CODICE3 黄金色のスイートポテト

 僕らが奪還するのは、シルヴィオという十歳の少年だ。


 ガラスケースに入ってる間は決して動かないように、とガッティーニに言い含められているらしい。子供らしく、律義に言いつけを守っているわけだ。

 白シャツに蝶ネクタイ、黒の膝丈パンツという、いかにもなフォーマルウェアに身を包み、ケースの底板に固定された木製の椅子に座っていた。


 しかも、彼は耳が聞こえないそうだ。

 ケースの外のあらゆる音に反応せず、じっと座り続ける、色素の淡い人形のような外見。その本質は、辛抱強く、体力と胆力を兼ね備えた少年と言えるかもしれない。


「買い手が決まったよ。買取の日時も相手もわかってる。って、実は相手は変装したシレアだけどね」


 ホテルに身を隠してる僕の所へ来た世衣せいさんは、ベッドの上に詳細が記された資料を広げ始めた。


「厄介なのは、直前まで場所が知らされないこと。事前調査ができないから、シレアから連絡あり次第の迅速な行動が鍵になる」


 シレアと僕が去ったことで、ガッティーニはかなりピリピリしてる。世衣さんは何度か屋敷を探ってるが、やはり取引の場でないと少年を救出するチャンスはなさそうとのこと。



 三日後。いよいよ取引の場所が通達された。

 レッジョ・ディ・カラブリアの隅に位置する、取り壊し予定の多目的ホール。客席数は六百ほど。

 僕は世衣さんと現場へ急行した。シレアが手配した警察官チームに合流する手はずだ。

 僕の「貧乏神」が、こっち側へ悪影響を及ぼさないよう祈るばかりだ。



  ◇ ◇ ◇



 ホールへは現在、買い手であるシレア一人しか入場を認められていない。

 代わりにガッティーニも護衛はつけず、今ホールにいるのはやつ自身とシルヴィオだけ。

 シレアの護衛に扮した警察官チームとガッティーニの護衛チームは、エントランスのすぐ外で、距離を取って静かに睨み合っている。僕と世衣さんは、施設から通りを隔てた街角に身を潜めてチャンスをうかがっていた。


 シレアが身に隠したマイクが音声を拾う。

 ガッティーニとガラスケースに入った少年は、ステージ上にいるらしい。ガッティーニがケースの扉を開け、シレアに、ステージへ上がって商品を確かめるように促す。


 シレアは階段に足をかける。

 靴音が五段分響いた時、突然空を切るような鋭い叫びが上がった!


 一瞬の静寂の後、


「突入!」


 警察官の合図とほぼ同時に発砲が始まった!

 両陣営が施設前で左右に散開し、間に何発もの銃弾が飛ぶ。硝煙のむせるような臭いと、連続して響く乾いた破裂音。僕と世衣さんも銃を構え、車や植え込みなどに身を隠しながら施設のエントランスに駆け込んだ。


 僕たちに続いてガッティーニの護衛が館内へ飛び込もうとした時。凄まじい轟音が鳴り響き、巨大な塊が飛散して一帯を覆いつくした。施設外で看板が、さらにエントランスで巨大なシャンデリアが落ちてきたのだと、数秒後に理解。嘘だろ。


「さすがけいちゃん!」


 これも僕のせい? いや、たぶん取り壊し中だからだ。気を取り直し、粉塵の中をひた走る。館内のロビーを突き抜け、ホールの扉を開け、銃を構えながら観客席の向こうのステージを見る。


 ステージ上には、スポットライトを浴びたガッティーニがいた。調子よく勝ち誇ったような顔。ステージ左側の階段下に、うずくまったシレアがいる。


 ガッティーニは左手で少年の襟を、右手で少年が座る椅子の背もたれをつかんでいた。少年は上半身と両足をダクトテープで椅子に縛りつけられている。その椅子が大きく傾けられて、今にも倒れそうだ。ガッティーニによって、首を前に突き出した格好になっている。


 僕と世衣さんは銃を前方に向けながらステージへ近づいた。


「ガッティーニ! その子の椅子を起こして、両手を上げな!」


「何だセイ、お前もそっち側だったか。でも残念だな。シレアはこのとおり、もう虫の息だぜ」


 世衣さんに向かって、何の動揺も見せずに答えるガッティーニ。


「うまく騙したつもりだろうが、お前らが来ることぐらい想定済みさ! ガッティーニプロデュースのショーステージ、気に入ってもらえたかな?」


「あんたの自慢のチームは全員潰れたよ。言うとおりにしな!」


「おっかねえなあ。シレアがどんな目に遭ったか、ステージへ来て確かめちゃどうだい」


「ダメだ! セイ、離れろ!」


 シレアはまだ息がある! ガッティーニは舌打ちすると、少年の首を更に前方へ突き出した。


「撃てるものなら撃ってみるがいいさ。この子がどうなるか知りたければな」


「撃つな! このステージには網状のワイヤーナイフが張り巡らされてる! やつが手を離せば、シルヴィオはワイヤーに倒れ込んでサイコロになるぞ!」


 悪趣味な……!


