エルフの水 その海いずこもつなぐ

王立魔法学院書記官

前編: アオイの渡し

 水平線の夕焼けが、ふたりをたそがれ色にめる。


 暗い砂浜に、素足すあしでたたずむ。冬の海でも薄絹うすぎぬころも。もはや半透明のあおい髪は、こしまで届く。

 彼女の名はアオイ。

 森に住まう古代エルフと、古代の王との間に生まれた、ハーフエルフ。


 アオイは、うしろの影にふり返る。


「なに?」


 と、彼女は彼をうながした。日暮れの今なら、その先の話を聞いてもいいと思った。

 赤くまるほおを見られなくてすむから。


 彼は、意外な答えに動揺どうようする。だが端正たんせいな目元を上げた。


おもいを、聞いてほしくて」


 アオイの胸の鼓動こどうが高まる。

 いつぶりか思い出せないほど、久しぶりに、人の気持ちを受け入れる。

 れたひとみはひらき、期待と不安でれた。

 彼女は今、告白される。


     ◇


 ときを戻し、数百年前。

 ひと最期さいごおとずれる、さいはての海。

 その浜辺に、ひとりの老人がたどりく。足腰は弱り、潮風しおかぜにさらされるのもつらい顔。


 むかえるのは、人をあの地へと送るアオイ。

 いつも通り彼女はげる。


「ようこそわたし場へ。今からこの船にのり安息あんそくの地へとお帰りください。

 あなたは最期さいごに、なにを思いますか?」


 しかし、老人は首を横にふる。


「乗れません。こんなはずでは……。私は、この世で思ったことを何一つできなかった」


「あなたは……『かなわぬひと』でしょうか?」


 それには答えず老人は、海岸のあなの方へと足を引きずる。船にのる気はないようだ。

 たまにそういう者がいるとはいえ、アオイはこまった。

 見ると、老人は洞穴ほらあなの入り口にこしかけ、風にふるえている。

 あれでは、あの地とこの世のはざまにあるこのなぎさで、つらい思いをためこんでしまう。



 その夜。

 わたびとらが休む、大灯台だいとうだいの下の洞穴ほらあな


 き火の前で、アオイがささやく。


「『さかのぼり』の術を使おうと思って」


 風をへだて、穴の中はほんのりあたたかい。

 奥で眠る、老人のかすかな寝息ねいきが聞こえる。

 だが船大工ふなだいくのシンバは聞きずてならず、光る目をあげた。


「私は反対だ。ひとえられるわけがない」


 アオイはうつむき、つやのある碧髪あおがみが顔をかくした。

 何人なんにんかの、長命のわたびとたちが足を伸ばしだんをとっている。

 年々、仲間の数が減ることをうれいながら、シンバは続けた。


「私も、残り200年もいないだろう。船は作り置くが、同族に手伝いを求めてはどうか? 

 なにもひとたよらずとも––––」


「そうではないの。手伝いが欲しいわけじゃない。

 私……私には弟がいるから」


 そう聞いて、シンバはあきれる。


「アカネのことか? 彼はあなたとはちがう。

 自由気ままだ」


 アオイは、船大工が弟をかろんじても、相手にしなかった。

 そもそもシンバは誤解ごかいしている。彼女より自由な者などこの世にはいないのだ。

 アオイがつながる海は今も広がり、いつでも月を追うことができる。

 さみしいはずがない。

 彼女はただ、あの老人に少しだけ活力かつりょくもどしてやり、みずから船にのってくれればと、そう考えていた。

 人恋しい思いなど、はるか昔のことだ。

 そう彼女は考えていた。このときは。


     ◇


 ときをへて、百数十年前。

 さいはての海に、老婆ろうばがたどり着く。人の良さそうな笑顔だが、どこかさみしげ。みずからのうでいた。

 アオイはげる。


「ようこそ。今からこの船で、安息あんそくの地へお帰りください。

 あなたは最期さいごに、なにを思いますか?」


 老婆は遠い目を、おだやかな海へ向ける。


「なに思うって、そうね……。

 わたし、ひとにふれたことがほとんどなくって。

 親は早くに死んだし、生きるために働くばかりでだれとも––––」

 

 老婆の細い肩がふるえ出す。

 アオイは目を落とし、つぶやいた。


「あなたは……『あたえられない人』ですね」


 はっと老婆が泣き顔をあげる。

 とその時、初老の男が前に出た。


「ならば私がさずけましょう。

 できるかぎりのものを」


 そう言うと、男は老婆へゆっくりと指をのばす。

 こわがる顔で、老婆もふるえる指をあげた。

 二人は、おそるおそる指先をれ合う。指がからみ、手をにぎる。それから老婆は、男の胸もと、かわいたはだへ飛び込んだ。

 二人はやさしく、しっかりときしめ合う。

 老婆のほおを、とめどなく涙が流れる。


「そう。このぬくもり。あぁ……お母さん」


 二人を見るアオイの髪が、日にける。

 彼女は不思議に思う。

 かつて、乗船を拒否した男は若返り、わたしのつとめをこなしている。

 ときには、彼女よりたくみに。

 ふとつとめを思い出し、彼女は語った。


安息あんそくの地で、ご両親やえんある人と会えるでしょう。

 ゆっくりたましいを休めたら、またこの世にいど気力きりょくもわきましょう」


 そうはげますアオイの笑顔を見ると、老婆と初老の男も、笑顔になった。


     ◇


 さらにときをへて、数十年前。

 さいはての海に、女がたどりく。かつて美しかったはずの顔だが、目つきがけわしい。浜に来るには、わかすぎる。

 アオイはげる。


「この船で、安息あんそくの地へとお帰りください。

 あなたは最期さいごに、なにを––––」


 女が口をはさむ。


「どうもこうもないよ。

 このまま終われない!」


 アオイが、静かなまなざしでささやく。


「あなたは、『す……」


 アオイが言葉につまると、壮年に若返ったかつての老人、エリバーが彼女を見つめた。

 アオイは声をしぼり出す。


「あなたは……『うばわれた人』」


 しかし、エリバーにはわからない。彼は、女にたずねる。


「どうされたのですか?」


 うでを組み、女は忌々いまいましそうに、あらぶる海をにらむ。


「……旦那だんなをとられた。幼い日の思い出も」


「それは……いったいだれに?」


 問いただすエリバーに、さっとアオイがふり返った。泣きそうな顔を横にふる。

 しかし女は、まっすぐふたりを見返すと、言った。


「わたしの母よ」


 呆然ぼうぜんとするアオイ。

 その横顔を、壮年エリバーは深いまなざしで、いつまでも見つめていた。

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