第9話 終わって始まる


 忙しかった月末締めが終わった。

 と、言ってもまた一ヶ月後には同じ締めがやって来るのだけれど。


 頭に響いていた幻聴は「所長に湿布薬を持ってきて欲しい」との要求が最後だった。


──聖女様、大賢者様が湿布薬が欲しいと仰っています。カイギシツへ持ってきてください──


 声は会議室へ湿布薬を持ってきて欲しいと言ってきた。私は大賢者が何故か所長の事だと理解して、松田が持っていると出してくれた湿布薬を譲り受け、松田にはお礼にエナジードリンクを渡したのだ。


 あれから声はもう聞こえてこない。残ったのは不思議な力。

 手が金色に光る事もあるが、大抵何の変化もなく怪我をした人に「治れ」と願いながら触れるだけでその傷が癒たり、調子が悪いコピー機にも「直れ」と触るだけでその不調が直ったりと便利ではある。

 流石に終わらない伝票に「片付け!」と願っても減ることは無かった。当たり前だな。


 チラリとみる所長席には判子を押してくれている所長。変わらないいつもの日常。

 そう言えば、劇団の契約はどうしたんだろう?。契約書の作成指示はないから流れてしまったのだろうか。少し見ただけだったけど外国の劇団の様だったし、日本公演時の話だったのかなあ。


「西原さんと松田君、会議室へ来てください」


 不意に顔を上げた所長が私と松田を指名して来た。私は「ハイ」と答えて同じく不思議そうな顔をした松田と所長に付いて会議室へ向かった。


────────────────────


 大口の契約を取った報告を所長にやっと出来た。「松田君ならやり切れると思いました。おめでとう」と言ってくれ、期待されていたんだとそりゃもう小躍りしたね。

 チラリと所長を見る。のんびりと判子を押している様に見えるが何故か一回り大きくなった気がする⋯⋯体系的な話じゃなく何て言うの? オーラ? とにかく存在が大きく見える。


「西原さんと松田君、会議室へ来てください」


 突然、顔を上げた所長に呼ばれて俺は「はいっ」と答えて席を立った。


 所長の後を歩きながら思い出すのはこの一週間聞こえていた声の事。もう幻聴は聞こえない。


──勇者様、大賢者様がエナジードリンクが欲しいと仰っています。カイギシツへ持ってきてください──


 不思議な事に俺は大賢者が所長の事だと理解していた。西原が湿布薬を持っていないか聞いて回っていたから俺のを渡して西原がくれたエナジードリンクを会議室へ持って行った。

 それが最後で、もう頭に声は響いて来ない。


 けれど俺に不思議な力が宿ってしまった様だ。


 試しに同僚に勢いよくファイルを投げつけてくれとお願いした時は変な顔をされたけれど投げられたファイルは俺に当たらず同僚に跳ね返ってぶち当たった。

 「やり返すなら最初から言え」と怒られたがそれで確信したわけだ。俺にはトラックを止める力、危険や攻撃を跳ね返す力が有ると。

 しかもそれは人に分け与える事が出来るらしく、俺が趣味で作っている樹脂アクセサリーを渡したおばあちゃんもアクセルとブレーキの踏み間違いをした車が突っ込んで来たのに当然急停止したと言っていた。


 大切な人が守れる力⋯⋯なのか分からないけど便利なのは確かだな。


───────────────────


 西原さんと松田君は不思議そうな顔で並んでいます。


「西原さん、松田君。二人に新規プロジェクトに参加して欲しいのです」


 ワタシは二人に事の経緯を話しました。



 ワタシが声に応えてアスガルドへ行き、サーシャさん達の件を片付けた後、ワタシはとんでもない報酬を受けてしまったのです。アスガルドの通貨は日本と違いますからね、頂いたものは何と金塊。

 ワタシ、仕事として受けましたからね、急いで社長に報告しまして、社長にアスガルド国王とウォルフ様に会っていただいたのです。

 国と会社の違いはあれど流石トップ会談。話はトントンと纏まり、ありがたく金塊を保険会社の収益に計上する事が出来ました。


「大所長、まだこれは国の上層部にしか話は来ていないのだがね。この日本のあちこちで「ゲート」と言うものが開かれているらしい」

「社長! それって街にダンジョンが現れたり、異世界へ飛ばされたりですか!?」

「をを、君も知っていたのか」


 知っているも何も、憧れです。突然現れたダンジョンで冒険したり、異世界で冒険したり。

 まあ、今回少しだけ異世界へ行って来ましたけど。


 どうやら、ワタシがアスガルドへ行ったのも「ゲート」が開いたからだとアスガルド国王は仰っておりました。

 ワタシ、アスガルドから帰ってくる時にもう二度と異世界へ行けないのかと嘆いてしまいましたら、サーシャさんから別れ際に「大賢者様はゲートを開く事ができる人物の一人なのです。だから私の所へ来ていただけたのです」と教えてもらい驚いたばかりです。ワタシはアスガルドとビートの有る異世界への「ゲート」を開く番人だそうですからまさに天にも登る嬉しさです。


 そこで入室してきたのが提携している旅行会社の社長さんで、異世界ツアーの企画をしていると説明されました。


「ふむ、こちらの世界の者がアスガルドへか」

「はい。是非ともツアーでお伺いしたいのです」

「楽しいのか? ツアーとは」


 ウォルフ様は子供の様にツアーに食いついて尻尾をブンブン振っておられます。国王も満更ではなさそうで旅行会社の社長さんとアスガルドツアーと日本ツアーについてあっという間に交渉成立と相成りました。


「大賢者様の世界が回れるのであればこれ程有意義なものはないだろう」

「俺も大丈夫か?」

「ええ、こちらの世界でも最近獣人様が多くなって来ておりますから」

「そうか、サーシャと是非参加したい」


 そうそう、ウォルフ様とサーシャさんはご婚約されたのです。結婚式は半年後と聞いてます。

 王太子とアドさんは⋯⋯国王様のお話では離婚はしないが家庭内別居状態だとか。ワタシも奥さんと喧嘩して一人寂しい時間を過ごした事があります。あれは寂しいものですよ辛いものですよ。

 二人の離婚話しが揉める様であれば力を貸して欲しいと言われてますが、何とか国の為に持ち堪えて欲しいものです。


「大所長、アスガルド国王の話では君がアスガルドの大賢者で松田君が勇者、事務の西原さんが聖女だと聞いたが」

「ええ、その様です。サーシャさんの話によるとワタシはゲートを開く事ができます。松田君は勇者の力で危険を避ける事ができますし、西原さんは聖女の癒しの力があるようです」


 松田君と西原さんの力はワタシ見たことは有りませんけどね。サーシャさんが言うのですから。


「そこでだ、うちは旅行保険に異世界特化保険を作ろうと思う」

「それは良いですね」

「松田君と西原さんの力がその通りであれば、うちの保険に入ればアスガルドと日本の旅行が無事故無傷で出来るだろう」


 なるほど、松田君の勇者の力で守り万が一は西原さんの力で癒すのですね。しかも、うちならではの特化保険。これはいけます。



「と、言うわけで、異世界人達の日本ツアーとこちら側の人達のアスガルドツアーに伴い新しい異世界特化保険部門に聖女の西原さんと勇者の松田君が抜擢されました」

「勇者⋯⋯」

「聖女⋯⋯」


 二人は驚きと納得の顔です。これは自分の力を知っていますね。


「所長、お一人で異世界、に行っていたんですね」

「信じられないと言いたいですが、納得しました。所長、どうしてお一人で⋯⋯」

「それは、ですね。お二人とも忙しかったでしょう?部下が大変なのに無理させられません。それに危険かもしれない話ですからね。なにせ異世界ですから」


「所長⋯⋯」


 何でしょう。なんか涙ぐんでます。やはり嫌ですかね⋯⋯異世界、なんてそんなに浸透してませんから。


「是非、参加させてください! 私異世界物好きなんです!」

「俺も! 時間があれば読んでるんです異世界物!」


 おや、二人とも趣味が合いますね。

 ワタシ知ってるんです。西原さんは松田君を松田君は西原さんを⋯⋯って。これはサーシャさんとウォルフ様に続いてこちらも上手くいくかもしれませんね。


「二人ならそう言っていただけると思ってました。それではこれからも、よろしくお願いします」

「はいっ」「ハイ!」


 良い返事をいただけて何よりです。


「では新しい部門の発足祝いに温泉で決起大会でもしましょうか」


 ああ、昔の癖で何てことをワタシは言ってしまったのか。まずいかも、西原さんにセクハラと取られたらどうしましょう⋯⋯。


「是非! 私も温泉行こうと思っていたんです」

「俺も、おばあちゃんを連れて行こうと。ずっと忙しくて一人、家で待っててくれたので」

「⋯⋯待ってる人っておばあちゃんだったの」


 おや、やはりこの二人はうまくいきそうです。




 こうして、新しい部門には勇者と聖女そして大賢者のワタシが配属されました。

 異世界への「ゲート」はあちこちで開かれている様ですし、もし、ダンジョン攻略、異世界ツアーの際には是非我が社の保険に入られることをお勧めしますよ。


それでは皆様。良い異世界、ダンジョンライフをお過ごしくださいませ!

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異世界からの声が煩いけれど仕事優先していたら話が終わっていた 京泉 @keisen

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