後編:おむすび

「ヒロウミ、あんた、冬休みはどうするの?」

 ヒロウミが作ったチャプスイ(アメリカ風なんちゃって中華惣菜。いわゆる『あんかけ野菜炒め』)を口いっぱいに頬張りながら、レイチェルがもごもごと口を動かした。


「食べるかしゃべるか、どっちかにせえよ、レイチェル」

 他の学生の前ではモデル張りの容姿と色気をアピールする彼女も、ヒロウミとアリアの前では素に戻るらしい。

「サンクスギビング休暇の時は、『たった5日だから、コミュニティのボランティアに参加する』って寮に残ってたけど、冬休みは3週間もあるのよ? 新型ウィルスのせいで国内観光はムリだし……あ、もしかして日本に帰るとか?」

「そんなつもり、はなからあれへん」

「なんでよ? 家族が待ってるんじゃないの? 恋人ガールフレンドは?」


 にんまりと笑みを浮かべるレイチェルの言葉は聞かなかったことにして、ヒロウミはチャプスイにハシを伸ばした。

 込み上げる想いを異国の言葉に置き換えるのは、あまりにも陳腐だ。だから、ヒロウミは日本語で言葉を吐き出した。

「家族なんてもうらん。待っててくれる人も、俺には誰も居らんのや」

 

 がたん、と大きな音がした。


 勢いよく立ち上がったアリアが、その拍子に椅子を蹴倒したことも構わず、ヒロウミの目の前のテーブルに、ばあん、と両手をついた。

「チガウ!」

 箸からこぼれ落ちた野菜をペーパーナプキンで拾い上げると、ヒロウミはアリアに視線を向けた。頬を真っ赤に染めて今にも泣き出しそうだ。

「……行儀悪いで、アリア」

「チガウよ、ヒロウミ! そんなカナシイこというの、ダメ!」



 突然、日本語で話し始めた二人に「痴話ちわゲンカなら他所よそでやってよね」とつぶやくレイチェルと、眉間にシワを寄せたヒロウミをキッチンに残したまま、アリアは隣のリビングルームに駆け込んだ。

 ソファに積み上げられたコートのポケットからスマホを取り出して、ビデオ通話の画面を素早く開く。

 

 数秒後、画面の向こう側に現れた人影に手を振りながら、アリアはキッチンに向かって歩き出した。

『アリア、どうしたの? 何かあった?』

 柔らかな抑揚は、アリアが聴き慣れたオキナワの音だ。

「ママ! クリスマス、ことしはダレもコナイでしょ?」

『うん、残念だねえ。新型ウィルスのせいで、みんな外出自粛だってさあ』

「じゃあ、オネガイ!」

『なあに? 車を買って、とかはダメだよお。ウチはレイチェルの家みたいにお金持ちじゃないからねえ』

「チガウの! えーと……イチャイチャ、チョーダイ!」

 


