第18話 腐女子、ネタバレを拝聴する

「え~……ではあまり時間もないことだし、俺としてはまず、オルカとカミルの話を聞きたい。二人の正体、それから世界の崩壊と、時間が巻き戻ったことについて、知っていることを簡潔に、できる限り教えてほしい」

 ディノが運んでくれた香草水で喉を潤すと、椅子に腰掛けたオルカに目をやりながら、俺は口火を切った。

「もちろんだ。何でも聞いてくれ」

 俺と同じくベッドに座っているラチカに視線をやると、軽く頷いて同意を示してくれたので、そのまま質問を続ける。

「ではオルカのこと、カミルのこと、そして二人の関係性について教えてくれ」

 考え込むまでもない初歩的な問いのはずだが、オルカはしばし沈黙し、ゆっくり瞬きをしたかと思うと、カミルが口を開いた。

「会話を滞りなく進めるためにも、基本的に私が答えよう。すでに気づいているだろうが、どちらが主導権を握っていても五感と記憶は共有しているから大丈夫だ」

「ああ……はい」

 まあ、問答をするのはカミルのほうがいいような気は薄々してた!

 と、俺が気を取り直している間にも、カミルは持ち前の無表情で淡々と言った。

「オルカはもともと普通の闇の民だった。数千年前、ちょっとした事故で瀕死になり、同じく瀕死状態だった私と融合することで、共に一命をとりとめた。以来、一つの体を共有しているのだが、正直、力の均衡がとれないせいか、非常に燃費が悪い。起きていられるのはせいぜい数ヶ月で、その後、数年から数十年は眠り続ける。これを繰り返すのは、さすがに精霊の愛し子である私といえども、まともに生きているとは到底言えない状態だ」

 ……おおう……。何か、想像以上に壮絶な生体だ。不老不死の逸話が出てきたのは、この特殊な生態のせいか。種明かしされると実にシュールだ。にしても、簡潔には違いないが、情報量が半端じゃない。ちょっとした事故って何? どうやって融合したわけ? 詳しく知りたい! 伝説のオルカミルの真実を根掘り葉掘り聞き出したいのはやまやまだが、今はぐっと堪えよう。

「えっと……カミルが精霊の愛し子っていうのはどういう……」

 例え眠ってばかりでも、数千年の時を経て存在しているのだから、生まれたばかりの純真無垢なものを示す、精霊の愛し子という表現はいささか無理があるのでは……という俺の無言の思いに気づいたのだろう。カミルは肩を竦めてみせた。

「どうやら、数千年の間に言葉の意味するところが変化してしまったようだな。かつてはそのままの意味だった。私は水の精霊によって直接生み出された白銀の鳥だ。今では私のような生まれの者はひどく衰退し、そのほとんどが流れ島か風の島に移動してしまったようだ。それ以外の四つの島で、生存を維持するためにどうしてもその場所から離れられない者もいるが、いにしえの彷徨い人だとか、魂の誘い人だとか、何やら禍々しい呪われた存在のように扱われていると伝え聞く」

「えっ!」

 ということは、魂の誘い人とオルカミルの伝説が残る、俺の生家近くの森には、そんなファンタジーな存在が存在してたのか? オラ、ワクワクすっぞ! 思わず目を輝かせた瞬間、カミルが付け加えた。

「しかしまあ、基本的に彼らに関わらないほうが賢明ではあるだろう。実際、魂を喰らう者もいるしな」

「──え」

 森の中を一人でふらふらするなっていう大人たちの注意はそういう……。えっ? 俺、もしかしなくても結構危険に身を晒してた? いやいやいや、ちょっと待って、怖い! 過去の俺、現地人の忠告を無視して何やってんの! 頭の中がファンタジーだよ! 能天気にも程があるだろ! 今更ながら血の気が引く。

