第5話 見上げた空は灰色だけど、でも美しかった
歓迎会が主なイベントであった。
しかし虹北高原に来た目的の一つに、最初の建前……写生会も確かにあった。そういうことで今、一色は虹北高原から続く山を登っており、その隣には水無月の姿があった。
いつもならば部員一同で活動するというのが美術部の方針ではあるが、今日に関しては個々で描きたいものが違うとのことで、各個人で好きな場所に向かっていた。
例えば美月や雪彦は川のせせらぎを描きたいということで、近くにある川の方に行っており、初香は動植物が描きたいとのことで、高原内にある動物との触れ合い場に行っている。和那は嫌々ながらも動物好きということで初香に同行していた。
そんな中、一年生コンビである一色と水無月は、山の山頂から見える景色をスケッチしたいという意見が合致して、今は二人で山登りをしている最中である。
虹北高原から連なる虹北山群は初心者向けの山道であり、あまり体力に自信がない水無月でも登れるほどの難易度だ。前日に雨が降っていても地面は問題なく、それほどに整備されているのだ。そんな山道を登っている中で二人は他愛無い会話を交わしていた。
「ごめんね、一色くん。なんか色々と振り回しちゃって」
「別に良いよ。悪意とかがあったわけではないし……それなりに楽しかったから」
「……そっか。なら良かったよ」
「でも計画性のなさには落胆を隠せない」
「うん、それは私もだよ」
水無月は一色の返答を聞いて、安堵するように「ふぅ」と息を吐いた。
「だけど和那を海老名先輩に任せて大丈夫か?」
「流石に初香先輩もそこまでひどくないと思うけど……断言できないのがあれだね」
初香の悪ノリ具合は身をもって知っているため、水無月は苦笑しながら言い淀む。
水無月があまり体力がないからか、こまめに休憩を挟みながらの登山をしている。一色も急ぐ必要もないため水無月にペースを合わせており、山道の中腹にある岩場に腰かけた。
初心者向けとはいえ、それでも山道。普段、あまり運動していない水無月には十分疲れるのだ。
「水無月、これ」
「ありがとう、一色くん」
一色は自分の鞄の中にあった水筒からお茶をコップに注ぎ、それを水無月に渡した。それを水無月が受け取ると、一色は自分たちが昇って来た山道を見下ろす。初心者向けとはいえ、それは上り易さの観点から言っているもので、山道はそれなりに長い。整備されているから怪我の心配などはあまりないものの、体力はそれなりに必要なのだ。
「私、体力ないのにこういうことしたくなるの。個人的にもっとスタミナつけないといけないなーって思っているんだけどね」
「文科系の部活なら厳しいだろ。……水無月、一つ聞いていいか?」
ふと一色は気になることがあり、水無月にそう話しかけた。
「どうしたの?」
「……眼鏡、かけているんだな」
「…………あぁ、そのことね」
一色の質問どおり、水無月は今、普段とは違い眼鏡をかけているのだ。一色は水無月が眼鏡をかけているところを見たことがなかったため、気になったということだ。
「うん、授業中とかは付けているよ? でも、ずっと付けていると目が疲れちゃうから、普段は外しているの。今は流石に足元が危ないからね」
「……結構疲れるのか?」
「うん。体質で、眼鏡付けた後がちょっとだけね。だからあんまり付けたくないんだよ」
水無月は苦笑いを浮かべてそう続け、そっと眼鏡を取ってハンカチでレンズの汚れをふき取る。オレンジ色でフレームが太めな眼鏡を丁寧に磨く水無月を見て、一色は少し思うところがあり、水無月にある提案をした。
「……疲れるなら外してもいいぞ。俺が注意しているから」
「……悪いよ、そんなの。それに私、足元がおぼつかないからきっと迷惑かけるよ」
「付けていても外していてもさっきから何度も転びかけているだろ? それを助けているのは誰だよ」
「う、うぅ……一色くんです」
「だったら最初から手でも繋いでいた方が早い――って、それは違うか」
一周回って今の発言は失言と判断した一色はすぐに否定するも、それを聞いた水無月はニヤリと笑って一色の手を握った。その瞬間、この美術部に入って磨かれた一色の第六感とも言える感覚が嫌な予感を感知する。
「ふふ。そうだね。それの方が手っ取り早いから、頼んでも良いかな、一色くん?」
「……言わなきゃ良かった」
