第5話 聖女


 昼になっても相変わらず所長は見当たらない。

 いつの間にかに書類仕事を片付けて姿を消したまま。「書庫に居たよ」と同僚が見かけたらしいから行ってみれば一足違いでそこに姿は無かった。


「でも承認は下りてるし、支障がないと言えば無いわね⋯⋯」


 締めの時期は細々しい計上と数字の集計が集中して事務方は忙しくなるけれど、所長が居なければ進まない案件は承認くらいでぶっちゃけてしまえば古い体質のこの会社が未だに行っている「上長へのお茶出し」をしなくて良いのだから仕事に集中できた。

 上司は必要な時に必要な事をしてくれるのならそれでいいんだよねえ。


 あーでも凄い肩凝った。休憩に入ろう。

 外の空気を吸いたいし、お昼を買うついでに薬局で消えたエナジードリンクの補充をしないとね。


 そう言えば、朝に聴こえたきり幻聴は治まって静かだ。おかげで仕事が捗ったけど、どうしても解せないのは「なぜエナジードリンクが消えたのか」よ。

 安くは無い。エナジードリンクは安くは無いのにっ!


「値段を言ってしまうとみみっちいけどね」


 天気も良いし折角だからお昼は外で取ろうと薬局近くに寄った公園のベンチに座り、おにぎりをぼんやりと食べながら道向かいのベンチの人を眺めて私は、はた、と気付いた。

 

 あれ、松田じゃない?。


 肩を落として俯いていたし、どんよりとした空気を背負っていたし、この辺りはサラリーマン多いし気に留め無ければ分からないって。


 そうか、大口のお客様の所からの帰りで休憩しているのか。

 でもなんか、変だ。頭を抱えている様に見える⋯⋯。えっ! まさか失敗したとか!?


「松田?」

「をうっ西原」


 呆然としては居るが落ち込んでいる風では無い。

 ふむ、失敗した訳ではなさそうだ。


「何してるの? おにぎり食べる?」


 差し出したおにぎりを受け取ってはくれたがぼんやりと見つめた後、上げたり下げたりした松田は「はあ⋯⋯」と溜息を吐いた。

 一体何をしているんだか。


「消えるわけ⋯⋯ないよな。はは⋯⋯」


 分かるわあ。信じられない話よね。そうよね突然目の前の物が消えるなんてそうそうない話⋯⋯。んん?


「え⋯⋯まさかだけど、松田も何か消えたの?」

「は? 西原も、何かあったのか!?」


 私達は顔を暫く見合わせていたと思う。

 何処から何を聞けばいいかお互いが探り合う空気にどんどん話し辛くなっている気もする。


「事務所で私のエナジードリンクが消えてさ⋯⋯買いに来たのよ」

「さっき、湿布薬を買ったんだけど消えたんだ。買ったレシートはあるのに」


 ほぼ同時に「消えた」事だけが共通した言葉を発した。


 私達は見つめ合う。見つめ合う。見つめ合う⋯⋯あー、松田って本当華やかだわ。二重で大きい目と肌なんかツルッツル毛穴殆ど無い。どこの化粧品使ってるんだ?