「あ、私は魂喰らいの系統ではないから安心しろ」

「えっ、あ、はい。ども」

「取り敢えずはそんなところかな」

 そんなところで済まされる気分じゃないのだが、今は俺の個人的な感情に振り回されている場合ではない。俺はぐっと拳を握ると、次の問いに移った。

「世界の崩壊について、何か知っていることはあるか? 思い当たることを全て教えてくれ」

「思い当たるというか、大体の経緯は知っている」

「そうなのか?」

 驚きに身を乗り出した俺とラチカを見ると、カミルは無表情に瞬きを一つした。

「そもそも私とオルカが数千年ぶりに分裂してしまったのも、発端はそこにある」

「一体何があったんだ?」

「正直、最初は何が起こったのかよくわからなかった。私たちは少し前に世界の核を始まりの柩に納めてから、深い眠りにつくときや、ちょっと休憩するときなんかも、取り敢えずいつも星の雨の中に入ることにしていたのだが」

「ハイハイハイ!!! ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!!!」

 思い切り挙手しながら、声を張り上げる。だから! 情報量が半端ないんだよ! 伝説を世間話のように語るな!

 俺はぐるんとラチカに顔を向け、平静を装いながら内容を確認し合った。

「世界の核を始まりの柩に納めたってことは……」

「オルカミルはやはり時の剣士だったってことだ。そこまでは俺も一応予想はしてた。だが……」

「いつも星の雨の中で寝てた……だと?」

「取り敢えずちょっと休憩、って何?」

 俺とラチカがぎゅるんと勢いよく首を回すと、カミルは言った。

「安全だからな」

 そうっ、だろうけどもぉ~っ!!! 当然のように言うな! これだから伝説の英雄は! 世界の中心である星の雨の中なんて、普通は何がどうしたって辿り着くことすら叶わない。地球上で毎日太陽を拝んでいても、その灼熱のプロミネンスに生きたままダイブできる者はいない! 星の雨はこの世界において、そういう目には見えても手が届かない存在なんだよ! それを……!

「星の雨の中にいた理由って、始まりの柩を守るとか、世界の核の警備とか、そういうんじゃないの??? ただ、寝るだけ??? そんなごろごろしてる感じなの???」

 俺の心からの問いに、カミルが肩を竦めてみせた。

「ごろごろしているわけではないが、少なくとも数年間は目覚められないことを考えると、どこで眠りにつくかは非常に重要な問題だ。まずは自分の身の安全を確保せねばな。オルカと融合して最初の頃はそれに気づかなくて大変だった。森の木陰で休んでいたはずなのに、目が覚めると生き埋めになっていたりとか、暑い光の季節だったはずなのに、起きたら寒い闇の季節で雪に埋もれていたりとか」

「死体だと思われて遺棄されてるし! むしろ何でそれで生きてるの??? 普通死ぬだろ!!!」

「生きている時間の周期が異なるだけだ。数日の寿命で生きる虫と、数十年の寿命で生きる人間とでは、恐らく時間の概念も違うはずだ。もっとも、精霊の愛し子たる私としても今の状態はおかしいのだが、もはや自分ではどうにもならない。オルカという異物を取り込んでしまった一つの弊害と捉えている。しかしそれも、死なないために自分で下した決断だ。受け入れるより他ない」

「それは、まあ、そうかもしれないけど……」

 説明を何とか呑み込もうと努力している俺の気も知らずに、カミルが続ける。

「とにかく、あの場所は本当に寝に帰るだけというか。星の雨の中は特殊な空間なのか、起きているときも腹が減らなくて助かるのだが、何もなさ過ぎるのが難点というか。目が覚めるたら、暇つぶしに適当な島に降りてぶらつくことが多い」

 星の雨を簡易宿泊施設扱いするなぁっ! ビジネスホテルじゃないんだぞ! 簡単に出たり入ったりするなよ! ロマンが……伝説が……夢のファンタジーが……。

「それで、いつものように寝ていたら、前触れもなく始まりの柩から世界の核が出てきたらしく、あまりの眩しさに目が覚めてしまい……」

 まだこっちの気持ちの整理がついてないのに、勝手に先を話し出すなぁ~っ!!!

