二冊目の熾天書

プロローグ

「団長。残り三十分ほどで、王都ヴェロネーゼに到着いたします。御準備のほど、よろしくお願いいたします」

「んー?」


 突然鼓膜を揺らした部下の声に、俺は目元を覆っていたアイマスクを外して流れ良く窓の外の景色を見た。丈の短い草花に、不規則に立ち並ぶ木々、それらの自然に身を落とす野生動物の数々……。とても国の中心とは思えないほど自然が広がる光景。しかし窓を開けて顔を覗かせれば、進み続ける馬車の前方に何やら街のようなものがあることが確認できた。恐らく、あそこが目的地なのだろう。

 窓を閉め、俺は窓枠に頬杖をつきながら、対面の椅子に腰を下ろしている部下に言った。


「随分と早いな。もっと惰眠を貪れるものだと思っていたんだが」

「これは王家が所有する馬車と、身体が頑丈な上に足が速い特別な馬に引かせていますから。通常の馬車よりも到着が早くなるのは当然のことです」

「流石は王族。いい物をお持ちで……ま、俺が空を飛んだほうが速いけどな」

「それは一定以上の位階の魔導書を持つ魔法士ならば、全員がそうでしょう。魔法を使えば、大抵のことはどうにでもなります」

「良いことでもあり、悪いことでもあるな。しかし……」


 眉根を寄せながら口を歪め、俺は玩具で遊ぶ餓鬼のような気分になりながら言う。


「態々馬車で送ってもらわなくとも、俺が一人で行けばよかった気もするが」

「それは絶対に止めてください」


 部下の男は顔を青褪めながら、俺の言葉を否定した。わかっているが、こういう反応を見るのは少しばかり面白いな。


「国に仕える魔法士が単身で他国に……しかも、魔法士の頂点に君臨する『天神』の一人であらせられる貴方が行けば、戦争と捉えられても不思議ではないのですよ?」

「はっはっはッ!! 別に本気で単身で乗り込むつもりはないから安心しろよ! 俺は別に彼の国に戦争を仕掛けに行くわけじゃないんだ。そういう面白そうなことは……もっと人数が参加しないと退屈だろう」

「……戦争は、楽しむものではありませんよ」

「何を言う。戦いは最高に心が熱く燃える最高のイベントじゃねぇか。お互いが凌ぎを削り、最高に感情が昂り、生きるか死ぬかの短くも濃密な時間を感じ合う……いい。熱く燃えるのは、生を受けた者ならば体感しなくてはならないことだ」


 人間は死を目前にした時、最も生を感じる。戦争という常に命を落とす可能性がある舞台に身を置けば、常にそれを感じ続けることができるのだ。そして、その中で生き残った者が、魔法士として、また命あるものとして更なる高みに行くことができる。

 と、俺は考えているのだが……どうやら部下はそうは思わないらしい。


「争いは無いに越したことはありませんよ。無駄に命が散る戦いなんて、あってはならない」

「お前はとことん平和主義者らしいな、アファル。俺の側近ならば、もっと命のやりとりを楽しめ」

「それは私の性に合わないことですので」

「つれないな」


 俺は三つ年上の部下にぶっきらぼうに言い、再び窓の外へと視線を移す。先ほどよりも、街が近づいてきたな……と。


「それにしても、驚きましたよ」

「何がだ」

「貴方が突然王国……スネイエルス王国に行くと言ったことが。てっきり、貴方は彼の国には興味がないものだと思っていたのですけれど」


 視線は外に向けたまま、熱くなってきた胸に手を当てる。


「一応あの国……今は領土内に足を踏み入れているから、この国か。とにかくスネイエルスは七つある大国の一つだからな。つまりそれだけの魔法士戦力を有しているということ。興味が全くない、というわけではない」

「ふむ。しかし、この国は他の六か国と違い、大国の中では唯一熾天書セラフィムの魔導書を有していません。熾天書は一冊で智天書ケルビム二十冊分の力があると言われています。如何にこの国が智天書を多く有しているからと言って、大国というには戦力に乏しいのは自明の理ですよ」


 部下の言うことは尤もだ。

 スネイエルス王国には熾天書はない。それはこの国が外部に対して宣言をしており、事実過去の戦争においても熾天書が投入された記録はない。だから、恐らくそれ自体は事実なのだろう。

 しかし……国は時間の経過と共に変わるものだ。


「確かに、スネイエルス王国は大国の中で最も魔法士戦力が低いと言ってもいいだろうな。だが、それは今までの話だ。アファル、お前は熾天書が世界に何冊あるのかを知っているか?」

「? 現在確認されている六冊なのでは──」

「違う」


 言葉を遮り、俺は部下の誤った情報を正した。


「正確には、七冊だ」

「七冊、ですか」

「あぁ。世界で初めて魔導書が発見された場所で発見された最古の文献には、熾天書は全てで七冊と記されている。残り一冊、行方不明の魔導書の所在……ここまで言えば、どうして俺がこの国を訪れたのか、わかるな?」

「ま、まさか……」


 流石に理解したらしい。驚愕に目を見開き、部下は口内に溜まった生唾を飲み込んだ。


「残りの一冊を、スネイエルス王国が?」

「まだ確証はないがな。もしも仮に、本当にこの国が最後の一冊を持っているのだとしたら、それを諸外国に公表しない理由もわからない。公表すれば、これまで七か国中最も弱かったスネイエルス王国の発言力は一気にトップに躍り出る。隠し玉にしているのか……もしくは、魔法士自身が姿を隠しているか」

「政府も把握していない、ということですか」

「ああ。実際、政府に申し出れば面倒なことは多いからな。俺も、当時は結構面倒事に巻き込まれた。今は色々と優遇される面が多いから、甘んじて国に仕えてはいるが。俺みたいに素直に国に仕える奴のほうが珍しいほうだし、姿と力を隠していたとしても、俺は何ら不思議には思わねぇ」

「と、なると……団長は熾天書を持つ新たな『天神』を探すために?」

「そういうことだ。まぁ、簡単に見つかるとは考えてないが、ちょっとばかし探してみるのも一興だと思ったわけだ。何せ、数少ない強者だからな」


 俺と魔法戦で一騎打ちすることができるのは、全世界で五人。それが、六人に増えるというのだから、顔を見ておくくらいのことはしてもいいだろう。

 昂ってきた感情を何とか抑制していると、部下は純粋な疑問を口にした。


「それにしても、どうしてこの国に熾天書があると?」

「何、別に変なことはしていないさ。ただ──」


 俺は右手を突き出し、甲に特徴的な紋章──契約した魔導書の紋章を浮かび上がらせて見せた。


「俺の相棒が、この国にいると言っているからだ」

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何と言われようとも、僕はただの宮廷司書です。 安居院晃 @artkou

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