死なずの鬼のあやかし噺

七沢ゆきの@「侯爵令嬢の嫁入り~」発売中

第1話 死なずの鬼のあやかし噺

 俺は、人間に『鬼』と呼ばれる生き物だった。

 赤い目と隠せない角は異端の印で、俺は彼らに忌み嫌われた。

 俺は彼らを傷つけるつもりなんかなかったのに。彼らとともに暮らしたかったのに。

 孤独は俺にとってなによりの恐怖だった。ただ一人で永遠を生きていくのだと思うと気が狂いそうになるほど。


 だから俺は彼らのために力を使った。

 この大力で橋を作り、石を運び、悪しきものと戦った。


 それでも、彼らにとって俺は『鬼』だった。

 俺が永遠に尽きない命を持っていたのもよくなかったのかもしれない。

 束の間に現れることがある理解者も、すぐに死の彼方へと連れ去られてしまった。


 そしてまた、遠い約束。


 ずっとそばにいるからと微笑んでくれた瞳。

 けれど、もうすぐ消えてしまうそれ。



                    ※※※



「わたしはあなたが心配なの」


 寝台に横たわるおまえに悲しげな目でそう言われ、心外なことを。と俺は眉をひそめる。


「どうして?俺は強いぞ」

「うん。そうね。あなたははとても強いわね」


 おまえが少しだけ笑ってくれる。

 俺はそれだけでもとてもうれしい。たくさんの戦いで傷跡だらけの体の胸の奥が温まるほど。


 遠い昔、ある里の人間に『山の上の青あやかしを殺してくれ』と頼まれた。

 鬼といえど、同じような力を持つあやかしは恐ろしい。俺は覚悟をして山を登った。

 そして、山頂の花の咲き乱れる小さな家の近く、そこにおまえはいた。

 ふわふわとした肩あたりまでの黒い髪が風をまとって振り向く。


 そのまま、俺をじっと見つめる空よりも青い瞳と尖った耳だけが、里の人間とは違う生き物なのだと主張していた。

 そうか、これが「青」あやかしという名前の意味か。

 あとはなにもかも全部、あやかしだなんて思えないほど小さくて弱そうで……それはとても可愛らしい生き物だった。

 それに、俺の角を見てもたじろがない笑顔がそこにはあった。


『こんにちは』

 青あやかしが俺に頭を下げる。

『お客様が来てくれるなんて嬉しいわ。みんなわたしを怖がって来てくれないの』

『おまえは青あやかしなんだろう?なら、仕方がない』

『でもわたしは誰も傷つける気なんてないし、したこともないのよ。みんなが許してくれれば豊穣の術や幸福の術を差し出せるのに。里の人はわたしを名前と外見だけで怖れるの。___あなたみたいに。

 ねえ、鬼さん』


 青あやかしの指先が俺の角に触れた。


『鬼さん、あなたは本当はやさしいひと。わたしはあなたと似たあやかしだから、触れればわかるのよ。あなたの痛みも、軋みも』

 

 青あやかしがやさしい声で笑う。それは花が咲いたようだった。こんな笑顔を向けられたのは俺は初めてだった。


『わたしはずっとひとりきり。でも鬼さん、あなただったらわかってくれる気がするの。強すぎる力の重さも、孤独の悲しみも』


 青あやかしの指の置かれた俺の角から、彼女の記憶が染み透ってくる。


 悲しみ、苦しみ、寂しさ。

 でも、必ず、いつか『誰か』に会えるという希望。

 それだけが彼女を支えていた。


『ねえ、鬼さん。わたし、あなたに会うために、生まれてきたのよ、きっと』


 俺はその言葉を待たずに青あやかしの体を抱きしめた。


 俺だってそうだ。きっと、おまえに会うためだけに生まれてきたんだ。 




                ※※※




 青あやかしと俺の力を合わせてみれば、不思議なことに、俺と彼女の姿は人間とはそう変わらないものになった。

 おかしなもので、そうなれば、大力も、悪しきものと戦う力も人間に歓迎されるようになった。

 ただ、俺の永遠の若さだけはどうにもならなかった。


 年老いない俺が不審がられないように、俺と青あやかしは何度も居場所を変えた。




               ※※※




「でもあなたが強いのは力……ねえ、あなたはわたしがいなくなったらどうするの?」

「馬鹿なことを言うな!おまえはずっとここにいるんだ!」


 青あやかしはあくまでもあやかしで、鬼ではなかった。人を超える力は持っていても、その命の長さは人よりすこし長い程度だった。


「いいから答えて。どうするの?わたしはそれを聞かないと、心配でどこへも行けないわ」


 答えをねだるおまえの前で俺は立ち尽くす。


 どこにも行かなくていい。

 いや、行くはずないんだ。

 どんなものにも勝ってきた俺とおまえが、たかだかこんなものに負けるはずがない。


「ほら、早く。あなたはどうするの?」


 繰り返す、やさしいおまえの声。

 やさしいのに、どうしても俺が逆らえない声。


「……待つ。おまえを……待つよ」


 俺は自分の喉が油の切れた部品になったような気がした。

 のろのろと途切れがちな言葉は、どれだけみっともなく聞こえているだろう。


「いつか必ず帰ってきてくれるんだろう?

