再会と決意
それから何年もの時が過ぎた。
私は結婚して家庭を持ち、二人の子供に恵まれて穏やかな日々を送っていた。
子供たちは大きくなるとトウに興味を持ち、冬になるとトウの姿を求めて元気に外遊びへと繰り出している。
私は自分からトウの話を子供たちに話すことはなかったのだが、子供というのは大人よりもずっと敏感に出来ているらしく、私が幼い頃にトウと出会ったこともどこからか聞きつけてきて、私に詳しい話をねだってきたのには少しだけ驚いた。
この頃にはトウの目撃情報もめっきり少なくなり、以前はトウを目当てに訪れていた人々も段々と足が遠のいてきていた。陽報の谷も高齢化が著しく進み、来年の春には私も通っていた集落唯一の小学校の閉校も決まっている。子供たちも転校することになっていて、春からは近隣にある小学校まで私が車で送り迎えをする手筈だった。
子供たちはというと、新しい生活に胸を躍らせながらも、冬にトウと出会える機会が減ってしまうことを残念がっているようであった。私は子供たちの純粋な気持ちを喜びながらも、あまり前のめりになりすぎないようにとくぎを刺すのも忘れなかった。他のことにも意識を向けてほしいという親心もあったが、私の中にはあの「事故」の記憶がなおも色褪せずに残っていて、子供たちにはあの時の私のようになって欲しくはないという思いの方が強かったのは否定できない。
そして、その年の冬も終わりに近づいた頃のこと。
その年はここ数年に比べると雪が多めで、トウの目撃情報も早くから報告されており久しぶりの「当たり年」だった。
私の子供たちも毎日のように外で遊びに出かけては、トウの姿を探していたが、なかなかその機会に巡り合えないままだった。
そんなある日の夕食時。トウを探しに出かけて空振りに終わった子供たちが、「このままトウに会えないで終わっちゃうのかな」と残念そうに話すのを聞いた私は心が揺れ動いた。理由はよく分からないが、もう長い間心の奥底に閉じ込めていたトウへの想いが次々に私の中にあふれ出てくるような錯覚を覚える。久しく忘れていた感情だった。
その衝動に突き動かされるかのように子供たちに「今度の日曜日に一緒にトウを探しに行こう」と提案すると、子供たちは「遂にお父さんが一緒に来てくれる」と大喜びで賛成してくれた。どうやら子供たちの間では、かつてトウを見ている私はちょっとした英雄のような存在らしく、ようやくその「英雄」が一緒に来てくれるのが嬉しくてたまらないらしい。その日から日曜日を迎えるまでの間、子供たちはとても大人しく素直に私や妻の言うことを聞いて過ごしていた。
約束の日曜日。私は昔使っていた動きやすい黒の防寒着に久々に袖を通し、対照的にカラフルな防寒具に身を包んだ子供たちを連れて、トウの観察に適した場所へと車を走らせる。
そこはかつて、私が車ではねてしまったトウの遺灰を埋めた見晴らしの良い野原だった。なるべくなら近付きたくない場所であったが、子供たちにその理由を説明できるはずもないし、子供を連れていけるトウの観察場所というとそこしかなかったのだ。
野原と言っても今の時期はまだ雪に覆われた雪原で、今年は他の観察者が訪れたような形跡もなく真っ新な雪がそのままで残されていた。
子供たちがトウを探すよりも先に真っ新な雪を歩く感触を楽しんでいる間、私は子供たちから目を離さないように注意しつつ周囲を見渡した。トウの遺灰を埋めたのはどのあたりであったのかと、昔のことを思いだしていたのだ。無論、もう何年も昔の話であり、まして雪に包まれている状態でそんなことが分かるわけもないのであるが。
私がそんな風に思いを巡らせている時、不意に上の子供が「あっ!」と鋭い声を上げる。下の子供もやや遅れて「あっ!」と声を上げる。
私はその声に意識を子供たちの方へ戻し、子供たちが視線を向けたままの場所を見やった。その瞬間、私は声にならない声を上げる。
