第7話 祈りの巫女


「戯言を!」


 アドリア様に急き立てられながら謁見の間に着くなりアスガルド国王の怒声が響いて私は思わず入ってきたばかりの扉を開いて逃げようとしてしまった。



「あ⋯⋯っ失礼しました」


 ビックリした。

 だって扉の先は先ほど歩いて来た王宮の廊下では無く、沢山の本や書類が並べてある図書室みたいなところだったからだ。

 そこに男の方が一人頭を抱えていらしたのだけれど驚いた顔で私を見たので急いで扉を閉めてしまった。


「大賢者様、今の⋯⋯」

「ああっ申し訳ありません。ワタシ、国王陛下の怒鳴り声に怖くなって「帰りたい」と思ってしまったのです。それで扉がワタシの世界へ繋がってしまったのでしょう」


 なんて素敵なの! 大賢者様のお力を体験したわ! あの図書室が大賢者様の世界。あそこにいらした方は大賢者様の世界の人⋯⋯。

 もしもの話。

 密通していると冤罪を掛けられたら家族共々大賢者様の世界へ連れて行ってもらえるようにお願いしよう。お父様の爵位は無くなってしまうけれど命あってこそのものよね。


「いきなり乗り込んできて「祈りの巫女を寄越せ」とは戯言以外何と申す!」

「ウォルフ王、祈りの巫女は私の妻です。それを寄越せとは横暴ではありませんか」

「──妻?」


 ⋯⋯二度目のビックリです。

 ビート国からの使者はなんとウォルフ国王。大賢者様もそうと早く言ってくだされば良かったのに⋯⋯。

 流石に敵国の国王自ら堂々と王宮の門を潜れる訳もなく、「ウォルフ国王よりの書簡を持って来た」と言って入城したのだと大賢者様がコソッと教えてくれた。


「ええ、祈りの巫女アドリアは私の妻です」

「⋯⋯アドリア?」


 ウォルフ王は獣人。獣人は二つの姿を持っている。「獣型」と「人型」。今のウォルフ王は「人型」ではあるが尻尾があるのだ。「人型」の獣人と人族を見分けるのはこの尻尾。

 その尻尾がぶわわっと総毛立っています。


 わあ⋯⋯さわさわしたい。


「どう言う事だ、サーシャ」


 ウォルフ王に驚いた顔で見られた。どう言う事だと私に聞かれても⋯⋯。

 あれ? 何故ウォルフ王は私を知っているのかしら。


「サーシャ? やはりサーシャはウォルフ王と密通していたのか!」


 あらら⋯⋯漸くアスガルド国王と王太子殿下が私に気付いてくれました。気付かなくても良かったんですけど。

 アドリア様を見れば扇をを少しズラし私にだけ見えるように口パクで「余計な事を言うな」と睨んでいます。

 ええぇぇ⋯⋯でもなあ。密通の罪って重いんでしょう? それは嫌だな。


「サーシャ。正直に話して欲しい。君は祈りの巫女だと偽った前例がある」


 ええ、そういえば「偽物」と言われていた⋯⋯。あの時は少し身の危険を感じました。だって口々に「祈りの巫女を偽った」なんて言い出したのだから。祈りの巫女は一人じゃ無いと何度お話ししても王太子殿下は覚えてくださらなかったわね。


 前々から思っていたのだけれど、不敬罪になるから言わないでいるのだけれど、やっぱり王太子殿下はその人の表面しか見られない上にちょっと頭がよろしく無い。

 だからアドリア様と侯爵家の「サーシャは祈りの巫女ではありません。アドリアが祈りの巫女です」なんて突拍子もない話を簡単に信じてしまった。

 まあ侯爵家だものね。貴族は身分が高ければそれが正義だものね。


 今回も私がウォルフ王と密通出来なかったと少し考えればわかる事。

 婚約している間私には自由がなかった。

 婚約解消されてからも侯爵家に監禁されているのだから自由に出入りできないし、外との連絡すら取れていない。それに、私が居なくなったらアドリア様は祈りの力が無いとバレてしまうのでは無いかしら。ああ、この二人、オツムが少し残念な所はお似合いかも知れない。アスガルドの未来は暗い。真っ暗だ。