 俺たちはずっと一緒だって約束したんだから、おまえはそれを破ったりしないよな」

「うん……そうね」


 こくっと彼女がうなずいた。

 そして、安心したように俺を見て目を細める。


「俺はいい子でおまえを待ってるよ。

 生まれ変わって、また俺の前に現れてくれる日を待ってる」

「本当に?」

「ああ。安心しろ」

「そう……よかった。じゃあそろそろわたしはいなくなるけど、もう大丈夫ね」


 青あやかしの指先が、出会ったあの日のように俺へと伸ばされる。


 ずいぶん冷えてしまったそれを抱くようにして俺は、安心しろ、と繰り返す。

 おまえにはずっとここにいてほしい。おまえを知って、俺は本当の寂しさを知ったんだ。

 おまえの望みはなんでもかなえて来たけれど、俺がいちばんおまえにやりたかったのは永遠の命。俺の傍にいてもらうために。

 もし、俺が本気になればそれもできるかもしれない。

 でも俺の我儘でおまえを縛り付けるのはもっといけないんだ。

 おまえは、自分の運命そのままの有限を生きることを望んだんだから。


 お互いに笑みを交わす。

 もうできることはそれくらいしかなかったのが、俺も彼女もよくわかっていた。


「あ、ちょっと我慢してね」


 そんな声とともに、青あやかしの細い指が俺の手の甲に不思議な模様を描いた。

 そのままでは見えないけれど、窓辺の太陽の光の下ではほんのりと光る。


「しるし」


 青あやかしがゆったりと微笑んだ。


「私たち、全然違う国に生まれてしまうかもしれない。言葉も通じないかもしれない。

 でも、これがあればあなただから。青あやかしとして蔑まれた私を唯一信じてくれたあなただから。わたしの手の甲にも同じ模様を刻んだわ。

 わたし、絶対に帰ってくる。そしてあなたを見つけるの」


 白い指が俺の手の甲をなぞる。やさしいやわらかいそれが、俺はとてもいとおしかった。


「好きよ」


 微笑が彼女の頬に浮かんだ。

 そんなものですら出会ったあの日のものとまったく変わらないように見えるのに、いつの間にこんなに時間がたってしまったんだろう。

 

「なのに――――ごめんなさい。わたしがいつか死んでしまうあやかしで、ごめんなさい」

「謝るな!」


 泣き声交じりの声だけど、みっともないと思えなかった。だってそれくらい俺はおまえが好きなんだ。

 俺が死なない鬼でごめんな。

 それなのに、おまえを好きになってしまってごめんな。

 ――――もうすぐ逝ってしまうおまえに、最後まで心配かけてばかりでごめんな。


「……すまない……っ」


 なのに、言おうとした言葉はことごとく涙の前で阻まれる。


「本当に……っ」


 嗚咽を止められない俺を見て、彼女の眉が困ったように寄せられる。

 肉の落ちた腕が俺を引き寄せた。

 間近で閃く青い瞳。

 

 おまえは自分のことを、もう年老いた老婆だと嗤うけど、俺にとっては山の上の小屋で笑ってくれた時のおまえそのままだ。

 いとしい、いとしい、俺の小さなあやかし。


「一緒にいると約束したのに、ひとりにしてしまってごめんなさい。もしかしたらとても長く待たせてしまうかもしれないけど……」

「いい。どれだけ……長くても……」

「本当は……わたしもあなたと離れたくなんかない。でも、命の長さの理を変えるのはもっと悪いことだから……」


 震えた声でそういう青あやかしのまなざしは潤んで揺れていて、それでもその底にあるのは出会ったときと同じ青。

 静謐で強い、俺の大好きな色。


「だから……泣かないで」


 ああ。わかってるよ。

 俺はもう大丈夫だから。

 そんなことおまえに言われなくたって、おまえが憂えず逝く為なら、二度と涙なんかこぼさないから。


 俺が無理やりに笑顔を作ると、おまえも何かを振り切るようにまた微笑んだ。


 ありがとう。とその唇が言葉を刻む。


「わたしはあなたに会えて、好きになってもらえて、幸せだったわ」


 俺こそ。

 おまえに会えて、好きになってもらえて、幸せだったよ。




                     ※※※




 つまらない朝礼。

 机に半ば突っ伏して、俺は教師の言葉が終わるまでを我慢していた。


 ここは『コーコー』と言う所だ。


 いまさら勉強なんてしたくなかったが、もし青あやかしにまた会えるとしたら、彼女がはじめて会ったときと同じくらいの年の時だという、理由のわからない確信が俺にはあった。


 俺は探し続けた。

 いろいろなところへ行った。一度行った場所を忘れないために色を付け始めた世界地図は、もうほとんど塗りつぶされていた。


 俺は待ち続けた。

 ずっと、ずっと。

 十年、百年、千年。

 もしかして、彼女には二度と会えないのかもしれないと思うたびに首を振った。

 だって、彼女も俺を探しているかもしれないから。


 「あー、今日は転校生を紹介する」


 いつもの教師の声。

 退屈だな。

 教室の窓から空を見上げたとき、俺の手の甲にちりりと痛みが走った。


 太陽の下でほんのりと光るその模様。


 教壇の前では、転校生が、怯えたような目をして自分の手のひらを抱きしめている。


 「阿久多アクタ……?」


 その唇からこぼれるのは、転校生が知るはずのない本当の俺の名前。


 「首古志売クコシメ?!」


 俺が思わず口に出したそれも、転校生の知るはずのない、俺のいとしいあやかしの名前。


 転校生がうなずく。


 俺は教師の制止も聞かず、机を蹴倒しながら転校生へと駆け寄った。


 ああ、間違いない。

 このひとは俺の探し求めた人だ。


 昔々の約束が俺の胸をよぎる。


 「遅くなったけど、帰って来たわ。

 ただいま、阿久多」


 最期の時と変わらない、やさしい声でそう言われ、俺は待ち続けた想い人を力いっぱい抱きしめた。

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