 スマホの画面に話し掛けながらキッチンに戻って来たアリアが、ヒロウミの隣の椅子にすとんと腰掛けた。

『あー、惜しいねえ。正解は「イチャリバチョーデー」』

 軽やかに笑う声が、なんとなくアリアに似ている……そう思いながら、ヒロウミは耳を傾けた。

「それ! イチャイチャ、チョーダイ!」


 ギョッとするような言葉に、ヒロウミが思わずアリアの横顔を凝視する。


『アリア、「イチャリバ、チョーデー」ね。もう一度、言ってみて』

「クリスマス、わたしのトモダチと、イチャイチャ、チョーデーしてもいい?」 

『うーん、どうかなあ。感染拡大を防ぐために休暇中は家族だけで過ごしましょう、ってニュースでも繰り返し言ってるからねえ』

「ダイジョーブ! ママ、ショーカイします、このひとデス!」

 そう言うなり、アリアはヒロウミの腕を掴んで、ぐいっと引き寄せた。

「ヒロウミ、イチャイチャ、チョーダイ! クリスマス、いっしょにウチにかえろう!」

「ちょい待てや、アリア! 話が見えへん……なんやねん、そのイチャイチャって!」

 画面の隅っこに自分の顔が映り込んでいることも忘れて、ヒロウミは思わず声を上げた。


『ええと……アリア? 友達って……ボーイフレンドのこと?』

「チッ、チガウよお! フツーのトモダチ! いっしょにリョーリして、いっしょにゴハンたべて、ニホンゴでハナシて、テレビみていっしょにネテ」

『一緒に、寝て……?』

 画面越しに母親が顔を引き攣らせる。

 明らかに誤解を招く発言を続けるアリアを止めようと、ヒロウミは彼女の手からスマホを奪い取った。

「テレビを見てる間に寝落ちしただけです! ただの友達です! アリアには指一本触れてません! 第一、レイチェルも一緒やったし……」

「それ、チガウよお! ハグしたことアルでしょ? だから、ヒロウミ、わたしにユビ10ポンふれてる!」

「あれは、挨拶代わりのハグやろが! 頼むから、話をややこしゅうせんとってくれ!」


 大きく深呼吸してなんとか心を落ち着けると、ヒロウミは画面の向こうで固まったままの母親に視線を戻した。

「……すみません、お母さん、英語で話しませんか? アリアもその方が落ち着くかと」

「ニホンゴでダイジョーブ! ママ、キイテ! ヒロウミ、わたしのことムズカシイっていわないの」

「アリア、頼むわ……普通に英語で話さへんか?」


(イチャイチャの次は、ムズカシイ? アカン、ますますワケ分からん……)


 

『ヒロウミくん。このまま、日本語で話しても良いかなあ?』

 困惑し切った様子のヒロウミを見兼ねたように、柔らかな声が画面から響いた。

『「レイチェルと一緒に自炊することにしたから、食費を送って」なんて言うから、ちょっと心配だったんだけど……ヒロウミくん、あなたが面倒を見てくれていたのね。あの子達、びっくりするくらい不器用でしょう? 色々と迷惑かけているんじゃないかしら』

「……いや、俺も、好きでやってることなんで」

『そう? そう言ってくれるなら、このまま甘えさせてもらおうかしらねえ。あ、でも、食事の経費はちゃんとあの子達に請求してね。アリアとレイチェルのこと、これからもよろしくお願いします』

「あ、はい、こちらこそ……あの、お母さん! 聞きたいことが」

『はい、なあに?』

「さっきのあれ、イチャイチャ何とかって……?」

『ああ、「行逢りばイチャリバ兄弟チョーデー」? 沖縄の言葉で「一度逢った仲なら、もう兄弟みたいなもの」ってこと。意味的には「一期一会」に近いかしらねえ』


(つまり、兄妹みたいに思ってくれてる、ってことなんか? それはそれで複雑なんやけど……)


『アリア、あなたになついてるみたいねえ。クリスマス休暇に、あなたと一緒に帰省しても良いかって』


(いや、それ、初耳やし!)


『ヒロウミくん、休暇中、本当に日本に帰国しなくても大丈夫?』 


 答えるべき言葉を探しながら、ヒロウミは少しだけうつむいた。

「……日本に帰る理由がなくて」

『そんなことないでしょ? 日本入国後に自主隔離の必要はあるけど、帰国が禁止されているわけじゃないし。親御さん、あなたの顔が見れるだけでも嬉しいと思うんだけど』

「俺、親がいないんです。祖母が引き取って育ててくれて」

『あいやー、ごめんなさいねえ。でも、おばあちゃんがいらっしゃるんだったら、余計に』

「祖母は、俺が高校生の時に亡くなりました」


 ほおっ、と息を呑み込んだアリアが、両手でそっと口元を覆う。ヒロウミを見つめる目が潤んでいる。


「だから、俺を待っている人なんて、もう、どこにも……」

「チガウ!」 


 驚きに目を丸くするヒロウミを前に、まるで想いの丈をぶつけるかのように、アリアが声を張り上げる。

「チガウよ、ヒロウミ!」

 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙もかまわずに、アリアはそのまま、ぎゅうっとヒロウミを抱きしめた。

「ココにイルよお!」



 