「こちらとしても寝起きは機嫌が悪く、放っておこうかとも思ったのだが……」

 放っておくなよ! いや、俺も寝起きは機嫌が悪いから、人のことは言えないけれども!

「一応、ちょっとまずいかな、と思って声をかけたら、どうやら向こうも不機嫌だったらしく……」

 向こうって、世界の核のこと??? え、そんな不機嫌になったりするものなの?

「気づいたら私とオルカは分離していて、それぞれ別々の島に落下していた。オルカは君のいた水の島、私はこの光の島に。もはや融合が進みすぎていて、自分たちだけでは別々の個体として存在することができなくなっていたので、その突発的な事態に一瞬喜んだのだが、私もオルカもちゃんとした肉体を形作ることができず、不定形な液体のような状態になってしまった。それでも辛うじて生命はとどめていたのだが、時間が経つにつれて自我を保つのが難しくなってきていてな。特別に精霊の加護を受けた私でさえ、自分の名前も思い出せなくなっていた。そんな時にシルヴァ、君がオルカを私に送り届けてくれたんだ」

「────え。俺?」

 唐突に出てきた自分の名前にびっくりしすぎて、危うく聞き逃すところであった。と、不意にオルカが興奮を隠し切れないようにまくし立てた。

「そう、君だ! シルヴァ! 君は、湖の底で延々と暗く深い混沌の中を彷徨っていた俺の意識を、そっと揺り起こしてくれた! 何度も、何度も、俺に素敵な歌を聞かせてくれた! そのおかげで俺は少しずつ、少しずつ自我を取り戻すことができたんだ。それでもあの日、君があの大きな虹の橋を架けてくれなかったら、俺はこうして君の前に立つことはできなかっただろう。カミルと再び融合してしまったのは本意ではないが、今は必要なことだと痛感している」

 オルカは椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛けている俺の手を優しく包み込むと、その場に片膝をついた。俺の目をまっすぐ見つめて言う。

「俺は、君の顔をちゃんと見て、君の声を聴いて、君の温もりに触れることができて、これ以上の喜びはない。君は俺の光であり、全てだ。俺は君を守るためなら何でもしたい。その気持ちに偽りはない」

「………………っ」

 驚きつつも、俺はようやく理解した。タイムリープ前、中庭でいきなり抱きしめられたとき、俺にとっては初対面だったが、オルカにとってはいわば命の恩人との再会だった。俺に対する異常な熱量の想いを疑ったことは一度もなかったが、今までの曖昧な説明では納得もしていなかった。それがやっと腑に落ちた。

「なるほどな……。オルカがまさか、あの湖から飛び立った闇の鳥だったとは。確かに、そうホイホイとみんなの前で本当のことは口に出せないな」

 そりゃあ、俺の俺による俺のためだけのワンマンライブのこともよく知っているはずだ。生家のある村から離れているから誰もいないと思い込んでいたのは俺だけで、わざわざやって来ていた湖の底にオルカが沈んでいたのだから。

 水の民の能力を試そうと、湖の底の地形を感知してみたり、湖面の水を霧状にして鏡や虹を作る練習をしたりと、ささやかながらもそういった行為がオルカの意識を揺り起こしたのだろう。何しろ手弁当持参で一日中、毎日のように通っていたからなぁ。魚も虫も植物の気配すらなく、透明度の高い水質のはずなのに、闇が深く底が見えないという湖の不可思議も、オルカの特異な存在によるものだろうし。真っ当な感覚を持つ生物なら、忌避すべきオーラが周辺に漂っていたのかもしれない。