……あの貴音美月の幼馴染なのだ。水無月もそれなりにノリが良く、悪戯好きな一面を持っていても何にもおかしくないのである。
水無月は一色の手をしっかり握ってニッコリと笑顔を浮かべている。それを見て一色はどこか妹的な感情を水無月に覚えて、「仕方ないな」とため息を吐きながら立ち上がった。
「良くそんな恥ずかしいことが出来るな。お前も、あの人たちも」
「私はまだマシな方だよ? 一色くんが入ってくるまでは美術部で一番まともって言われていたからね」
「水無月は少なくとも俺よりまともじゃないって言っているようなものだからな、それ」
「むむ……言葉って難しいね。私、変かなー?」
手を握ることに大した動揺をすることもなく、二人は山道を登っていく。
――虹北山の山頂からの景色は、広大な虹北高原を一望できることで有名だ。違う角度からはまたその顔は変わり、深緑が生い茂る美しい隣山の景色や、遠くの湖が見えるなどでも有名だ。
その中でも水無月は山頂から見える高原の美しい景色が好きで、ここに来れば毎回この山を登っているほどだ。
「いつもは美月ちゃん同伴だけど、今回は男の子の一色くんが居てくれて助かっているよ」
「それはどうも。……でも貴音先輩は水無月に甘々だな」
「それはもう溺愛具合がすごいものですよー。……大切な幼馴染だよ。二歳年上だから昔から私を妹みたいに可愛がってくれるの」
「見ていたらそれはなんとなく分かるな」
「でも駄目なことはちゃんと駄目って言ってくれるんだよ」
実際に美月の、水無月に対する過保護さは一色も感じていた。学年が違うというにも関わらず学内で一緒にいることが多く、水無月に近づく明らかに不純な男は、さも番犬のように追い払う様子。曰く残念美人などと噂されており、雪彦のことを好き勝手に言っているが彼女もそれなりに悪評が一部で広まっているのである。悪評というよりかは近寄りがたし、といった意見が大半を占めるのだが。
「あ、でも美月ちゃんも珍しく一色くんは気に入っていると思うよ。いつもは男の子と一緒にいようものなら鬼の形相で近づいてくるから」
「想像できるから嫌だな、それ」
その様子が容易に想像できるからか、一色は顔を引きつらせる。
ふと一色は自分と彼女の状態を冷静に分析してみた。手を握りながら登山をするその光景はさながら恋人同士と捉えられても可笑しい話ではない。むしろ美月辺りにこの光景を見せれば少なからず発狂すること間違いない。
だが一色はタイプ的に悪く言えば冷めている性格、良く言えば冷静沈着である。水無月もまたそのような男女柄のことをとやかく考える方ではない。
……思えば初めて彼女と出会ったときもそうであった。手を繋ぐなどはしていないが、最初に会ったときも彼女の距離感は非常に近しいものであった。……一色はふとそう思った。
「一色くん、早く行こう!」
「水無月、お前体力がないくせに先々進むなよ」
彼女に振り回されることも、今更なのである。
「到着、と。……大丈夫か、水無月」
「な、なんとか……ふぅ」
一色と水無月は山を登り終えて、今は山頂から高原を一望できる場所で休憩していた。岩場に腰掛けて息を切らしている水無月に、一色は仕方ないといった表情を浮かべつつ飲み物を手渡した。
意気揚々と先に進んでいった水無月であるが、体力的な問題からすぐに速度は落ちていき、最終的には一色に支えられながら山頂まで上がってきたのである。無論、一色は水無月のことを多少含みのある目で見ながら、自分の飲料水を飲んだ。
「お前の考えなしに突っ込むのはよくないぞ」
「うぅ、ごめんなさい……で、でもね! 楽しいからつい」
「振り回される方のことも考えろってこと」
一色が少しばかり口を酸っぱくして厳しい言葉を投げかけると、水無月も反省からか暗い表情を浮かべてしまった。
「……はぁ」
それを見て一色は少し言い過ぎたと思うと共に、こう思った。……仕方ないな、と。一色も水無月のことを嫌だと思っているわけではない。むしろ水無月は美術部にとっては象徴的な人物であるとさえ認識している。
木漏れ日の美術部。そのように他団体から称される大きな理由の一つが、水無月だ。彼女の明るさ、活発さで周りが安らぎ、仲が良く、雰囲気が木漏れ日に当てられた暖かな空間となる。そんな比喩表現が木漏れ日の美術部と呼ばれる所以だ。だから水無月は美術部で非常に大事にされていて、一種の祀り上げられた教祖のような立場と表現もできる。