「私は密通などしておりません」

「俺もサーシャとは文通していないぞ。⋯⋯俺は字が汚くて文など送った事はない」


「ウォルフ様、文通ではなくて密通です」


 はた、と私とウォルフ王以外の人たちが大賢者様を見た。 しかも「このおじさん誰だ」と言う目だ。失礼な視線だ。

 やっぱりこの国の王族はちょっと間が抜けているわ⋯⋯。


「そなたは、誰だ」

「はい。ええ、ええ、ワタクシ健者(ケンジャ)保険株式会社の大賢治(ダイ・ケンジ)と申しまして、あっこれ名刺です」


「ダイケンジャ⋯⋯大賢者様!よくやったアドリア」

「アドリア! 漸く大賢者様を召喚できたのだな! 勇者様と聖女様はどこだ!」


 ニコニコと佇む大賢者様にアスガルド国王と王太子殿下が色めき、アドリア様を称賛する。

 ニッコリと笑い、恭しく一礼するアドリア様も図太い神経だわね。

 アドリア様は私を監禁しただけで何もしてないのは自身が良くお分かりだろうに。

 それにしても国王陛下は大賢者様の魔力を感じることができないのかしら。やっと気付くなんて。

 この王太子にしてこの国王だ。よくこの国は保っていると思うわ。


「申し訳ありません。二人は離れられない仕事が有りまして、今回はワタクシが仲介をさせていただいております」

「うむ。よくぞ参られた大賢者様。大賢者様がいらしたアスガルドはビート国に負けはせぬ! さあ、ウォルフ王を捕らえよ!」

「いや、俺は祈りの巫女をもらい受けるまでは帰らぬぞ」


 控えていた騎士達が剣を抜くのが視界に入った。私が大賢者様の袖を掴んで「逃げましょう」と声をかけようとした時だった。


「そこまで⋯⋯わたくしをお求めに⋯⋯」


 うっとりとした表情でウォルフ王を見つめていたアドリア様がふいっと王太子殿下に向き直りなぜか深々と腰を下ろした。


「ビート王国とアスガルド王国は友好であるべきです。わたくしがウォルフ様の元へ参る事でこの抗争が収まるのであれば⋯⋯喜んで」

「アドリア? 何を言って──」

「殿下、国の為に身を尽くすのは王太子妃の役目です」


 あー⋯⋯。これは絶対アドリア様ったらウォルフ王の野性味溢れる漢前ぶりにコロッと行ったわ⋯⋯ね。王太子殿下は確かに美形だけれどただ綺麗なだけだから。


「ウォルフ王、どうかわたくしをお連れください」


 つつっ⋯⋯と寄り添うアドリア様を無表情で見下ろすウォルフ王の嬉しそう⋯⋯あれ? 嬉しいなら無表情では無いわね。

 良く見れば眉間が深く⋯⋯ああ、嫌がっている表情です。あれは。動物達が牙を向く寸前の威嚇の表情だわ。


「貴様は祈りの巫女では無い」

「な! わたくしはアスガルドの祈りの巫女ですわ! こうして大賢者様も召喚したのよ! 貴方が祈りの巫女を所望しているのではなくて!?」


「はい。ワタシクシはサーシャ様に呼ばれてここにおりますよ。アスガルドとビートの仲介をご依頼いただきました」

「──ッチ」


 あっ今舌打ちが聞こえた。

 侯爵令嬢でも舌打ちするのね。しかも人前で。


「陛下! 殿下! この大賢者という者は偽物ですわ! サーシャ! 貴女失敗したのでは無くて!? こんなくたびれたジジイが大賢者だなんてあり得ないわ!」


「何を言っているんだアドリア。君が召喚したのでは無いのか?」

「あ⋯⋯っ、それは⋯⋯あの」


 ををっ!? アドリア様の自爆で形勢逆転? 密通疑惑ここで晴れる?。


「大賢者様⋯⋯」

「大丈夫ですよ」


 そう言って大賢者様が背後の扉前に移動されるとくるりと振り返りこう、仰った。


「話が本来の筋から逸れてしまってますね。ここで認識を合わせましょう。どうぞ弊社の会議室へお集まりください」


 ゆっくりと大賢者様が扉を開いた。


 強い光が差し込んで私は目が眩んだ。

 光の影が引いて指の隙間から覗くように目を開くと、そこには長い机と簡素な椅子が並び、白い壁に大きな窓。その窓の外には見たこともない大きくてピカピカした四角い建物が沢山並んでいた。

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