚いて身を引いたものの、少ししてカノンは笑いながら頷いた。
「ふふっ、いいよ。サーンスみたいにはできないけど、頑張ってみる」
「おお! やった! サーンスって誰?」
「語り部の伝導師。繋ぎ手の都では有名なんだよ。お酒が好きで、いつも顔が赤くて、優しいんだ。何より話をするのがすごくうまい。本当に目の前でその物語が起きているみたいに感じられるんだ」
「へえー! いいな! 俺も聞きたい!!! ……けど、顔がいつも赤いのはよくないな。こういう仕事は特に体が資本なんだから、健康には気を付けてほしいものだ」
すっかり素に戻って俺が呟くと、カノンは今度こそ本気で笑い出した。
「え……あれ、何かちょっとおかしかった?」
……うん、知ってた。今のはちょっと心の声がそのまま出てた。けど、そんなに笑う感じ?
少しして笑いの発作が収まると、カノンは息を切らしながら言った。
「ごめん、ちょっと……笑い過ぎた。でも、おかしくて。シルヴァって、何か他の子と違うよね。大人っぽいっていうか……一緒にいると、すごくほっとする」
……そうだね。魂はすでに一度成人済みだからね。そこらに溢れる正規の子供とは一味も二味も違うよ。そこは保証する。
取り敢えず穏やかに微笑んでいる俺に気づくと、カノンは意を決したように口を開いた。
「あの……っ、あのね。僕、本当のこと言うと、誰かと相部屋になるの嫌だなって思ってたんだ。導きの塔でもずっと一人部屋だったし、こっちに来てからも、うまく友達が作れなくて……」
カノンは何かに耐えるように唇をきゅっと結んだあと、言葉を続けた。
「導きの塔にいるとき、少しの間だけど、五つ年上のラチカって子と一緒の部屋で暮らしてたことがある。すごく楽しかった。でも、随分前に伝えの塔に行っちゃってからは、ほとんど会えなくて。今も、師匠である伝導師に連れられて外で研修してるから、ここにはいない。だから……その、僕は今まで同じ年頃の子と、あんまり話したことがないんだ。でも……」
なるほど、なるほど、なるほど。ものすごくいろいろと理解した。最初に会ったときご不満だったのは、カノンにとって特別な存在であるセレストが、俺という同じ年頃の子供をいきなり連れ帰ったから、やきもちを焼いたのだろう。おまけに仲の良かった友達ともずっと会えなくて、新しい友達もできなくて。伝えの塔に移ったのも最近だというし、環境の変化もあって辛い思いをしていたに違いない。
セレストが俺とカノンを相部屋にした理由もよくわかった。確かに、子供より大人と一緒にいることに慣れているカノンなら、子供が苦手な俺でも過ごしやすいだろう。カノンにしても、そこらの子供とは一味も二味も違う俺となら、きっとうまくいくのではないか。思惑としては大方そんなところだろう。
さすがセレスト、よい読みだ。ならばその読みが正しかったとこの身をもって証明し、天使に引き合わせてくれた恩に報いなければならんな! いや、是が非でも報いたい!
改めて武士っぽく心の中で決意表明をし、俺はもだもだと言葉を濁しているカノンに微笑んだ。
「友達、俺も作るの苦手なんだ。でも、カノンとなら楽しくやれる気がする。だからさ、これからよろしくな。知らないこといっぱいあるから教えてくれよ。俺も……まあ、特にできることはないけど、一緒にいれば何かカノンの役に立つこともあんだろ? 多分」
「多分、って……いい加減だなぁ」
呆れたように言いながら、けれどカノンはふふっと笑って言った。
「でも、ありがと。嬉しい。じゃあ僕たち、もう友達だね」
……お、おかわわわわわわわ……っ!
ゆるゆるに緩んでしまう口元を、咳払いのついでに軽く手で隠し、俺は確信をもって言った。
「まあ、少なくとも俺は、カノンと一緒にいられるだけで幸せだしな!」
「何だよ、それ!」
あくまでも俺のイカガワシイ視点において、清らかなるイチャイチャを繰り広げたあと、俺たちは伝えの塔にある自分たちの部屋に荷物を置き、館の敷地内を簡単に見て回った。そして竜の息吹が沈み、亀の刻を知らせる鐘が鳴り響いたのを合図に、俺たちは夕食を取りに食堂へと向かった。
が、そこで俺を待ち構えていたのは美味しい料理だけではなく、絵に描いたようにガラの悪いお貴族様たちでもあった……。
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