タヌキの乾かぬ筆つくり

梨鳥 ふるり

タヌキの乾かぬ筆つくり


 私の国では、雨の日はこの世に死者が戻って来るなどと言われています。

 しかし、両親の顔を知らず、友という友も出来ず、結婚の縁も無かった私には、悲しい事に迎える死者すらおりません。

 私の人生の幸運といえば読み書きを教えて貰え、写本を生業としてなんとかひっそり生きられる事でした。

 さて、そんな私の元に、風変わりな仕事が舞い込みました。

 それを抱え持ち込んだのは、傘を深くかぶった大男でした。


「写本を頼みたい」


 大男はそう言って、大きな包みを解き驚く程分厚い書を見せました。


「こりゃまた、大変な量で……一体何の書でしょうか」


 覗き込む私に、大男が顔を上げました。

 傘から覗いた顔はニタリと牙を剥くタヌキで、私は息が止まるかと思いました。


「これは、ここ千年分の史実の書である」

「しかしこの量は……」

「何十年かかろうと構わぬ。この書は後世に残る揺ぎ無いものであるから、大変名誉な仕事であるぞ」

「ひぇ、そんな大それたものを私なんかが……」

「書の末にお前の名と紹介を書くのを許そう。どうだ、凄かろう。なに、お前はやらずにおられんくなるさ」


 断ったりして怒りを買ったら、喰われてしまいそうでした。

 勇気の切れっ端をギュッと握って「お代は」と小声で聞くと、大ダヌキはグルグルと喉で笑い、


「度々色々な者が支払いに来るだろう」


 と言い残し、のしのしと家を出て行ってしまいました。


*


 こうなってしまってはもう、仕方ありません。

 腹を括り分厚い書を紐解けば、良く知る稀代の悪王悪妃、知らない偉人や義賊まで、彼らの行いが淡々と記されていました。

 コツコツ励んでいると、最初のお代を頂く機会がやって来ました。

 それは、しとしと雨の降る夕でした。そうです、死者をお迎えする雨の日です。

 その時写していた人物は、兄を殺して王となった王様でした。良くある話でございますねぇと書き写していると、ふと背後から声が掛かったのです。


『殺しておらぬ』

「へ?」


 振り返ると、立派な着物を着た男が立っておりました。


『我は王位などいらなかった』


 男はちょうど今写している王様の風貌描写にそっくりな容姿をしている上に、身体が透けておりました。

 背筋がゾクリと冷えました。


『事故だったのだ……そう記してくれ』

「か、かしこまりました、殺害ではないーーー」


 私は恐ろしさで震える筆を、なんとか走らせました。


『兄者は素晴らしい男であった』


 ぽた、と、手元すれすれに雫が落ちました。

 私は気付かないフリをしました。


「……兄は名君の資質を持つ男で……これでよろしいでしょうか……?」

『うむ、殺していないのだ……』


 男は泣き顔で微笑み、家を出て雨の中へと消えていきました。

 胸を撫で下ろし卓の上をふと見ると、立派な抜身の短刀が置かれていました。

 売ればそこそこの値がつきそうな代物でしたが、その短刀ときたら墨で黒々と濡れていて、奇妙な事に拭いても拭いても取れなかったのです。

 私は「度々色々な者が支払いに来るだろう」と言った大ダヌキの言葉を思い出します。

 まさか、墨代のつもりだろうか。こりゃあ儲からないぞ、と、私は思いました。

 しかし何故でしょうか、私はこの仕事を続けたのです。



 それから雨の日には、書に記された人物がやって来る様になりました。

 彼らは切々と私に申し開きをしにやって来ました。

 特に申し開きのない人物はやって来ませんでしたので、そういう日は空高くよく晴れていました。

 彼らはきちんと自分の番に雨を降らせて訪ねて来るので、順番が入り来る事も無く大変助かりました。

 その内に、原本通りの写しと、彼らの言い分通りの写しの二種に分けて綴るようになりました。

 これまた儲からない話じゃありませんか。それも、支払いは奇妙な小物ばかり。

 一番初めに訪れた兄殺しの王の短刀を初め、薙刀などの物騒なものから、輪の欠けた指輪、古い簪、銀の匙、小瓶、立派な着物や湿った布団―――奇妙ではありますが、史実の書に書かれる方々の持ち物なだけあって、どれも高級なものでございました。

 また不思議な事に、『支払い』には墨で濡れている物と濡れていない物がありました。

 何故だろうと思いましたが、その内に分かって来ました。

 支払われていく物が墨で濡れている時は嘘だと。

 見栄、保身、後悔、理想といった様々な悲しい嘘を浴びて、珍品たちは黒く染まっているのでした。

 そうすると大変です。写本は三種に増えました。

 史実の書、真実の書、虚構の書です。

 私はせっせと墨を磨り、黒々とした墨で、彼らを綴り続けました。

 そして千年分全て写し終える頃には、すっかり年老いておりました。

 大ダヌキに言われた通り、書の末に自分の名を記していると、外でしとしとと雨が降り出しました。

 見れば戸口に傘をかぶった大ダヌキが立っております。


「夢みたいでした」


 私はポロリと言いました。


「あ、雨の日が、楽しみで―――私にも、お迎えする誰かがいるのだと……」

『うむ。さぁ、自己紹介も記すが良い』


 私は迷い、かつて見ぬふりをした兄殺しの王様の涙を思い出しました。

 何故だか、ふと笑みが零れます。


 きっと切ない事だらけでしたねぇ。

 誰が貴方の事わかるって言うんですか、つらつら綴られて、ねぇ?


 私は鼻を啜り上げながら、三種の書の内一つに筆を滑らせました。


『生涯人に囲まれ、賑やかな日々を――――云々』


 さぁ、私も墨で乾かぬ筆を置いて逝きましょう。

 大ダヌキは大儲けでしょうね。まったく、いっぱい喰わされました。

 それなのに、墨の香りが辺りにしとしと濡れていて、いい気分です。

 誰かいつか、騙されておくれ。

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タヌキの乾かぬ筆つくり 梨鳥 ふるり @sihohuuka

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