そこには真っ白な毛に身を包み、やや短めの耳と丸い尻尾を持った動物がたたずんでいた。
トウだ。
トウは私たち親子を不思議そうに眺めていたが、やがて子供たちが気を取り直す一瞬前に、素早くその場から逃げていった。
気を取り直した子供たちが慌ててトウのことを追いかけていくのを、私は呆然と眺めていることしかできなかった。本来なら子供たちにあまり雪原の奥まで行かないように注意しなければならなかったのだが、それすら忘れていた。
子供時代にトウを見つけた誇らしい記憶と、大人になってトウを車でひいてしまった忌まわしい記憶。その二つの記憶が同時に私の頭の中を駆け巡る。忘れようにも忘れられない記憶。その二つの記憶が真っ白に洗い流され、塗り替えられていく。
記憶は消えない。罪も消えない。しかし、私はこの日、ようやく解放されたのだ。私が初めてトウを見つけたあの日から実は背負い続けていた記憶という重荷から。許されたのだ。大切に思っていたものをこの手で殺めた罪を。
気付けば私は涙を流していた。拭っても拭ってもあふれてくるそれは、実はトウへの感謝の涙であったのかも知れない。考えてみれば、こうやって泣くのはあの事故の時以来だ。
こうして私の中の長い長冬はようやく終わりを告げた。
しばらくして、ようやく泣き止んだ私は子供たちが雪原の奥まで進んでいってしまったことに気付き、慌てて二人の後を追った。幸い、それほど離れていない場所で二人を見つけ、罰として軽く二人の頭を叩いた私はそれまで子供たちに見せたことも無かったくらいの清々しい笑顔で雪原を後にした。
その数年後、私たち家族は子供たちの小学校卒業と同時に陽報を離れた。子供たちの進学を支えるのが第一の理由であったが、何よりも私自身がもう陽報から離れても大丈夫だと思ったのだ。
トウとの三度目の邂逅で、私はトウに「新しい道を進みなさい」と教えられた気がした。考えてみれば、私はトウのこと以外で心を動かされたことがほとんどない。トウのことを思うあまり、いつしか他のことを省みない人間になっていたのだ。
しかし、それではいけないのだとトウは私に教えてくれた。私が子供たちに対して抱いた「他のことに意識を向けてほしい」という思いは、何よりも私自身に当てはまることだったのだ。そのためにも私は再び陽報を離れて、それまでとは違う道を歩まねばならない。それがトウに対する新たな恩返しにもつながっていく。
私の下した決断を妻や子供たちも受け入れてくれた。特に妻は知り合ってからずっと私が心の中で悶々としたものを抱えていたことに薄々気付いていたようで、「ようやく抱えていたものを振り切れたのね」、と目にうっすら涙を浮かべながら喜んでくれ、私はそんな妻に苦労をかけたねと言葉をかけた。
私は昔勤めていた出版社のつてを頼り、以前のトウの探索経験を生かしてアウトドアライターとして三度目の再出発をした。その中で「トウにまつわる思い出話を書いてほしい」という編集者からの依頼があり、今こうして執筆を進めている。
文章にすると意外なほどシンプルにまとまり、これでトウのことを伝えきれているかどうか不安も残るのだが、これで少しでもトウのことを知る人が増え、ひいては野生動物全体のことに意識を向ける人が増えてくれれば幸いだった。
そしてまた今年も冬が訪れる。トウの目撃情報は少ないながらも今も絶えることはない。
私はこれまでに都合三度トウに出会っているが、それで最後にするつもりは無い。いつか私が自分の果たすべき役割を一通り終えたとき、年老いて白髪の老人になってから陽報に戻りトウに会いに行くつもりだ。
その時が訪れるまで、私はトウのことを人々に伝え続けようと思う。陽報の谷にだけ生息する、白く美しい素敵な動物のことを。
トウと過ごした冬 緋那真意 @firry
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます