初詣の願い事

成井露丸

 篠本美和はちらりと横目で、釘宮悠馬がまだ目を閉じて手を合わせているのを確認すると、慌てて目を閉じて、両手のひらに力を入れ直した。二礼二拍手一礼の続き。心のなかで改めて願い事を一つ。

 下げた頭を持ち上げて振り向くと今度はちゃんと悠馬と目があった。マフラーを首周りに巻いた同級生の受験勉強仲間。

「願い事はできた?」

「あ、うん、バッチリ」

 後ろに並んでいる人もいるので、美和は悠馬のあとを追うように石段を降りていく。

 一月二日。元旦当日はお互い家族での行事があったから、二日に合格祈願の初詣へとやってきたのだ。鐘とお賽銭箱の前には数人並んではいたものの人は多くない。新年に入っても続く外出自粛のムードもあるし、そもそもこの神社は観光地でもなくて、日頃から人は少ない。

「寒いね。寒くない? 大丈夫」

 悠馬が肩をすぼめながら、コートのポケットに両手を突っ込んで、腕を伸ばす。美和は何度かうなずいた。

「お正月だしね。毎年、初詣は寒いよ」

「だよな。風邪引かないようにしないとな」

「だよね。でも、例年に比べてインフルエンザも流行してないみたいだし、風邪も少ないんじゃないかな?」

「マスク習慣のおかげかなあ。コロナの影響」

「だね」

「受験当日に風邪とかインフルとか、マジで勘弁だからなぁ」

「コロナだったら、救済措置あるらしいけどね」

「あってもPCR検査してみたら『陰性でしたー、残念ー』とかじゃ死なない?」

「だねー。そういうとき、どうなんだろ?」

「よく分かんないけど。ややこしそうだから、まずはなんとか健康で受験当日を迎えることだよな。だから、そのための神頼み」

「合格祈願」

「そそそ」

 境内の砂利を踏みしめて音を立てながら、二人並んで歩く。観光地の大きな神社ではないから、屋台が出ているわけでもない。もっとも、今年は大きな神社でも感染症対策で屋台は出ていないところがほとんどなのだろうが。

「人事を尽くして天命を待つ」

「困った時の神頼み」

 少し自分より背の高い悠馬の横顔を見上げる。同じようなことを言っているようで、言っていることの立派さが違うなぁ、と思いながら。

「篠本は困ってんの?」

「ん? 困ってなくは……ないかな?」

 首を傾げる。心拍数はいつもより心持ち高くて、隣を歩くだけで、次の一挙手一投足をどうすればいいか分からなくなって、困る。制服を着て、学校の図書館で二人勉強している時なら、ここまで意識はしないのだけれど。

「大丈夫だよ、篠本なら。十二月最後の実力テストでもついにB判定出たじゃん。志望校を変えてから、メキメキ成績は良くなっているんでしょ?」

「う……うん、そうだけど。まだ、一度取ったきりのB判定だし。釘宮くんみたいにずっとA判定なわけじゃないし」

 篠本美和は夏前に志望校を変えた。釘宮悠馬と同じ大学に。大学ランクで二つほど上の大学。無謀だと家族には言われた。

「受験日はまだ先だし、この一ヶ月できっとまた伸びているよ。現役で後半戦伸びる人は受かりやすいらしいよ」

「それならいいんだけど〜」

 美和は頬を緩ませる。希望的観測に安堵したわけではなくて、悠馬が気遣ってくれたことが嬉しかった。

 二学期の最終日、自習仲間同士、いつもの図書室で実力テストの結果を見せあって、お互いの健闘を讃えあった。その後に美和の方から思い切って「お正月に合格祈願に行かない?」と誘った。悠馬は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに「イイね」と微笑んだ。その時も「『人事を尽くして天命を待つ』だね」と彼は言っていた。

 それは彼が本当に「人事を尽くして」いるから言えるのだ、と美和は思う。自分は「人事を尽くして」いるのだろうか。そんな疑問をふと抱く。

 夏に髪型を変えた。首周りで柔らかく広がるミディアムボブ。夏休みの図書室で彼が「あ、髪型変えたの? 似合うね。めっちゃ可愛いいと思うよ」って言ってくれた。嬉しすぎてニヤけ顔を抑えるのに必死だった。本当のことを言うと、それが彼の好きな髪型なんだって知っていたのだ。それは秘密で、彼には言わないし、周りの友だちにも言っていないのだけれど。彼の好きな髪型が、自分にちゃんと似合うかは不安だった。