「貴音先輩や海老名先輩たちが心配するくらい、お前は大切にされているってことだ。だからあんまり無茶はするなよ。じゃないと難癖つけられる」
「……うん。気をつける。……一色くんは心配してくれるの?」
水無月は伺うように一色の顔を覗き込んだ。どこか小動物を連想させる水無月のくりくりとした目で見られるのが、実は一色は少し苦手だ。苦手と言っているものの、実際には恥ずかしいだけなのであるが。
――まるで自分の何かを見透かされているように思ってしまうから。普段はほんわかとしている水無月がたまに見せるその目が、一色はどうしても苦手だった。
「……同級生だし、一応な」
だから少し照れ隠ししたように、そう言い捨てるしまう一色。それに対して水無月は満面の笑みを浮かべて
「ありがとう、一色くん。……そういうところは美月ちゃんにちょっと似てるよ」
「あの人に似てるって言われるのは褒め言葉でも何でもないからな」
「あはは、違いないね――でも一色くんがこんなお兄ちゃんなら、和那ちゃんが懐くのもわかるよ」
一切の裏のない、純粋な笑顔を浮かべてくるから余計にたちが悪いのだ。一色が水無月に弱いのはその一点に限る。美月や雪彦、初香といった悪人ではないが個性的過ぎる人たちの対処は上手い割には、水無月には敵わない一色なのである。
「ほら、スケッチするんだろ」
「そんなに慌てなくても時間はたくさんあるよ。ほらほら、一色くんもここに座って休憩だよ!!」
すると水無月は傍に立っている一色の手を引っ張り、自分の隣に無理やり座らせる。無論、岩は二人でゆったり座れるスペースはなく、必然的にぴったりと寄り添って座らざるを得なかった。下手な男子ならば間違って勘違いして惚れてしまう可能性もある距離だ。それを天然でやっているからこそ始末に負えないと一色は思った。
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しかしながら一々意識しても意味はないと分かっているため、それ以降は特に動揺することなく少し休憩をすることにした。
「それにして今日は天気がいいねー」
「……そうだな」
……天気が良い、ということは確かに分かる。だがそれは一色と水無月の間で価値観が全く異なる。水無月にとってのそれは、色が映える美しい空を見ての感想だ。しかし一色にとっての晴れている空は、灰色でしかない。天気が良いというのも雲がないことでしか判断ができない。
しかし、それでも山頂から見える景色は確かに美しいものであると思った。灰色の世界でも美しいものは美しい。
だが、だからこそ彼は望んでいるのかもしれない――他人が見ている美しさを、共感したいという願望を。
「こう見てみると広いんだな、高原って」
「うん。ほら、あっちの方には初香先輩と和那ちゃんが行ってる動物触れ合いの場があるよ」
「あそこには川か……どうせ雪彦先輩と貴音先輩が騒いでいるんだろうな」
山頂から見える高原を見ながら、二人は会話を交わす。水無月との距離感にも少なからず慣れてきたのだろう。どちらかといえば和那と接するときと同じような感覚になってきた一色であった。
「……一色くんが美術部に入ってきてくれて嬉しいよ」
すると水無月は突然、そう切り出した。
「なんだ、いきなり」
「あはは。なんか、感慨深く思ったと言いますか。……この部活って個性が強すぎて皆、一歩引いちゃって中々入ってくれないんだよね」
「それは……そうだな。水無月がまだマシなくらいなんだから、仕方ない」
先ほどの会話を引き合いに出して、一色は少しだけ笑みを浮かべた。すると水無月は一瞬驚いた表情をして、そして穏やかな笑みを浮かべた。
「……あはは。ひどいなー、一色くんは」
本心ではそんなことを思っていない癖に、一色はそう言った。彼は基本的に無表情だからか、彼の可笑しそうに笑う顔を見たことがなかったのだ。
だから笑ってくれたことに彼女も嬉しくなって、つられて笑みを浮かべてしまう。それは水無月虹の美徳であり、水無月虹とたらしめる要因の一つだ。一色もまた、彼女のこういう点が人気者の秘訣であると認識していた。
「これでも褒めている方だ」
「ホントかなー? これでも水無月さんは鋭いって言われるんだよ? どれどれ」
水無月は綻びるような笑顔を浮かべながら一色の顔を覗き込む。たくさんの色を知り、たくさんの色の世界を生み出すその瞳に一色は吸い込まれる。その瞳の奥に広がる色とりどりで、美麗な世界に興味が尽きない。
