第3話 異世界の巫女

 私はアスガルド国の巫女サーシャ。


 アスガルドはとても平和な国だった。

 それが今、隣の獣の国ビートからの攻撃を受け窮地に立たされている。


 人族の国アスガルドと獣人族の国ビートは互いに文化交流を行い長い間友好的な隣人だった。それなのにビートの王ウォルフは「宝物」を取り戻す為だと宣誓布告した。


「サーシャ様、お祈りのお時間です」

「分かりました」


 アスガルドには言い伝えがある。

 

「アスガルドに危機が訪れる時、異世界より勇者と聖女そして大賢者が降り立つ」


 まさに今がその時だと勇者召喚の祈りを捧げているのがこな私だった。


「サーシャ。いつになったら勇者様はいらっしゃるのかしら」


 祈りの間へ行く途中、嫌な奴⋯⋯この国の王太子妃アドリア様に会った。会ったと言うより直ぐそこが祈りの間なのだから「待ち伏せ」されていたと分かる。

 「祈りの力が弱いのではなくて?」と意地悪に笑われ私は俯いた。

 その言葉まんま、お返ししたい。本来は王太子妃の仕事なのだから。


「早くしてよ。本当はわたくしが祈れば良いのでしょうけれど⋯⋯忙しくて。だからわたくしの代わりに貴女に託したのですよ」

「お力及ばす申し訳ありません」


 何が「代わり」だ。表向きはアドリア様に祈りの力が有るとされているが彼女に祈りの力は無い。貴族お得意の裏取引でアドリア様が祈りの巫女として王太子と結婚をしたのだ。


 王家は祈りの巫女を囲いたがっていた。そこで王太子殿下の婚約者に祈りの巫女として神殿で仕事をしていた私の名前が上がり、父の持つ男爵の爵位は下級でも貴族だと婚約させられたのだが、それを良しとしなかった侯爵令嬢のアドリア様は我こそが祈りの巫女だと声を上げ、その力を示した──実際は侯爵家に脅された私が別室で祈っていたのだけれど。

 

 それから私はアドリア様の影として祈りを捧げるよう命じられ婚約解消をされた今でも王宮で祈り続けている。


 私は王太子妃になりたかったわけでも、王太子殿下に特別な感情があったわけでも無かったので婚約解消は願っても無い事だった。言って良いのであれば迷惑でしかなかったのだ。

 これで自由になれると思っていたのに結局はアドリア様の祈りの力の影として未だ自由を手にする事は出来ていない。

 あーあ、早く勇者様達を召喚して自由になりたい。行きたい場所がある。やりたい事がある。


「ふんっ。早く勇者様を召喚しなさい!」


 深くお辞儀をしながら私は舌を出す。

 これくらいは良いでしょう?



⋯⋯なのに。


 どうして勇者様も聖女様も応えてくれないの!

 こちらの声は届いている。二人から流れてくる感情もしっかり受け取っている。それなのに二人とも「忙しい」と言う感情で埋め尽くされ私の声を幻聴だと思い込んでいた。


「どうして⋯⋯」


何度項垂れれば良いのだろうか。私は祈りの間に何日籠もれば良いのだろうか。


「ええっと? 申し訳ありません。ここはどこでしょうか⋯⋯」


 私しか居ないはずの祈りの間にもう一人の声が転がった。いえ、転がったと言うより控えめな怯えたような声だった。

振り返ると大事そうに鞄を胸に抱え、小さ⋯⋯慎ましい身長で、ハ⋯⋯髪が薄く、小太⋯⋯ふくよかで穏やかそうなおじさん⋯⋯おじ様が佇んでいた。

 私には寒いくらいの祈りの間なのに額の汗を拭きまくっている。


「ええっと、貴方様は⋯⋯」

「はいっ。ワタクシ勇気と癒しを運ぶ健者(ケンジャ)保険株式会社の大賢治(ダイ・ケンジ)と申しまして、あっこれ名刺です」

「ケンジャ⋯⋯大賢者、様」

「ええ? いえね、何やら部下に問い掛ける声が一週間前から聞こえましてね。今部下は忙しい時期でして、ワタクシが代わりに参りました」


 何と言うことでしょう!