「あれ? でもそうすると、あの森の異変は何だったんだ? 十年ほど前に大きな地震があったあと、たくさんあった沼や泉が枯れてきてたんだけど……」

 俺の問いに、カミルは握り締めていた手をほどき、椅子に座り直しながら答えた。

「これは憶測でしかないが、私とオルカは融合した折に、互いの性質が複雑に絡まり合った。オルカは闇の民で、その性質をざっと一と仮定した場合、水の精霊の愛し子である私の性質はその何十倍もある。私とオルカが分離した際、どちらも液体状になってしまったのは、私の水の性質によるものだろう。オルカは私の水の性質を過分に引き継ぎながらも、生命維持のためにはさらに多くの水の性質が必要になっていた。それ故、知らず知らず周囲の水を己のところに引き寄せていたのだろう」

「あ、だからオルカのいる湖だけは他と違って干上がることなく、いつもなみなみと水を湛えていたのか」

「迷惑をかけたようですまない。それと大きな地震というのは、恐らくオルカが落ちたときの衝撃だ」

「おおう……それはすごいな。落ちたのがあの湖があった場所だとすると、俺の村から結構離れてるのに、かなりの揺れだったぞ。自慢じゃないが、俺の家は相当頑丈な造りなのに怖かった」

「それは申し訳ないことをした」

「あ、いやいや。村の誰一人として怪我もしてなかったみたいだし、そこは気にしなくていい。っていうか、その間カミルはどうしてたんだ?」

「私はこの光の島の砂漠に落ち、そのまま地中深くに潜んでいた。オルカへと水の性質が移動してしまった分、肉体が形成できないほど弱体化していたからな。オルカと同じく、私も水の性質が枯渇していたのだろう。地下に広がる水脈を求めて時折旅をしていた。といっても、当時はほとんど本能的に動いていただけで、記憶もあまりない。ただ、私が一所に長く滞在していると、どうも水脈が詰まってしまうらしくてな。生命の危険を感じるたびに、周囲にあったはずの水を探してあちこち行っていた気がする」

「それは大変だったな」

「まあ、自分があの時どのような姿をしていたのか知りようもないが、今思うと巨大な紐虫のような感じだったのではないだろうか。目の前に岩の塊がごろごろしていようとわからないし、とにかく水の匂いがする方向にガンガン突き進んでいたからな。我ながら、よほど切羽詰まっていたのだろう」

 と、ラチカが何か思い至ったように息を呑んだ。

「つまりこの十年、繋ぎ手の島にやたら地震があったのはそのせいか!」

 その言葉に、カミルはおおと声を上げる。

「それは重ね重ねすまない。よもや地上にそのような影響を与えていたとは露知らず」

「知らなかったで済む話じゃ……!」

 激昂したように立ち上がったものの、ラチカはすぐに思い直したように口を噤んだ。不貞腐れたように勢いよくベッドに腰掛ける。そして俺が口を開く前に目を閉じ、静かに息をつくと、言った。

「……いや、確かにあんたには知る由もないことだ。あんたにとっても水の確保は生死に関わることだったろうしな。けど、そのことは絶対に俺たちの他には口外するなよ。でなきゃ袋叩きにされても文句は言えねえ」

「……ふむ。ご忠告痛み入る」

 殊勝に頷いてみせたカミルと、仏頂面ながらも自分の中で一応の折り合いをつけた様子のラチカ。微妙な雰囲気の二人を俺が何とも言えずに見ていると、カミルがそっと口を開いた。

「──恐らく、私の行動によって大きな被害が起きたのだろう。何しろ私はかつて銀の悪夢と恐れられた厄災だからな。例え力が半減し、弱体化していようとも、それだけの影響力は残っていたわけだ。実際、君の言う森の異変を起こしたのも、厳密にはオルカではなく私の力のせいと言えよう」

