第2話 営業マン
──勇者様。どうかお助けください──
ここ一週間、幻聴が聴こえる。助けて貰いたいのはこっちだと返したくてもまさかの幻聴とやり合う訳にもいかないだろう?
俺は今、大口の案件を抱えて西へ東へ奔走中だ。並行して既存担当の顧客も管理しながらなのだから殺人的忙しさだ。
おまけに月末月初は締めの関係で営業マンも事務方も慌ただしくなる。
こうやって下っ端が必死で働いてもお偉いさんたちは数字でしか評価しない。いつの時代も行程より結果だ。営利企業なのだから当たり前だが。
──勇者様⋯⋯世界を⋯⋯貴方の勇気で救ってください──
こっちの事情なんてお構いなしに幻聴は突然話しかける。勇気⋯⋯ねえ。そもそも告白する勇気すらない俺に世界を救える勇気なんか無いって。
──勇者様! ああ! お応えくださったのですね。そんな事は有りません! 貴方の勇気でどうか、世界をお救いください──
あー。とうとう幻聴と会話し始めたよ俺。限界かなあ。コーヒーでも買ってきて気分入れ替えるか。そうそう、コーヒーを買いに行くと言う事は彼女の席の近くを通るんだよな。今日はお互い忙しくて一言も交わしていなかったんだ。一日一会話これ絶対達成させる。出来れば夕飯に誘う。
小さく気合を入れて、それでも平静を装って席の近くを通れば「冷静になれ」と呟いて彼女がデスクに突っ伏していた。
「もう疲れた⋯⋯」
「俺も⋯⋯今日は部長の機嫌が悪くて振り回されてる」
そう声を掛けると彼女は驚いた顔を上げる。ああ、疲れた表情も綺麗だし可愛い。
そこで俺は閃いた。疲れているのなら、帰ってから夕飯を作るなんて事は彼女はしないだろう。ここで誘わなくていつ誘う。今だろう!
「なあ、西原。帰り飯行かない?」
「いいね。帰ってから作るの今日は無理」
よしっ! 彼女、西原が了承してくれた。
定時までに絶対仕事を終わらせる俺の気力が充填された。
本来なら所長の押印を貰わなくてはならない稟議書が溜まってて、その帰りを待たなければならないのだが⋯⋯朝見たっきりその姿は無い。
結局、定時を迎えても所長は戻らず、どの道部長にドヤされるくらいならと、俺は西原と夕食に行ってやる気の充電を選んだ。
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西原を連れて行ったのは行き着けの定食屋だ。
「ご飯だ嬉しい」と喜ぶ西原に俺は良かったと胸を撫で下ろした。
「松田って食べ方キレイね」
「そう? おばあちゃん子だったからかなあ」
「あっじゃあ煮物とか好き?」
「勿論。洒落たツマミみたいな物よりご飯と味噌汁、それに合うおかず!」
「分かる」
西原に褒められた。しっかり躾てくれたばあちゃんありがとうっ! しかもばあちゃんがよく言っていた「茶色い物は大抵美味しい」を西原は分かってくれる女子だったよ!さり気なく西原が洒落た物より茶色いおかずが好きだと知れたよ。
いや、本当はホテルのバーに誘おうと思ったんだけど流石にいきなりホテルはどうかと思うだろ? それに今は月末で忙しくて西原は疲れている。何より俺は迂闊にも「部屋を取っているから」とか言っちゃう。絶対。そんな事をしたら一気に勘違いヤローに降格されちゃうし。
でもなあ⋯⋯なんか西原の雰囲気がなんかおかしい。美味しそうにサバの味噌煮を食べているのに表情が晴れない。
(やっぱり俺の事、苦手なのかな)
自分で言うのもアレだが、俺はそこそこ容姿が良いらしく人受けが良い。西原には軽薄な奴だとか思われているのだろうか。
西原は真面目にコツコツと仕事をするタイプだ。
無表情で可愛げがないと一部の奴らが言っているのは知っているが、人の冗談にも笑い、雑用も業務の一環だと率先している。西原はただ真面目なんだ。だから、気取りながら無理をしてバーや洒落たビストロより俺の好きな場所にした。
(やっぱり洒落たバーにすれば良かったのかな)
俺は箸を止めた西原に不安になった。
「西原、大分疲れてるようだな。箸止まってるぞ」
「へっ? ああ、なんかもう眠さ限界。松田も早く食べて帰らないと待ってる人が居るんじゃない?」
「うん。まあ⋯⋯」
ばあちゃんが待ってるけどな。食べて帰るとは言ってある。