『……ヒロウミくん、アリアと一緒にウチにおいで』

 画面の向こうから、アリアによく似た声がささやいた。

『アリアのお友達なら、私の子供みたいなものだしねえ……ヒロウミくん、子供はね、遠慮なんかせずに甘えて良いんだよ』


 アリアに抱きつかれたまま、ヒロウミが、ひゅうっ、と息を呑む。


『……だから、クリスマスにはアリアと一緒にウチに帰っておいで。待ってるよお』



***



 クリスマスの夜。



 食べきれないほどの御馳走が並んだ食卓を、アリアの家族と一緒に囲んだ後。

 ヒロウミがゲスト用の寝室に戻ると、なぜか、ベッドの上にアリアが転がっていた。


「……なあ、ここ、ゲストルームやんなあ?」

「そう、ヒロウミのへや」

「なんでアリアが寝転がってるんやろうなあ?」

「うーん、ナンデヤロウナア」

 クッションを抱え込んで、ごろり、ごろりとベッドの上を転がっていたアリアが、突然、がばっと起き上がった。

「オモイだした! 『おむすびころりん、スッテンテン』」

「……いや、『スットントン』やからな」


 どこからともなく思いついたことを言葉にするアリアのクセにも、ヒロウミはすっかり慣れてしまった。

 悪く言えば、唐突。けれど、関西人にしては控えめで口下手なヒロウミからすれば、話しのネタに尽きない彼女のそんなところが少しうらやましくもあり……


「ねえ、『おむすび』と『おにぎり』、ナニがチガウかなあ?」

「同じやろ。地域で呼び名が違うとか、形が違うとかいうけど、どっちもご飯を握ったもんやし」

 ふうん、と納得したのかどうか分からないような声を出したアリアが、クッションにぽすりと顔を埋めてベッドの上にうつ伏せになる。

「おーい、アリア。寝落ちする前に自分の部屋に戻りいや」

「イヤだあ、もスコシ、ニホンゴはなしたい」

「なら、お母さんと話しい」

「ムリ。ママ、もうネタ」

「早っ! まだ10時前やで」

「はやね、はやおき。パパもはやい。あさ、ジョギングするから」


 さて、何を話そうか……と、ヒロウミは思いを巡らしながら、ベッドのふちに腰掛けた。

「これは、ばあちゃんから聞いた話やけどな。おにぎりを漢字で書くと……」

 ナイトテーブルの上に置かれたメモ用紙とペンを手に取って、さらさらと漢字を書き綴るヒロウミを、アリアが興味深々に見つめている。

「『鬼』『切り』。鬼を殺すための食べ物やから、魔除けとか厄払いの効果があるって、昔の人は信じてたんやって」


(母親が日本人とはいえ、アメリカ人として教育を受けたアリアがどこまで理解できるんか、疑問やな)


 そう思いながらも、ヒロウミは言葉を続けた。

「おむすびは……『お結び』」

 結、の字を綴る手が、ふと、止まる。

「……人と人とを結ぶ。良縁を結ぶ。そんな意味のある、縁起の良い食べ物なんや」

「スゴーイ! そんな、はじめてキイタ!」


 脳内をの文字が泳ぎ回って、ヒロウミは思わず吹き出しそうになった。

「『雑学』って言いたいんやろ?」

「そう、サツガク」

「……『ザ』の音が難しいんか」

「ヒロウミ、スゴイ! わたしのコト、ちゃんとワカッテくれる!」

「別にスゴないやろ。普通、会話の流れから分かると思うで」

「ふわあっ、もう、そのオーサカべん! イントネーションがカワイすぎるっ!  もっとチョーダイ!」


(可愛過ぎるのは、オマエの方やろがっ! しかも、もっとチョーダイって……何をチョーダイやねん! 主語が抜けとる!)