 勇者様と聖女様に拘り過ぎて大賢者様を忘れていました。

 でも、流石大賢者様。こちらの呼びかけを全て聞いて自らお出ましになるとは。

 

 よくよく観察すれば大賢者の風格⋯⋯かも知れない。開いているのか閉じているのか分からない目は笑っているようで本心が読めないが、その体躯はどっしりとして全てを受け止める慈愛を感じる。

 そして、大賢者様と言えば知識と魔力。

 私はこっそりと「鑑定」の魔法を大賢者様に使った。

 ポゥッと大賢者様の頭上に無限を表すマークが現れ私は驚愕した。ただのデ⋯⋯ふくよかな身体に蓄えられているのは膨大な知識と魔力だ。


「ああっ大賢者様っ。どうか、勇者様と聖女様と力を合わせこの国をお救いください」

「ええっ!? 申し訳ありません。ワタクシの部下は本当に今は動けないのです。心許ないかも知れませんがワタクシ、これでも決定権を持つ役職です。ほら、所長って。お客様に寄り添った解決方法を必ずご提案いたします」


 ドンと胸を叩く大賢者様。


──ああ⋯⋯勇者様、聖女様有難うございます。大賢者様を遣わせていただいて⋯⋯有難うございます──


 本音を言えば勇者様も聖女様もいらして欲しかった。

 けれども今は大賢者様に頼るしか道は無いのだ。



 大賢者様は凄いお方だった。

 私は勇者様と聖女様にも居て欲しいと願った己を恥じなくてはならない⋯⋯。


「一度社に戻らせていただきたいのです。いえ、すぐに戻ります」


 そう言って大賢者様は一度異世界へ戻られた。


 一度帰ると言いながらもどうやって帰るのか不思議に思っていた私の目の前で祈りの間の扉を開けると大賢者様のお姿が消えたのだ。

 此方に戻ってくる際も同じく祈りの間の扉を開けてそのお姿を現した。

 簡単に異世界を行き来するその力を私はこの目で確かに見た。


「いやー。今日中に片付けなくてはならない仕事が有りましてね。終わらせて来ました。さあ、お客様のお話をお聞きしましょう」


 細い目を完全に閉じたのでは無いかと言うくらいに細めた笑顔の大賢者様に私はこの国の置かれている状況を説明し、そのお力をお借りしたいと訴えた。


「ふむ」「はいはい」「それは酷い話ですね」


 大賢者様は全てを悟られている方だ。私の話を想像以上の速さで理解しているようだった。


(なんて凄いの)


「はいはい。分かりました。ではワタクシがお相手にお話をして参りましょう」

「えっ! お一人で敵陣へ行かれるのですか!?」


 パタンと何かを書き込んでいたノートを閉じた大賢者様は「善は急げと申します」と立ち上がった。


「交渉は最初の印象から始まるのです」


 そう言って祈りの間を出た大賢者様はまたお姿を消し、私はそのお帰りを待つしか出来なかった。



「いやー。疲れました。いえいえ話がわかるお相手で良かったです。揉めている時は双方の言い分をしっかりと聞き、互いの感情の落とし所を作るのが我々保険会社の力の見せ所なんですよ」


 大賢者様は昨日お帰りにならなかった。


 何かあったのではないか、まさか囚われてしまったのかと私は眠れない夜を過ごした。

 今朝はいつもの時間より早く祈りの間で大賢者様の安全を祈り続けていた。

 そして開けられた扉から大賢者様がお戻りになられ先程の発言だ。


「そ、それでは⋯⋯ビート国は」

「はい。お相手のウォルフ様は此方の言い分を大部分はお受けくださいました。ですが⋯⋯決断はサーシャ様とお話をした上で決めると仰られてまして⋯⋯どうでしょう?ワタクシも同席いたします」