「なるほど」

 黙り込んでいるラチカを横目で眺めつつ、俺は思った。地震という災害の原因が、意思を持つ生物で話が通じても、悪意による行為ではないわけだしなぁ。生存のための必死の努力の結果となれば、こちらとしてもそう責められはしない。だがそれも被害の当事者ではないからこそ……といったところか。

 取り敢えずこの話は今ここで深掘りすることではない。俺は話の舵を切ることにした。

「ま、要するに俺が館に来ることになったきっかけは、オルカのおかげだったってことだな。森の乾燥っていう異変があったから、セレストが呼ばれたわけだし」

「非常に好意的な解釈をすればそうなるな」

「で、俺の作った虹がたまたま風のおかげですごく大きく架かったから、オルカがカミルのところに向かうことができた、と。けど、そもそも虹って触れないし、普通に渡れないだろ。どうやったの?」

「私とオルカはもはや普通の肉体を持つ生き物ではないからな。君も知っているように、虹は空気中の水分による光の屈折で見える現象だ。つまり虹が見えるということは、一定の水分が均一にそこにあるという証でもある。そしてあの時のオルカは水と闇の塊のような存在だった。水と闇は相性がいい。何より水は光や闇を増幅させる性質を持つ。オルカは恐らく虹の主成分である空気中の水分と己の水を同化させつつ、虹の光で己の闇を収束させて鳥の形を保ちながら、翼による推進力で移動したのではないか、と私は推測している」

「ほほぉう……」

「ちなみにオルカ本人からは、よくわからないが今しかないと思って無理やりガーッとやったら虹を渡れたと聞いている」

「ああ、うん、そだね。ま、そんな感じだよね」

 わかったような、わかんないような。如何にもな雰囲気で俺が唸っていると、カミルが付け加えた。

「結局のところ、オルカは闇の鳥を形作り、虹を渡って私のいる光の島の砂漠に到達した。その事実が全てだ」

 それはそうなんだけどさ。ま、いいや。

「何でオルカは片翼だったんだ?」

 ちょっとした疑問を差し込むと、カミルは律儀に答えてくれた。

「私とオルカは基本的に二つの形態を取ることが可能だ。一つはこのオルカの元々の姿である人型。そしてもう一つは私の元々の姿である鳥の形だ。しかしもはや私たちは二人で一人。分裂した状態ではどんなに頑張っても完璧な姿は形作れない。人も鳥も。第一、あの時はほぼほぼ液体だったしな。どうやってもすぐ崩れる。というか常に崩れながら再構築している状態というか、僅かな時間でもその形を保つためにはとにかく気が抜けない」

「なるほど~……っていうか! もしかして、あれってオルカ……いや、カミルだったのか? 世界が崩壊してるとき、崩れ落ちた地面と一緒に空中に放り出されながら、一瞬だけ見たんだ。すごく大きな鳥。白か黒か色はよくわかんなかったけど、星の雨の中から飛び出してきたみたいだった!」

 興奮している俺に、カミルはあっさり頷いた。

「あれは確かに私たちではあるが、完全にオルカの意志だ。君の命の危険を知り、どうしても助けると言って聞かなくてな」

「おお! え、でもよくそんなピンポイントで俺の居場所がわかったね。他にも人間がゴミのようにバラバラ落ちてたと思うんだが。大体、俺の命の危険をどうやって察知したわけ?」

「ああ、それは……君の魂に印がついているからだ」

 印……マ-キング??? あらやだやっぱストーカーなの? ちょっと怖い……というか、そもそも!

「え、ちょっ、待っ……いつ!!!」

 警戒の眼差しになった俺に、カミルが淡々と告げる。

「時間が戻る前、館の君の部屋で旅立ちの別れを告げたときだ。君の額にオルカが口づけただろう。あれだ」

 えっ? 何その乙女心をくすぐる設定。そんなことできんの? っていうか、あれにもちゃんと意味があったのか! ただ俺を篭絡しようと画策してるのかと……もしくは単にオルカが俺に口づけたかっただけなのかと……。

「まあ、他にも印をつける方法はあるのだが……」

 あるのかよ!