──勇者様! 有難うございます。貴方のお仲間だと仰る大賢者様がいらっしゃいました。とても勇気ある方です──
へ? ああ、幻聴を忘れてた。俺の知り合い? が助けに行ったとかなんて都合が良い話だ。現実そんな都合良く物事は運ばないだろ。
勇気かあ⋯⋯大賢者様のその勇気、少しでも俺に欲しいよ。
急いで食べ終わろうとしている西原は眠いと言ったがそれとは違う何処か落ち込んでいる様にも見えて俺は少し寂しく感じた。
それが俺に対してだったのかと決定付けたのは店を出てから。
俺は西原が自分の分だと渡してきた千円札にギョッとした。
「誘ったんだから奢るよ」
「いやいや私も寄ろうと思っていたから」
「⋯⋯そう? ⋯⋯分かった⋯⋯」
ああ俺、嫌われているのかな。西原は仕事だから同僚だから俺と話してくれているんだ。真面目な西原だあからさまに人を避けるなんて事は絶対しないから。
いやいや、後ろ向きに捉えてどうする。だったら仕事で良いところを見せれば良いだろ。
明日こそ所長に押印を貰って絶対に大口の取引を成功させてやる。
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翌日。
出社すると誰も彼もが「解せない」と言う表情で戸惑っていた。
俺も例に漏れず自身のデスクに並べられた稟議書を手にして驚いていた。
「全部⋯⋯押印されてる」
所長の席は昨日と変わらず主人不在だ。
「アスガルド? 何これ。新規案件?」
「そんな新規の話は会議に出てなかったよな」
西原がホワイトボード前で首を傾げていたので隣に並んで俺も首を傾げた。
これで一日一会話達成。
それにしてもアスガルド? なんの会社だ? 所長が自ら動いていると言う事はかなりの大口案件なのだろう。でもそんな話、新規開拓会議では一切出ていなかった。
──勇者様、お助けください。大賢者様が腰が痛いと⋯⋯。どうか勇者様、大賢者様をお守りください──
今日の幻聴は何だか満身創痍の年配者を想像させて心が痛む。ばあちゃんも腰が痛いって言ってるし、今夜は湿布薬買って帰えろう。うん。
所長の姿は無いが、俺の手には押印がされた稟議書。これを部長に提出すれば仕事が動き出す。
今も十分忙しいが成功させなくてはならない。
俺は早速部長へ提出し目の前で「絶対に勝ち取れ」とGOサインを貰って社を出た。
取引先に出向いて手応えを感じた俺は足取り軽く帰社の途中で湿布薬を買って帰る為にドラッグストアに寄った。
「エナジードリンクも一緒に買うか」
ふと、目についた黄色と黒のエナジードリンクを俺は選んだ。一昔前は二十四時間戦えるとか言っていたらしいが今は三・四時間戦えれば十分だな。
この黄色と黒の瓶が二十四時間戦えるか? と謳っていた時代は働けば働く程稼げ、誰も彼もが浮かれていた時代だと聞く。
なんとも羨ましい話だ。
(大賢者様ってのにも湿布薬が効くのかな)
ぼんやりとそう思った瞬間、渡された袋が一瞬にして消えた。
「えっ?」
「三十五円のお返し⋯⋯どうかされました?」
レジの人は俺が既に商品を手にしたと思っているのだろうキョトンとして釣り銭をトレーに置いた。
いやいやいや何だコレ。おかしいだろう? 何で買ったものが消えてんだよ。釣り銭貰ったって事は支払い済んでんじゃん? 品物は⋯⋯無い。何だコレ。
「あっいえ、あの買い忘れが有るので持ってきます」
俺は急いでまた湿布薬を持ってくる。今度はしっかりと袋から目を離さず薬局を後にした。
公園のベンチに座りばあちゃん用に一箱鞄に入れ替え湿布薬の入った袋をマジマジと見つめるが何の変化も見られない。
さっきのは一体何だったのかと頭を抱えて再び(この湿布薬を大賢者様へ)と念じてみた。
するとどうだ。さっきと同じように掲げた袋が一瞬にして消えた。
ははっ⋯⋯俺かなり疲れてる。
──勇者様! 有難うございます! これで大賢者様の痛みを和らげられます──
幻聴が喜んでいる。
そうか、そうか⋯⋯湿布薬は幻覚、幻聴は悪化。俺の精神状態実は危険水準高めじゃね?
⋯⋯仕事ひと段落したらばあちゃん連れて温泉にでも行こう。
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