エピローグ 創世
*
「岳、眠ったのかい?」
しゃがれた声の質問に、思わず、瞑っていた目を開けた。小笠原達也。IWOの生みの親の一人であり、あの戦いで共に戦った戦友――タツでもある。
「いえ。ただ、懐かしくて」
月日は流れ、5年が経過した。
「ねえ、タツじいちゃん。それで、どうなったの?」
小さな妖精たちがチョロチョロと足元を動く。この子たちは、対ゼルダンアーク用に製作された人工知能のCPUだ。目の前の老人は、まるで孫に読み聞かせるようにあの時起こった出来事を回想する。
「どうなったって……それで、始まりじゃよ」
「ええっ! 終わりじゃなくて?」
「フォッフォッフォッ……そう簡単にはいかんよ。結局、上村冬馬の攻撃はユグドラシルを……神町木乃香の思考を止めるまでには至らなかった。彼は、失敗した。だから、お前たち守護精霊が存在しないしておるんじゃ」
クラウン・レ・フー、神町陽一は半身を犠牲にして彼女を守り、もう半身を抱えたまま虚空へと消えた。誰よりも愛した娘と離れなければならないほど、消耗したと言っていいだろう。しかし、奴は絶対にここへ現れる。現実世界を破壊するために、上村冬馬を亡き者にするために……神町木乃香の側にいるために。あいつはそういう男である。だから、お前たちはこのユグドラシルの守り人に選ばれたんだと、タツは優しく子どもたちの頭をなでる。
「ねえ、岳。冬馬は死んじゃったの?」
「……いや、今も戦ってる。たった一人で……たった一人と……いや、そうじゃないな。あいつは、世界中の人々と共に……戦ってる。そのお陰で、俺たちは――現実世界の人々は悪の組織ゼルダンアークと戦える。冬馬が……ここにいるから」
視界には、ユグドラシルが広がっていた。その中心の穴には、まるで白雪姫のように眠っている神町木乃香と、手を必死に伸ばしている上村冬馬。透き通ったベールに包まれながら、もうすでに5年静止していた。あいつはこのまま微動だにしない。彼女を倒そうとした最期の一撃は、結局は彼女のもとまで届かずに止まっている。
冬馬の意思が、ユグドラシルに入りこみ、現実世界の人々に覚醒(アルク)をもたらした。ゼルダンアークの怪人やモンスターたちの殺戮は終わっていない。人口は激減し、日々その脅威に人々は怯えて暮らしている。だが、あいつはそんな彼らに希望をもたらした。悪に対抗する力をもたらした。
「このユグドラシルを破壊すればいいんじゃないの?」
守り人たちの無邪気な問いに、思わず苦笑いを浮かべてしまう。天才である小笠原達也がこの子たちを、幼く無邪気に造ってしまった理由がわかる気がするから。ここは、大人たちだけが住むには、あまりに寂しい。
「ほっほっほっ。確かに、この超装置を破壊すればすべては終わる。現実世界に跋扈している怪人やモンスターたちも消滅し、世界は平和になるのだろう。しかし……容易にはできんよ。これは、あの天才神町陽一が造った超装置じゃからな」
「タツじいちゃんでも?」
「……ああ、無理だな」
かつて、タツは言った。自分にできることは、驚くほど少なかったと。才能とは残酷だ。小笠原達也は紛れもなく天才だが、神町陽一は次元の違う天才だ。どれほどの差があるというのは、目の前の老人が一番わかっているのだろう。そして、彼には助けることができなかった。どこまでも繊細であった神町陽一の心は壊れ、哀しいまでに狂気的な天才は、現実世界を天国にも地獄にも変えてしまうようなユグドラシルを創り上げた。破滅へのカウントダウンが始まった瞬間だった。神町木乃香の死へのカウントダウンとともに――そして、彼女を助けられなかった世界を、彼は許さなかった。
しかしその頃、もう小笠原達也の時間は残されていなかった。彼自身の細胞がすでに死の病に侵されていたから。肉体がもう間も無く死ぬとわかった時、なんとか精神だけをIWOの世界にもってくることに成功した。そして、神町陽一の暴走を止めるために、ただひたすら待った。彼を止めてくれる存在を……上村冬馬を。
「私は罪深い人間だな」
老人は深いため息をつく。
「なぜですか?」
「さあ、どうしてかな?」
「なんですか、それは」
そうやって笑いながら、不思議と自分にも似た想いが湧いていることに気づく。想えば随分逃げてきた。やるべきことから逃げて、自分の無能から逃げて、現実世界からも逃げてきた。時間は残酷だ。逃げだした自分に同じ機会を与えてくれはしない。立ち向かうことを教えてくれたあいつに――上村冬馬に託すことしか。
「ねえ、他のプレーヤーたちはどうなったの?」
「ああ、みんな頑張ってる……頑張って……生きている」
たまにこうして、あいつの顔を見るだけで、また頑張らなくちゃと思う。逃げずに踏ん張らなくちゃと思う。あの戦いの後、現実世界に戻った時、アビリティを発現した。その能力はIWOでの力をそのまま引き継ぐものだった。世界ヒーロー統治機構『サヴィス』も立ち上げ、怪人やモンスター討伐に勤しんでいる。オルテガさんもマッシュさんも一員として、全国を飛び回ってくれている。
「千紗は元気かい?」
「……いじわるですね。怖いぐらいに元気と言いますか、元気と言うより怖いと言いますか」
あいつ……新井千紗は学校卒業後、夢だった看護師になった。治癒師として支援要求をすると、嫌々ながらも結局は引き受けてくれている。と言うのは建前で毎回会うと喧嘩が絶えない。恐らく、いや多分絶対にあいつは嫁にはいけないと思う。
それぞれが、自分のやるべきことを、やれることをやっている。決して、やりたいことばかりじゃなくても、その世界で必死になってしがみついている。
「……」
冬馬、お前の姿は5年経っても変わらないままなんだな。俺は結構いろいろあって、今では割と大人をしている。こんなこと言ったら、多分ぶん殴られるような気がするけど、たまに全然変わらないお前が羨ましくなるよ。
あの時、お前はゼルダンアークを倒そうとしていた。今でも、そうだと思うし、きっとそうなんだろう。
でも、なんでかな。なぜか、そんなはずないのに。
神町木乃香を……まるで……助けようとしているように見えるのは。
ヒーローみたいに。
END
僕と君とのヒーロー戦記 花音小坂(旧ペンネーム はな) @hatatai
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