異世界からの声が煩いけれど仕事優先していたら話が終わっていた

京泉

第1話 事務員


──聖女様⋯⋯世界を⋯⋯救ってください──


 まただ。ここ一週間ほど幻聴が聞こえる。


「たはは⋯⋯」

 

 私はそんなに疲れているのかとデスクに突っ伏したいのを堪えてひたすら伝票をめくり、キーボードを叩いた。


「私だって助けてもらいたいわ」


 仕事の効率化だ働き方改革だと偉い人たちは声高に宣言するがそんなの下っ端が割りを食うだけだ。

 結局は伝票を集め、専用のソフトに計上してまた伝票を出力して上長に判子を貰って、入力データ一覧をまた出力してまたまた上長から判子を貰う。その上長が仕事の効率化だの言ってさっさと帰り、判子が貰えず仕事が滞る。


 何でもかんでも紙、紙、紙、紙!!

 そして判子、判子、判子、判子!!


 縦割り社会、判子社会の日本企業は偉い人達の意識改革からしないといけないんじゃないの?


「これも追加で」

「そっちの未処理箱に入れておいてください」


 紙の山は減ったと思えば増える無限増殖だ。エナジードリンクを煽るついでに時計を見れば定時まで後一時間。弊社は定時になると事務方のパソコンの電源は強制的に落とされる。働き方改革で事務は残業が出来なくなったのだ。事務は生産性が無い職だからと言うが、事務方が居なければ営業の不在時の受発注も問い合わせの電話も伝票作成も発送もコピー用紙の補給も誰がするんだ? そもそも残業をしてはいけないのではなく「正しく残業をさせ、残業代を出す」これが会社に課せられた働き方改革だろう。


──聖女様応えてください。助けてください──


 ああ⋯⋯もう、人に助けて貰えるのが当然だと思わないで。取り敢えずやってみて駄目だったら助けを求めて。こっちにも事情ってものがあるの。今忙しいの。


──聖女様! お応えくださったのですね! 一週間前から魔物が現れたのです。どうかお助けください──


 とうとう幻聴と会話し始めてしまった⋯⋯いよいよ私の疲れは限界だ。頭を抱えてデスクに突っ伏して冷静になれ冷静になれと自己暗示を掛けるが正直言ってもう帰って寝たい。


「もう疲れた⋯⋯」

「俺も⋯⋯今日は部長の機嫌が悪くて振り回されてる」


 突然降ってきた声に顔を上げれば同僚の松田。

 作成した稟議書に所長の判子を貰わなければ次の工程に移れないのだ。

 営業も大変よね。何をするでも稟議書、判子。

 判子を貰おうとしても上長が捕まらない上にやっと貰えても「なぜもっと早く持ってこない」とドヤされる。


「なあ、西原。帰り飯行かない?」

「いいね。帰ってから作るの今日は無理」


 いい提案だ。元々何か食べて帰ろうと思っていたし。

 残り時間も後僅か。私はパソコンの電源が強制終了されるまでラストスパートを掛け続けた。

「はぁ〜」「はあ⋯⋯」


 私達は二人で溜息を吐いた。

 私の仕事は何とか進んだ。一気に入力し過ぎて目がシパシパする。結局、所長は定時までに現れず松田の仕事は停滞したまんまだ。


「毎回月末月初は忙しい」

「だよな。昔は働けば働くほど身入りが良かった訳だろ? そりゃ頑張るよ。今は無理やり終わらせるもんな」

「そうそう!残業代出したく無いからって強制終了する事ないのに」

「でもサービス残業はしたく無いだろう?」

「当然! ってごめん、営業は、いまだにサービス残業あるんだよね」


 そう、残業代を出したく無いけど仕事をさせたい企業が自分達の良いように解釈して時間内に終わらないのは個人能力のせいだとか何とか言ってサービス残業を黙認している。

 やっぱり働き方改革ってのは頭が化石なお偉いさん達から変えなきゃ何も変わらないわ。


「お待たせいたしました」

「あっカレイの煮付けは俺」

「サバの味噌煮は私です」


 頼んだ物が運ばれてくると私のお腹は美味しい匂いに盛大に鳴り、松田に笑われる羽目になった。


「松田って食べ方キレイね」

「そう? おばあちゃん子だったからかなあ」

「あっじゃあ煮物とか好き?」

「勿論。洒落たツマミみたいな物よりご飯と味噌汁、それに合うおかず!」

「分かる」


 松田はいかにもホテルのバーやらラグジュアリーなカウンターが似合う容姿をしていながらも定食屋に連れて来てくれた。私自身、ご飯が食べたかったのだから有難いのだが⋯⋯定食屋だ。