「君がオルカに小瓶のペンダントを預けただろう。今は時間と共に君のもとに戻っているが、それを返すために印が必要だった」

 俺の胸元で揺れる、父の作ってくれたガラスの小瓶を指しながら、カミルが言った。

 ……そうだ。今朝もあれほど動転しながら、俺はいつもの癖でこのペンダントを身につけた。確かに時間が戻る前にオルカに渡した、父の小瓶だ。そのあと首にかけていた、対になっている兄の小瓶とは僅かに形が異なるから、間違いない。そうか。そこまで気が回らなかったけれど、ちゃんと俺の手に戻って来ていたんだ。

 しみじみと父の小瓶を眺め、感慨に耽っていると、カミルが続けた。

「君がとても大切なものだと言っていたから、どうしてもそれを返しに行かないといけない。オルカがそう言っていた。私たちはいつ眠くなるかわからない。君が生きているうちに逢えない可能性もある。それでも必ず返しに行くと」

「オルカ……」

 やばい、何かちょっと泣きそうかも。そんなんずるいだろ。生き別れの恋人かよ。

「だがまあ、崩壊する世界で君だけを助けても仕方ないと私は思っていたんだが、結果、世界そのものの時間が巻き戻ったとわかったときは、私も正直とても驚いた。まずあり得ないからな」

 何を言っているのかすぐには理解できなくて、俺は大きな瞬きを一つした。超特急で耳にした言葉を整理し、改めて口に出す。

「……え? ちょっと待て。もっとわかりやすく説明してくれ。死にかけている俺を、俺一人を助けようとしたら、世界そのものの時間が巻き戻った……? それってどういうことだ?」

 どうしてか嫌な感じに胸の鼓動が早くなる俺を知ってか知らずか、カミルは無表情に首を傾げた。

「確証はない。だが推測していることはある」

「それでいいから聞かせてくれ」

 瞬きを一つし、カミルは言った。

「私とオルカは協力することで、多少の時間操作が可能だ。対象の時間を止めたり、早めたり、戻したりできる。例えば咲いている花の時間を止めて一定期間枯れないようにしたり、時間を早めて一瞬で枯らしたり、時間を戻して蕾から種へと変化させたりな。けれどそのためには非常に繊細な能力の操作が必要で、何より多大な生命力を消費する。正直、死にかけている君の肉体を、損傷する前まで時間を戻せるか、それすら私たちにとって一つの賭けだった。しかし世界も崩壊していることだし、もはや失うものもない。そこで私もオルカたっての願いを聞き入れることにした。私にとっても君は恩人だったからな」

「ああ、いや、そんなことは。というか、俺より世界の時間を止めるとか、戻すとかは……」

「そんなことできるわけなかろう。対象が大きすぎる。今言ったように、君一人の時間ですら危うかったのだからな」

「はい。そうですよね。すみません……」

 やはり時の剣士が世界の時間を止めて崩壊を食い止めたという伝説は過大解釈か……残念。

「別に怒ってはいない。とにかく、私たちは君一人の肉体の時間を損傷前まで戻すつもりだった。だがその結果、実際には君だけでなく、世界そのものの時間が大幅に巻き戻った。本来なら私たちに戻せるのは数分かそこらだったのに、現にここは崩壊より二週ほど前の世界だ」

「つまり……?」

「ここから先は私の推測に過ぎない。一つ目は君が、或いは君の中にあるものが私たちの能力を増幅させ、世界の時間を戻した。もしくは、私たちは最初から、世界そのものに能力を使おうとしていた可能性、それが二つ目だ」

「………………」

 俺が、能力を増幅……は無理だろう。どう考えても。多分。じゃあ、俺の中にあるもの……内臓の他に何があるんだ? 水分? あ、それとも21gの魂か? あれって実は汗の重さらしいけど。つまり、やっぱ水分? いやいやいや……。

 つーか、もう一つのヤツ、俺が世界そのものって普通にあり得ないだろ……。大体、世界の時間を戻すほどの力はないって、さっき自分で言ってたじゃんよお! それに世界崩壊のせいで俺が死にかけるって、俺と世界がイコールなら順序が逆だろーが! せめて同時ならわかるけど!

 悶々としている俺の横で、不意にラチカが口を開いた。

「まどろっこしい言い方をすんな。カミル、推測といいながら、あんたはすでに確信に近いものを持っているはずだ」

「根拠は?」

「あんたはさっき、世界崩壊の大体の経緯を知っていると言った。では、いつ知ったのか。事の発端は星の雨の中で寝ているとき、始まりの柩から世界の核が出てきたこと。けれどこの時は事態を理解していなかったと、あんたは言った」

「その通りだ」

 カミルの同意を得ると、ラチカはさらに続けた。

「不機嫌な世界の核により、あんたとオルカは分裂し、別々の島に落ちた。そして約十年後、シルヴァが虹を架け、あんたとオルカは再び融合した。そして砂漠の真ん中から出てきたあと、オルカの姿で館にやって来て、カノンを連れてどこかに消えた。それから二週ほど経った光の降臨祭の日、世界崩壊の最中、あんたたちは鳥の姿でシルヴァの時間を戻しに来た。星の雨の中から」

「………………」

 時系列を並べただけで、意外と物事は見えてくるものだ。俺は顔を上げ、ラチカとカミルを見やった。ラチカは驚くほど淡々とそれを口にした。

「あんたたちはカノンをどこに連れて行ったのか。それは星の雨の中だ。では何故か。カノンが始まりの柩から出てきた世界の核だからだ。セレストは言っていた。十年前、赤ん坊のカノンを館に連れてきたのはオルカだと。しかし実際には、それは崩れそうなオルカの姿を懸命に維持したカミルだった。オルカはその時、分裂して自我もないまま湖の底に沈んでいたんだからな」

 ようやく俺も理解した。オルカと再会して、ラチカが何よりも先に尋ねた質問と、その理由。恐らくラチカはこのジグソーパズルの全容を、すでに漠然と捉えていた。オルカの世界崩壊時の滞在場所を知ることで、特に重要なピースを揃えようとしていたのだろう。

「素晴らしい。そこまでは正解だ。では、世界崩壊の理由もわかるかね?」

 と、ラチカはそれまでの冷静な面持ちをどこか苦しげに崩し、俺を見た。

 ん? と首を傾げた俺をよそに、カミルが珍しく感嘆の声を上げた。

「さすが! 悟り人と呼ばれるだけのことはある」

 俺は瞬きを一つし、尋ねた。

「悟り人……それは風の民ってことでいいか?」

「っ………………!!!」

 驚き、不安、動揺、一言では説明できない様々な感情が入り混じった表情を向けたラチカに、俺はそっと微笑んだ。

「まあ、大分前から気づいていた。だから心配するな」

「そ……れは……」

「いい機会だから、一応確かめておきたかっただけだ。他意はない。というか、そこまで慌てることに俺がびっくりだよ。さっき俺が倒れたときも、普通に風を呼んでくれてたし」

「あ、いや、あれは……お前の具合が悪かったから……」

 あわあわしているラチカに、俺はにっと笑ってみせた。

「ありがとな。そういうつもりじゃなかったんだが、茶々を入れてしまって悪かった。ちなみに世界崩壊の理由は俺も大方の予想はついている。今はな。だから安心して話を続けてくれ」

 一瞬、ラチカは泣き出しそうな顔で息を呑んだあと、唇を引き結び、小さく頷いた。それからカミルに向き直り、改めて口を開いた。

「……世界崩壊の理由、それはシルヴァだ」


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