 言われてみると確かに、ガッティーニたちの前にうっすらと細い網が見える。ステージ左側のシレアが切られたということは、左右にまでワイヤーが伸びているということ。ワイヤーの網がステージを、二人をぐるっと囲んでいることになる。


 人質の少年は動かない。声も漏らさない。ただ淡い色の瞳で、どこか一点……恐らく目の前のワイヤーを見てる。その瞳が揺れた。今にもこぼれ落ちそうなほど、震えて僕を見た。


 シルヴィオ。こんな男に運を握られた、可哀想な子供。その悪運、僕が代わりに引き受けてあげるよ。


 僕は銃を下ろし、声を上げた。


「僕が代わりにそっちへ行く。その子は解放してやってくれ。売り物の顔を刻むわけにいかないだろう?」


 ガッティーニは悪魔の微笑で口角を上げる。


「いいぜ。銃は置いてこっちに来い。ステージの上にって意味だけどな!」


 下卑た笑い声が響く。僕は迷いなく足を進めた。


 僕の後ろには、幸運の女神を味方につけた女性がいる。こんなに心強いことはない。


 天井で、何かが揺れた。

 ガッティーニのニヤニヤ顔が更に歪む。

 頭上から、何かが落ちてきた!



  ◇ ◇ ◇



 ホールに激しい音が響く。

 落ちてきたのは会場の左右に長く渡された照明装置。それだけじゃない。

 僕の体の一部が切り裂かれた。

 床上でさらに、生き物のようにのたうち回る細長い凶器。

 どこにも繋がれてない、まるで毒蛇のような何本ものワイヤーナイフだ。


「調光室!」


 世衣さんが仲間に叫んだ。そこに、ワイヤーと照明装置を落としたガッティーニの部下がいる。


 不意に照明が消えた。闇に乗じて脱出するつもりか。

 でも僕は、消える直前にステージを見た。

 落下物が舞い上げた粉塵の中。細く浮かび上がった、ワイヤーナイフの全容を。


 闇の中、走る。ガッティーニの影を目指して。

 ステージの端に手をかけ、そのままの勢いでステージ上に飛び上がる。


 全身で、僕はワイヤーの中に飛び込んだ!



  ◇ ◇ ◇



 思ったとおりだ。

 ガッティーニがいた場所の前だけは、ワイヤーナイフじゃなくただの細い糸だった。しかもガッティーニの体のサイズに合わせてある。自分だけはすぐに逃げ出せるように。

 僕は身をかがめ、糸をぶち切ってガッティーニと少年へ同時に飛びかかった!


「フゲッ!」


 ガッティーニの呻きと共に、全員がワイヤーナイフとは逆の方向に倒れ込む。

 闇の中、ガッティーニの短い手足が僕から逃れようと暴れる。殴って押さえつけるも、胸元に痛みを感じてすぐに身を離した。


 ガッティーニの荒い息に、「グヘヘヘッ」という勝ち誇った笑いが加わる。武器を持ってるのか。避け方を間違えればシルヴィオが危ない。

 闇に慣れてきた目に、ナイフがわずかな光を見せる。

 ガッティーニが、その刃先を突き出して向かってきた!


 その時、ステージが再びライトに照らされた。

 直後、ガッティーニが喚きながらナイフを落とした。

 僕は一歩前へ出た。

 右拳に力を込める。

 たるみきったボディへ、渾身の一撃!


 倒れ込むガッティーニ。

 観客席で、世衣さんがスリングショットを構えていた。ワイヤーの網目を通す、見事なコントロール。


 僕はナイフを拾い、少年を縛りつけていたテープを切ってあげた。

 凍りついていた表情が、やっと柔らかな笑みをこぼした。



  ◇ ◇ ◇



 シレアは深傷を負っていたものの、幸い命に別条はなく。

 僕は世衣さんに言われるまで、自分があちこち切られていることを忘れていた。言われた途端に激痛が走ってその場に倒れ込んだ。

 情けない寝姿を見られたのは、これで二度目だ。



 病院のベッドで、世衣さんが差し入れてくれたスイートポテトタルトにかぶりつく。

 横には同じようににこにこしながら食べている子供。

 世衣さんがフードを脱がせてあげると、少し茶色が混ざった銀髪と血色のいい肌が現れた。


「ガッティーニも捕まったことだし、シチリアの両親の所まで送ってあげようと思って。シチリアの太陽の下で、きっととっても元気な子に育つよね」


 芸術的な儚い人形は、活力と未来に満ち溢れた普通の男の子へと成長を遂げていく。

 こんな幸運があるだろうか。


「世の中には、ガッティーニの他にも価値ある人間を利用しようとするやつらがたくさんいるんだよ。京ちゃん、一緒にそいつら捕まえに行ってみない? 京ちゃんと一緒なら、わずかな可能性でもひっくり返せるような気がするよ」


 悪運を、好機チャンスに変える。


 不運続きの僕の人生に、幸運の女神が風を呼び込んだ。


 その日窓から見上げた月は、まばゆいばかりの黄金の光を放っていた。

 一緒に食べた、スイートポテトタルトと同じ色だ。




<fine>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スイートポテトと黒い月 黒須友香 @kurosutomoka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