「うわあああんっ」


 はっ! いかんいかん見とれちゃったわ。って、この泣き声どうした? 誰よ。声の方向へ顔を向けたらベンチの裏側で子供が転んで泣いていた。

 近くに親は⋯⋯と見回しても近くに居なそう。

 起き上がれているけど膝を擦り剥いて痛そうだ。


 私は咄嗟に子供に駆け寄って躊躇した。助けて良いのだろうか、話しかけて良いのだろうか。

 それもこれも世に蔓延る不埒者のせいだ。迂闊に知らない子供に近付けば不審者か誘拐犯だと言われるこのご時世。世知辛い。

 それでも私は怪我をしている人を放置出来るほど人の心を失ってなどいないのだ! なんてね。


「ほら、痛いの痛いの飛んでけー」


 さっきの薬局で水を買っていて良かった。なんか買っておかなきゃって思ったのよね。

 ペットボトルの口を開けてジャバジャバとハンカチにかけてから子供の擦り剥いた膝を軽く叩いて汚れと滲んだ血をきれいにする。

 擦り傷なら洗ってかさぶたになればすぐに治るだろう。ただお風呂はちょっと染みるかも。


──と、なんか静かになった。


 遠くでトラックが走るエンジン音、鳥の声、木々の音、誰かの話す声は聞こえるのに泣き声がピタリと止んでいた。

 子供の顔を見上げると目を見開いて呆けたように口を開けたままじっとわたしの手元を見ているようだった。


「エライ、エライ。もう大丈夫?」

「おねえちゃん⋯⋯おててきれい」


 おてて? お手手? おて⋯⋯ってええっ!? ナニコレ。

黄色いっ! 昔、みかんを大量に食べた時の手だ。いや、違うコレ金色。ゴールド。しかもあったかい。

 やだなあ。金色の手⋯⋯。いくら日本人は黄色人種とは言っても金色は無いわあ。生活に支障ありまくりだわ。

 でも、子供の前で動揺を見せて不安がらせちゃダメだ。冷静に、冷静になれ私。


「キンキラキンでキレイでしょ? ほら、もう痛くないかな?」


 そこでまた私は驚いた。

 さっきまで血が滲んでいた膝に傷がなかったのだ。

 ハンカチには赤い色が付いているのに子供特有のツルツルスベスベの肌に傷は一つもない。


 何で? あれえ? 擦り傷あったよね。この子痛みで泣いていたよね。


「おねえちゃんはマジぷにイエロー?」


 マジぷに。魔法を使って悪と戦う今シーズンのヒーローだ。マジぷにイエローは黄色の力で怪我を治す力がある。何で知っているのかって? それは私がヒーローファンだからよ。

 このみかんを食べたみたいな手はマジぷにイエローの手と言えなくも無いけど、これ黄色じゃなくて金色だよね⋯⋯多分。


「西原っ。お母さん居たぞ」


「まま!」


 子供は「マジぷにイエローが治してくれた」と嬉しそうに母親に駆け寄って行った。

 何となく、この手は見せたく無い⋯⋯。私はそっと後ろに隠して会釈する。

 何度も何度もお礼を言われ、別れ際に手を振ってくれた子に金色の手を小さく控えめに振り返した。


 でも、どうしよう⋯⋯こんなキンキラキンの手。


「俺達も社に帰ろう。西原?」

「へ? あっ、ええ」

「どうした?」


 こんな手、松田に気味が悪いと思われる。後ろに手を回したまま「帰ろう」と答えた時だった。

 

 松田に手を取られたのだ。


「っ! 止めて!」

「西原?」

「ダメっ見ないで! こんなキンキラキンの手、気持ち悪いでしょうっ「みかん大好き!」みたいなこんな色の手!」

「キンキラ⋯⋯キン? みかん?」


 松田の反応がおかしい。恐る恐る自分の手を見たら普通だった。

 ペンだこと赤インクが付いた私の手。


 何だったんだ? しかも傷が無くなっていたし。エナジードリンクは消えて私の手が金色になって傷が消えて⋯⋯。

所長を見かけなくなってからおかしな事が起きている気がする。


「ほら急ごう。西原午後一で電話する所あるって言っていたろ」

「そうだった! あっそう言えば松田の方はどうだった?」

「俺の本気を侮るなよ? 勿論、成立だ」

「ををっおめでとう」


 ニカリと笑う松田。これはお祝いしなければ。

 ⋯⋯まあ、私がしなくても松田ならお祝いしてくれる人いるんだけどね。昨日「待ってる人がいる」と言っていたし。

 それなのに松田は私の手を掴んだままだ。


 あーっ。頭がごちゃごちゃして来た。

 締めが終わるまではもう余計な事考えない。終わったら考える。そうしよう。

 そして絶対温泉に行ってやる。ゆったり、まったり浸かって、豪華な食事とあったかい布団で全部リセットだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る