きっと一色が無表情の裏でそんな熱情を抱いていることなんて、いざ知らずなのだろう。鋭いと言った割にはそれを見抜けていないという辺りが水無月らしいといえば水無月らしいが。
「――調子に乗るな」
そんな水無月に、一色はほんの少しだけ悪戯な笑みを浮かべて頭をこつんと小突いた。一色らしからぬ行為だといわれればそうであろう。一色はあまり他人と密接に関わろうとするタイプではなく、どちらかといえば一人で読書をしているようなタイプだ。
だからこそこんな距離感で、親しげにそんなことをするなんて、彼から言わしてみれば「自分らしくない」である。
……それが彼の変化の現れなのだとすれば、それは一色が望んでいたことが少しずつ叶っていることを指している。
「えへへ……ごめんなさーい」
水無月はなおも嬉しそうな笑顔を浮かべてくるからどうしようもない。一色は小さなため息を吐いて、さも仕方ないというような顔をした。
――さて。そんな二人を少し引きで観察してみよう。彼らはほとんどゼロ距離で肩を合わせ、楽しそうに笑いながら交流を深めている。その様子はさも恋人同士と見えても可笑しくない。客観的な視点から二人を観察するとそうとしか思えなかった。
その客観的視点とは如何なるものか。どこの誰からの視点であるか。
「――い、いっしきぃぃぃぃぃぃぃいいい!!! おまぇぇぇ、その距離はなんだぁ!?」
……答えは貴音美月という異様なまでの過保護な幼馴染の視点である。突如聞こえた奇声にも近い絶叫にビクッと体を震えさせる一年生コンビだ。
「お、落ち着け美月! お前の今の口調は完全に狂戦士の類だぞ、それ!!」
「み、美月ちゃん、もうそれ人間やめてる人の口調だから! 一回人間に戻ってお願い!!」
「ま、まおう……おにいちゃんのまんがにでてきた悪い人だ……」
それぞれ雪彦、初香、和那であるが散々な言い様である。しかしながらそんな言葉を掛けられたくらいで狂戦士と化した美月が止まるわけがない。故に物理的に止めるのは雪彦だった。
「……この際どうしてここにいることは聞きません。でもあの化け――貴音先輩はなんで叫んでいるんですか?」
「敢えて聞いてくれないところがちひろんだよね。まぁお察しの通り、川に遊びに行くのも動物の写生の行くのも建前で、早々に切り上げて付けていたわけだよ」
あっけらかんとした態度でそんなことを暴露する初香に対して全力で軽蔑をしつつ、一色は凶器に満ちた目で自身を睨む美月を見る。
よもや日常生活でこんな場面に出くわすなんて毛ほど思っていなかった。そう一色は心で苦笑しながら思った。
――一色と水無月が仲良く登山をする辺りまでは美月も上機嫌だった。一色はちゃんと水無月を気遣っており、彼女もまた楽しげであったから。
しかし彼女の様子が可笑しくなったのは、山頂についてしばらくしてからだった。
「ぶっちゃけ肩を寄せ合っているのが美月ちゃんの琴線に触れたというわけだよ」
「琴線短いな、あの魔王」
「――だぁれぇがぁ魔王だぁぁ!! 一色、表に出ろぉ!!!」
「いや、出ろといわれてもここ、表ですし」
「千尋、今はやめろ! この馬鹿女、馬力が異常だから! 俺の体が持たねぇ!!」
周りに一般の人がいなくてよかったと心から思う一色であった。いや、ちらほらはいるものの大抵がご年配の人で、自分たちを生暖かい目で見ているのは間違いないと一色は確信する。
……そう、結局はこうなってしまうのだ。
少しばかり感傷に浸ろうと思っても、和むように静かにしていたいと思っても美術部ではそれは叶わない。
だから最後は誰もが声を揃えてこう言うだろう。
「……本当に馬鹿ばっかりだ」
だけども。そんな場所が、俺の新しい居場所だと。一色 千尋は感慨深くそう思い始めるのだった。
思えば今の季節は梅雨にも関わらず、天気は晴天。一片の雲のない快晴だ。数日前まで雨が降っていたとは思えないほどの天気に恵まれた今日この頃。
ふと一色は山頂で虹を見つけた。もちろんそれは灰色で、いつも通りの光景。虹であると認識は出来るが、それに色がついているとは毛ほども思えない。
……だけど今は――ほんの少しだけそれが美しく見えた。
こころのいろ マッハでゴー! @katsuragi-com
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