第4話 所長

 正直、困った案件だなと思ったんです。


 資料を取りに書庫の扉を開ければそこに広がったのはがらんとした広間でした。


 振り向けばいつもの会社の廊下、前を向けば寒々とした広間。扉を閉めて戻ろうかと思ったのですが、広間の奥で一人の少女が座り込んでいたわけです。

 いえね、一週間前からワタシの部下宛に変な声が聞こえていたんですよ。それも「勇者様」だとか「聖女様」って。それで呼んでいたのはこの子だなとすんなり納得出来たから声を掛けたんですけどね。


 普通、変な声が聞こえたら幻聴だとか自分がおかしくなったのでは無いかと心配になると思うんです。けれどワタシ、実は「異世界」とか「選ばれし者」と言うものに憧れを持っていたんですよね。お恥ずかしながら⋯⋯。

 でもね、呼ばれているのは部下の二人で年甲斐もなく羨ましいなあと思っていたら何と! ワタシが大賢者だとか。やっぱりね勇者とか聖女って憧れですよね。目を引きますよね。だからもう一人呼ぶのを忘れていたらしいんですよ。まあ、良いんですけど。


 座り込んでいた少女はサーシャさんと仰りまして、勇者と聖女に来て欲しそうではあったのですが勇者である松田君は重要な案件を抱え、聖女である西原さんは月末締めの追い込みをしている最中であの二人にこれ以上仕事を振れないし、未来がある二人には危険な仕事はさせられません。大切な部下ですから。


 サーシャさんの話ではここはアスガルドという国でビートという国が諍いをけしかけて来ていて、お互いの主張が張り合っている様子でした。

 揉め事の仲介・仲裁は保険会社の仕事の一つ。ああ、これならワタシが出た方がいい案件だと思った次第です。

 現実の仲介は相手の保険会社との交渉になるのですがまあ、なんと言いますか、保険会社同士の力関係があったり、馴れ合いが全くないとは言い切れないんですよね⋯⋯しがらみってものです。


 しかし、ここは「異世界」。ワタシが直接相手に交渉が出来るのです。困った案件から感じたのは待っていたゾクゾク感です。

 変に思われるのですが、ワタシ仲裁が好きなんですよ。落とし所を見つけた時は爽快感が有りますし、罵られ、嫌われる事が苦痛ではないのです。むしろご褒美的な。まあ、これは人それぞれの性癖ですね。



 そして「善は急げ」と言いますし、早速ビート国へ来ましたワタシ。凄いですね。こんな簡単に瞬間移動を体験するとは感動です。

 ワタシ、広間の扉を開くときに「ビート国」と呟いてみたんです。そしたら開けた先は何と、ビート国国王の御前でした。

 異世界に行ったら言ってみたかった台詞「あーワタシなんかやらかしました?」って言えましたよ。実際やらかしましたけど。


 易々とビート国の中枢に登場してしまって、サーシャさんに「交渉は最初の印象から始まるのです」とか言ってカッコつけておきながら(これは本気でやらかしてしまった)と冷や汗が流れるくらい相手は牙を剥いた狼の形相でしたから。


「アスガルドの大賢者⋯⋯? ふんっ。俺に信用して欲しかったら試練をこなしてこい。お前が本物の大賢者なら簡単な事だろう?」


 ビート国の王様ウォルフ様はかなり若いのにさすが王様、横柄でした。

 松田君よりも西原さんよりもワタシの子供よりも若いのではないでしょうか。現代ならフルボッコにされる態度です。もしくは良い年になってもヤンチャなグループで肩で風を切って歩きそうですがここは「異世界」。それも王様なら仕方ない態度でしょう。


 ウォルフ様から与えられた試練はビート山にある王冠を取って来いとの事でした。

 ウォルフ様の頭上には立派な王冠が乗っているのにおかしいなあ、変だなあと首を傾げるワタシにウォルフ様は「王妃の王冠」だと仰ったのです。


「近々王妃を迎える。長年この国では俺の母親が儚くなってから王妃が存在していないのだ。おまけにな、母上は悪戯好きで儚くなる前に王妃の王冠をビート山の祠に隠したのだ。「ウォルフが妻を娶る時に試練を越えなさい」と」