 夏前に志望校を変えてから半年間、美和は頑張ってきた。自分でも褒めてあげたいと思うくらいに。憧憬とともに不安はいつも隣りにあった。あと恋慕。

 だから、人事を尽くせたのかどうかに自信はない。それでも彼を横に感じて歩くこの参道を自分のご褒美にして、もうひと押し頑張るのだ。恋も勉強も。

「神様はちゃんと願い事を聞いてくれるのかな〜」

「さぁ、どうだろうね。お賽銭の金額次第だったりして」

「げ……マジかよ。俺、百円だったけど、大丈夫かな?」

 困ったように神妙な顔をする悠馬。美和はちょっと可笑しくて右手で口元を押さえる。

「ん、大丈夫なんじゃない? 私、五円だし」

「少なっ!」

「ん、でも、五円は『ご縁』で縁起がいいんだよ?」

「あー、聞いたことあるな。でも、大学受験でなんでご縁?」

「えーと、大学との『ご縁』……とか?」

 首を傾げる悠馬に、美和はすっとぼける。悠馬はそれでも「なるほど」と手を打った。自分のこぼした小さな嘘――というか誤魔化しに、美和はちょっとだけ苦笑いする。

「それで釘宮くんはなんて願い事したの?」

「そりゃもちろん『大学に無事合格できますように』だけど? ……って、あれ?」

「どうしたの?」

「神様への願い事って、誰かに話すと無効化されるとか、そういうのなかったっけ?」

 頭の良い悠真にしては珍しい間の抜けた一言に美和は思わず吹き出した。

「あったかも。でも、そもそも大丈夫だよ。釘宮くんは神様の力なんてかりなくても、全然余裕で合格圏内だもん」

「まぁ、そう願いたいけどなー。ただ何が起こるかわからないから、その時のための『神頼み』だったんだけどなー。代わりに合格祈願のお守りにお金でも使って、もうひと押しの神頼みでもしておくかな」

「あはは。そうだね」

 ちょっと方向転換して社務所へと二人は足を向ける。

「俺の願い事は言っちゃったけど、篠本さんの願い事も言っちゃったようなもんだよね。二人で合格祈願に来ているんだから」

 コートに手をつこんだままお守りを買う列に並ぶ悠馬の後ろに、美和も並ぶ。彼の言葉にどう返事したものか思案すると、胸の鼓動が高鳴った。寒いはずなのに、頬は熱い。

「私の願い事は大丈夫だよ? ……きっと」

「え? なんで?」

「だって、私のした願い事って『大学に無事合格できますように』とはちょっと違うから」

「え? え? そうなの? 合格祈願の初詣に来たのに?」

「実はそうなのです」

 意味がわからないという風に目を丸くする悠馬。ちょうどその時に、前の人の会計が終わって順番が回ってくる。美和が「前、空いたよ」と指差すと、少し首をかしげながらも悠馬はお守りを物色し始めた。

 神様に二礼二拍手一礼。お願いしたのは『大学に無事合格できますように』とは、ちょっとだけ違う。

 ――釘宮悠馬くんと恋人同士になれますように。そして、春から一緒に大学生活を過ごせますように。

 彼には合格祈願の初詣だって言っていたけれど、本当のところはちょっと違う。今日のこれは受験シーズンが始まるまでの半年間頑張ってきた自分へのご褒美――お年玉。二人っきりの初詣デート。そして恋が叶うように願う神頼み。ただし合格祈願だってその一部に含まれているのだから嘘ではない。でもそれは彼と一緒の合格。彼と一緒の大学。それが私の願いごとなのだ。

「買えた?」

「うん。買ったよ」

 一足先に会計を終えた悠馬が社務所から少し離れた場所で立っている。美和は小走りに駆け寄る。

「じゃあ、行くか? 神社だけで即解散もなんだし、喫茶店くらい寄っていく?」

「いいね。うん、そのくらいの息抜き、許されるよね?」

「お正月だしね。必要なら喫茶店で確認テストやってあげてもいいけど」

「や〜め〜て〜。普通に息抜きさせて」

「ははは。じゃあ、そういうことで。――行こうか?」

「うん」

 悠馬がコートのポケットから手を突っ込んだまま歩きだす。その腕と体の隙間。腕を絡める自分の姿を少女は想像する。とてもそんな勇気、今はないのだけれど。でもきっと、一緒に大学に合格して、受験が終わって晴れやかな気持ちになったら言おう。――ずっと好きでした、って。

 年が明けて二日目。空は澄んだ青色で、冬の風が二人の頭上を軽やかに舞う。なびいたミディアムボブの髪を押さえて、美和は先を歩く悠馬の後ろを追いかけた。

 左手に「合格祈願」と「恋愛成就」のお守りが入った紙袋を掴んだまま。

 

 

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