後編: 渚のアオイ

 数多あまたの命とかたり、アオイは思う。

 人は自然の動物ではない。もっとずっと、神がかった悪意を、ときにかいま見せる。


 母親と夫にてられたその女は、目の前で泣きくずれていた。

 アオイはもう、手をさしのべてやることもできない。

 エリバーが、ひざまずいた。


「私がつきそいましょう。一緒に船に乗り、ともに安息あんそくの地へ」


「……あわれんで、あんたが面倒めんどうみるって?」


「最後まで、そばにいます」


 ひとみをひらき、アオイはうろたえた。彼は、いったい何を言い出すのか。

 だが、しゃがむ男のうしろ姿は落ち着いている。

 やがて、女は指で涙をぬぐい立ち上がる。


「おことわりだ!

 会ったばかりのオヤジの同情なんて……。

 ひとりで行くよ」


 アオイがおうじる。


「あの地で肉体を返せば、たましいは休まります。この世にいどむ機会も、またられましょう」


「そうする。こんな人生もう、うんざり!」


 そう言って、女は船の方を向いて、桟橋さんばしへと歩いていった。



 船は海原うなばらへと去り、アオイがふり返る。


「エリバー。さっきはどういうつもり?

 本当にあの人と行こうと思ったの?」


 壮年の男は動じず、おだやかなみを浮かべる。


「アオイ様ははじめ、『てられた人』と、言おうとしましたね?

 だから、私が彼女を一途いちずに求めれば、少しでもいやしになるかと」


 アオイの目がするどくなる。やはりやすい同情なのか。

 だが、エリバーはほろにがい笑顔で続ける。


「わかるのです。私も同じだったから。

 誰かに、少しでも求められれば、不思議と足が動くものです」


 そう言って彼は、今度は熱いまなざしで、アオイを見つめた。


 くるりと彼女は背を向ける。

 彼が去りゆくことを想像し、まだ胸の奥がズキズキいたむ。

 頭が混乱していると、自分でもわかった。


 それから数日、アオイはエリバーとろくに口もきかなかった。


     ◇


 ふたたび、夕焼けがらすたそがれの砂浜。

さかのぼり』をへたエリバーは、アオイが見たこともない美青年になっていた。


 これまでふたりは、いつエリバーが安息あんそくの地へ旅立つのか、たがいの気持ちをおしはかっていた。

 しかしそれぞれが顔を赤らめ言いよどみ、日々はぎていた。


 その日、エリバーはアオイに全てげたいと申し出たのだ。


おもいを、聞いてほしくて」


 アオイのひとみれて光る。

 エリバーは静かに語る。


「私は、思いをかなえることができました。

 いつからか、あなたのそばでささえることを願い、これまでそうやって過ごせた」


 いたずらっぽく、アオイが微笑ほほえむ。


「しばらくしたら、私があなたを子育てするかも」


 男も微笑ほほえみ、寄せる波へと目をそらす。


「いつからか……なんと言うか……その先も願うようになりました」


 アオイは、高鳴たかなる自分の胸の音が聞かれるのではないかと、ひやひやした。

 男はまっすぐ彼女を見つめる。


「好きです。このうえなく」


 だがしかし、顔を上げたアオイのほおに涙が流れる。

 うでを広げ、薄絹うすぎぬころもあおかみける。


「私もあなたが好き。でも、私は––––」


 エリバーはアオイのくちびるみずからのくちびるかさねた。やさしくうでを回し守るように体をつつむ。

 彼のくちびるやわらかく、アオイは頭がくらくらとした。夢中になって、求め合う。

 背中に感じる手のぬくもりに、肌がふるえる。


 波打ちぎわで、かたく抱きしめ合うふたり。

 しかし、ふいにエリバーの肉体がアオイの体に沈む。背中にまわした腕も、寄せる顔もまるで水にひたるようにアオイの中へとって、消えた。

 あとには何も残らず、彼女はくういた。


 アオイは、ひざからくずれ落ちる。

 砂に、涙のしずくが落ちる。

 そして絶叫ぜっきょう


「私は、エルフの水ラコセルフ! 七つの海とつながる精霊! もう人では––––」


     ◇


 エリバーと呼ばれたたましいは、深い青の中で意識いしきがさめた。


「ここはどこ?」という思いも、もやもやとはっきりしない。

 だが、すでに重い肉体を返し、軽くなった自分に気づく。

 そして感じる、彼女の存在。

 とりまくあたたかい海の中、あちこちに彼女はいた。


 いつしか、そそぐ白い光に目をうばわれた。

 はるか上、ゆらめく水面の向こうにある、丸いひかり


「月だ」


 そう思った刹那せつな、光に向かって無数のまばゆい魚がはねる。

 見渡みわたせば、魚ではなくたましいれだ。

 なつかしい者もいる。

『与えられなかったたましい』。こちらをやさしく見つめる。

うばわれ、てられたたましい』。なにかを求め、ひたむきに水面を目指す。

 ほかも、あのひとと見送った者らのかがやき。


 かつて『かなわなかったたましい』も、ちからがみなぎる。光の中へとつき進んだ。

 新世界へ、いどむのだ。


 そうしてそれは、アオイのことを、忘れてしまった。


     ◇


 砂の上を裸足はだしでよろめく。

 涙のしずくが、髪を、指先をらす。

 浜辺をさまよい、アオイは絶望する。


 どうして。

 これほど生きていても、ふと誰かを愛してしまう。私はもう、人ではないのに。

 無数のたましいとつながり、語り合えるのに。

 大切なひとりを失うと、さみしくて消えてしまいたくなる。



 砂にふせるアオイは、ふと夜空の明かりに気づいた。

 大灯台だいとうだいに炎がともり、赤あかとかがやいている。

 おどろく顔に、かすかなみがもどった。


 弟が、帰ってきたのだ。




 なぎさのアオイは、流される。

 人の気持ちによりそい、ささえようとする。

 みずから心をかたくしてれることはない。

 どれだけのときをへても、心のうるおいがれることはない。

 彼女はそんな、長命の種族。



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エルフの水 その海いずこもつなぐ 王立魔法学院書記官 @royal_academy_secretary

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