 心の中で色々とツッコミを入れながら、ヒロウミはなんとか平常心を装った。

「俺とアリアの縁を結んでくれたんも、あの爆弾みたいなおにぎりやしなあ……『おにぎり』やなしに『ポーク卵おむすび』って呼んだほうがエエのかもしれんなあ」

「それ、よいカンガエ! ヒロウミといっしょにタベルのは、『ポークタマゴおむすび』!」


 ベッドの上でぱたぱたと動いていたアリアの両足が、突然、動きを止めた。

「ヒロウミはスゴイなあ。なんでもイッショウケンメイ。ダレのハナシもイッショウケンメイきいて、イッショウケンメイわかろうとする」

「英語がニガテな日本人やからな。必死に聞いてな、分からへん」

「ソヤナイネン!」

「……大阪弁は覚えんでエエって言うたやろ? ただでさえ沖縄弁と標準語がチャンプルーごちゃまぜやのに」


 ぺろり、と舌を出して、えへへっ、と小さく笑ったアリアが、少し恥かしそうにささやいた。

「わたしのニホンゴ、イッショウケンメイきいてくれる。わたしがハナスこと、へんなカオしないでイッショウケンメイきいてくれる。そんなオトコのヒト、パパとおニイちゃんと……ヒロウミだけ」



 (……ああ、そういうことか)


 人に媚びず、かといって、来るものは拒まずの、穏やかな性格。

 頭脳明晰で、学内での知人は男女の別なく多く、教員達からの信望も厚い。

 加えて、エキゾチックで愛らしい顔立ち。

 そんなアリアが、なぜ、男友達とそれ以上の関係を築けないのか、ヒロウミにはずっと不思議だった。


「はんぶんニホンジン、はんぶんアメリカジン。チャンプルーだから、どっちのクニでもガイジンなの。どこにいても、ナニかチガウ。だから、ダレもわたしのことワカラナイ。ダレともいっしょにワラエナイ……そんなオンナのコ、ムズカシイでしょ?」



 日本人の母とアメリカ軍人の父の間に生まれ、幼い頃から父の異動に伴ってアメリカ国内のみならず、世界各地を転々とし、様々な文化に触れながら成長したアリア。

 そんな彼女の思考回路は、驚くほど柔軟で。

 年齢に不釣り合な経験に支えられた心は、驚くほど強くて。

 けれど、彼女が持つ一種独特の雰囲気は、生まれ育った州が世界の中心だと信じて疑わない同年代の若者達の中では、否応なしに際立ってしまう。

 それが、己自身が異質だと感じさせる原因になっているのだろう。


 そんなことを言えば、ヒロウミだって十分異質だ。

 「母親に捨てられた私生児」という境遇のおかげで、幼い頃から人生の経験値だけはやたらと高かった。おかげで、異様に大人びた可愛げのない子供だった。

 


 環境が人を作る、と聞いたことがあるけれど。

 どんな環境に置かれても生きていかなければならないとしたら。


 違う環境に置かれる度に自己変革を起こしていたら、心なんてものは簡単に壊れてしまう。

 環境に適応することは大切だけれど、どこに置かれようと、自分自身をさらけ出す強さがあれば、世界中のどこに行っても自分を見失わずに生きていける──その見返りが、埋めようのない孤独と違和感だとしても。


(俺なんかより、コイツの方がよっぽどスゴイで)



「ばあちゃん、俺、色々な意味で、6つも歳下の女の子に負けそうやわ」


 いつの間にか眠り込んでしまったアリアの巻毛にそっと指を滑らせて、ヒロウミは大きなため息を吐いた。



***


 

 「一期一会」で終わるはずだったアリアの家族との交流は、ヒロウミが大学を卒業し、東海岸にあるコンサルティング・ファームで働き始めてからも、毎年変わらず続き──




 あの爆弾のようなポーク卵は、今でも変わらず食卓に登場する。その横に添えられるのは、野菜たっぷりの味噌スープ。

 ヒロウミの横には、今でも変わらず、少し風変わりだけれど愛すべき女性ひとが居る。


「ねえ、Honeyアナタ、イチャイチャ、チョーダイ」



 あれ以来、アリアのお気に入りの日本語は、ずっと変わらない。





~ポーク卵と味噌スープ~了




(注)おむすびとおにぎりの違いについては、諸説あり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポーク卵と味噌スープ 由海(ゆうみ) @ahirun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