「ええっ!? 私が? 国王陛下ではなく私が?」

「はい。サーシャ様以外とは交渉しないとの事です」


 困る⋯⋯。あくまで私は祈りの巫女の影だ。表舞台に出る事は出来ない。

 でも、どうして。ウォルフ王は祈りの巫女アドリア様では無く、王太子殿下でも無く、国王陛下でも無く私を指名したのだろうか。

 大賢者様に私の名前を出したのか聞いたけれど「いいえ。今回は所属する企業同士という案件ですので企業名で進めておりますよ」と答えられた。

 企業名、とは「国の名前で」と言う事らしい。


「あれ? ウォルフ様はサーシャ様をご存知のようでしたよ」

「そうなのですか? 私には覚えが無いのですが⋯⋯」


 どうしたものかと大賢者様にお茶を出しながら考えても何も浮かばない。

 大仕事をして来た大賢者様はお疲れのようで「腰が痛い」と腰をさすっていらっしゃる。


「エナジードリンクとか湿布薬って有りますか? 元気になる飲み物と貼り薬なんですが。もし無いのであれば一度社に戻って⋯⋯」

「あっお疲れでしょうし、そのままお待ち下さい」


 私はビートへ単身出掛け、なかなかお帰りにならなかった昨晩の事を思い出し、もし、大賢者様が「社」と言うところへお帰りになってそのまま戻って来られなかったらと不安に思い、急いで勇者様と聖女様に祈りを捧げた。


 お二人が此方へ来られないのなら大賢者様が欲しがるものを送ってもらおうと思ったのだ。


──聖女様! 大賢者様がお疲れのようなのです。どうか癒しのお力を⋯⋯──

(大賢者様にエナジードリンクって効くのかしら)

(大賢者様にエナジードリンクを)


──勇者様、お助けください。大賢者様が腰が痛いと⋯⋯。どうか勇者様、大賢者様をお守りください──

(大賢者様ってのにも湿布薬が効くのかな)

(この湿布薬を大賢者様へ)


応えてくれた! 頑張った私! 次々と現れる異世界の品物に私はガッツポーズを決めた。


「おや、これは二十四時間戦えるエナジードリンクと湿布薬ですね。いただいてもよろしいので?」

「はい! 大賢者様の世界の物です」


 大賢者様は黄色と黒の瓶を一気に煽り、薬らしきシートを腰へと貼り出した。

 やはり大賢者様の世界の物の方がお身体に合うのだろう。「いやーやっぱり効きますねえ」と目尻を下げた大賢者様が少しだけ、ほんの、少しだけ可愛らしくて私は思わず笑ってしまった。


「サーシャ様はお笑いになった方が可愛らしいですね」

「まあっ有難うございます」


(此方へ来ていただいたのが大賢者様で良かった)


 そんな私と大賢者様の和やかな時間は扉を乱暴に開け放ち怒りの形相で詰め寄って来たアドリア様に壊された。


「サーシャ! どう言うことですの! ビート国の使者が来て貴女を呼べと。国王陛下も殿下も貴女を探しているわ。まさか貴女、ビートと密通していたのかしら!?」


 アドリア様と侯爵家に祈りの間のあるこのエリアに監禁され、両親とも会えずにいる私がビート国と密通なんて出来るはずがない。そんな事も考えられ無いのかとガッカリする。


 でも、このまま放って置けば私がビート国と密通していたと嘘をばら撒かれてしまう。侯爵家にはそれが出来る権力があるのだ⋯⋯そんなの嫌だそんな事になれば家族だって無事では済まない。絶対そんな事はさせないんだから。


「大賢者様お願いします。私がビート国と密通していないと証明できるのは大賢者様とビート国の使者様にかかっています」

「はいはい。ご安心ください。ご依頼人をお守りするのも私の仕事です」

「ちょっとこのおじさんは誰よ!」


 大賢者様の魔力を感じられないなんて嘆かわしい。仮にも祈りの巫女を名乗るのなら大賢者様だと分かって欲しかったわ。


「先程、私は大賢者様だと言いました」

「はあ? こんなのが!?」

「失礼ですよアドリア様」

「いえいえワタクシはいいんですよ」


 大賢者様は寛容な方だ。


 さあ、国王陛下の前へ行こう。私は覚悟を決めた。ご指名なら私がビート国と話をしよう。大丈夫、大賢者様が付いている。

 

 そしてそこで全部ぶちまけよう。私は自由を手にするんだから。

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