 いや、定食屋が悪い訳じゃない。私はこう言う場所の方が好き。チラリと松田を見ると彼も美味しそうに食べている。

でも、やっぱり色気がないと思う⋯⋯仕方ないか⋯⋯。だって松田は彼女がいると噂がある。そりゃあ居るよなあ。

 清潔感はあるし飛び抜けてイケメンでは無いが華やかで人受けの良い笑顔と説得力を持たせる真顔のギャプが相手に好印象を与える爽やかサラリーマン。常に人が周りに集まる人気者だ。

 方や私はただの同僚事務員。

 入社時、座右の銘発表で「凡事徹底」を掲げる位に平凡で人並みのことを頑張らなくては人並みになれないほどに「平凡陳腐」なのだ。

 松田とだって同僚でなければ会話すら出来なかっただろう。


「西原、大分疲れてるようだな。箸止まってるぞ」

「へっ? ああ、なんかもう眠さ限界。松田も早く食べて帰らないと待ってる人が居るんじゃない?」

「うん。まあ⋯⋯」


 意味深に笑う松田にチクリと心が痛んだ気がする。

 私は残りのサバの味噌煮を一口で食べて(大丈夫)だと心の中で繰り返す。うん、大丈夫、松田は同僚。それ以上でもそれ以下でも無い。ショックは受けない。


──聖女様、有難うございます。大賢者様を派遣していただいて有難う御座います。


 表情に気を付ける私にまた幻聴が話しかけて来た。夕方までは切実な声だったのに喜びを感じる。派遣かあ⋯⋯余程有能な人材が来たんだな。羨ましい。

 ああ、妄想の方は事が動きそうなのに現実は色々なものが停滞中だ。

 仕事も恋も。上手くいかない。


「じゃあ帰ろうか」


 はっとして顔を上げれば対面にいたはずの松田がレジの前で「支払いは済んでるから」と手を招いていた。

 「ごちそうまさでした」と店の人に声をかけて松田の後を付いて外へ出た後、お財布を出した私に一瞬キョトンとした表情を見せられたが私は自分の分を松田に渡した。


「誘ったんだから奢るよ」

「いやいや私も寄ろうと思っていたから」

「⋯⋯そう? ⋯⋯分かった⋯⋯」


 疲れた顔をしている松田に「お互い今日はゆっくり寝よう」と肩を叩き私達は駅前で別れた。



 翌朝。出社した私は驚いた。

 昨日、所長の押印を貰わなくてはならないデータシートを印刷して纏めてから帰った。

 そのデータシートに所長の押印がされている。それも全部に。

 見回すと皆んなも「押してある」「こっちにも」「あ、赤ペン修正されてる」と声を上げているが所長の席にその姿は無い。行動ボードには⋯⋯「アスガルド」へ直行直帰だと書かれている。


「アスガルド? 何これ。新規案件?」

「そんな新規の話は会議に出てなかったよな」


 同じくホワイトボードを眺めた松田も首を傾げるが、所長が居なくても仕事は待ってくれない。

 私達の一日が始まっているのだ。


──聖女様! 大賢者様がお疲れのようなのです。どうか癒しのお力を⋯⋯──


 相変わらず減る気配の見えない伝票を入力し始めた私の幻聴は今日も絶好調。

 癒しの力ってそんなものが私にあるのなら真っ先に自分自身に使う。そりゃもう企業戦士として二四時間戦えちゃうわね。

 ふと、デスクに並べてある黄色と黒のお友達を手にした。昔は二十四時間だった彼は今では三・四時間戦えば十分だと言う。これも時代だなあ。


(大賢者様にエナジードリンクって効くのかしら)


 そう思った瞬間、手にしていた黄色と黒のお友達が消えたのだ。思わず「えっ!?」と声を上げてしまった私に同僚たちが不安な顔を向けて注目されてしまった。


「どうかした? まさかデータ⋯⋯消えた?」

「へっ? いやいや無事! データ無事!」


 愛想笑いで誤魔化したが背中に冷や汗が流れる。

 何だ今の。

 試しにもう一本手にして(大賢者様にエナジードリンクを)と念じてみた。

 すると、さっきと同じく黄色と黒のお友達が私の手から消えたのだ。


 幻聴と言い、幻覚と言い⋯⋯人間働き過ぎはダメね。


──聖女様! ありがとうございます! 素晴らしいポーションを! これで、大賢者様が元気になられます──


 ああ、消えた黄色と黒のお友達は幻聴の彼方へ行ったのね⋯⋯お役に立てたようで何よりだ。

 たははは⋯⋯結構私危ないんじゃない?



⋯⋯うん。月末締めが終わったら温泉行こう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る