 だったらウォルフ様がやるべきだと思いましたけどね。


「祠までは俺も行けたのだ。だが⋯⋯試練が解けぬ⋯⋯大賢者であれば簡単に解けるであろう?」


 ああ、この人お勉強嫌いなんだ。

 しかし、恐らく強い。力は強い。プヨプヨなワタシとは正反対に引き締まった体躯のウォルフ様は全部筋肉に持っていかれてしまったタイプ。

 どんな試練か分かりませんがこの世界では大賢者。ワタシは「分かりました」とお答えして、ビート国に来て早々にプチ冒険する事になったのです。



 ウォルフ様のお話ではビート山へは丸一日かかるそうですが私には瞬間移動があります。

 都合よく祠には扉が付いているそうなので謁見の間の扉から「祠へ」と呟けばあっという間でした。もちろん帰りも祠の扉から「ビートへ」です。


 結論を言うと簡単に王妃の王冠を手にしました。

 プチどころか冒険してません。


 当の試練と言えば算数でした。それも三桁を足したり引いたりするだけの。その答えの数字でダイヤルロックを外すだけです。

 もしかすると、ウォルフ様だけではなく、ビート国の方々は算数が苦手なのかもしれません。


 扉から出て、扉から帰って来たワタシにウォルフ様を始めビート国の方々が「本物の大賢者だ」と目を丸くしていた光景が気持ち良かったです。困っている方の役に立てるのは保険会社営業冥利に⋯⋯ええ、細々しいお手伝いをして人の懐に入り込むのも営業の常套手段です。


 ウォルフ様はお待ちした王冠を懐かしそうに撫で、お手紙に涙されてワタシまで貰い泣きしてしまいました。

 それからトントン拍子に話が進みサーシャさんが望まれたアスガルドへの嫌がらせをやめて貰えるようにお話をすると「宝物」を返してもらえれば直ぐにでもと仰いました。

 その「宝物」とは何かと伺うとウォルフ様は低く唸りワタシ少しだけ粗相しそうになりましたよ。

 やはり狼は怖いですね。


「アスガルドの祈りの巫女サーシャと直接話して決める」


 驚きました。ワタシ、サーシャさんの事は一切出していなかったのですから。

 今回の件は企業と企業の諍いの仲裁として処理する方向だったので個人情報は絶対に漏らしません。


「大賢者殿、先程は無礼な態度を取り失礼した。今日はビートで過ごしてくれ。王冠の礼をしたい。明日の朝にアスガルドへ出向こう。俺を連れて行ってくれ」


 最初の印象はお互い悪かったのでしょうがウォルフ様は話せばなかなかの好青年。その日の晩はいままで見たこともない様なふかふかのベッドで休ませていただいて贅沢な時間を過ごしました。

 ただ、ふかふかのベッドは贅沢過ぎてワタシの腰に良くなかった様で起きた時に酷い腰痛が出てしまったんですよ。やれやれですね。


 ⋯⋯と、言うわけで翌朝ワタシはウォルフ様を連れてアスガルドへ帰ったわけです。

 ウォルフ様とは使者のふりをする準備があると城の近くで一度別れ、ワタシは社に戻って書類仕事を片付けてからサーシャさんの広間へ戻りました。サーシャさんは泣きそうな顔で「大賢者様! 何かあったのかと思いました」と駆け寄って来て何て良い子なんだろうと思いましたよ。


 ワタシがサーシャさんが取り寄せてくれたエナジードリンクを飲み、寝違えた腰に湿布薬を貼っていると何やら派手なお嬢さんが飛び込んで来てウォルフ様がようやく来たと知りました。


「大賢者様お願いします。私がビート国と密通していないと証明できるのは大賢者様とビート国の使者様にかかっています」

「はいはい。ご安心ください。ご依頼人をお守りするのも私の仕事です」


 ビート国の王様が自ら来ていると言い出せないままですがなんとかなるでしょう。


 ワタシはサーシャさんのご依頼を完遂するだけです。

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