3.神はそこにいなくても

 ハルは猫の他に、大きなバスケットを抱えていた。本物の蔓で出来たものではなく、プラスチック製の容器に籠のような模様を刻んだだけのものだった。


「あぁ、それは……」


 れんこが説明しようと口を開いたが、ハルがそれを遮った。


「これはおじさんが作ったサンドイッチ。猫は不正防止にオレが持ってる」

「不正防止?」


 突然飛び出した単語にユキトは頓狂な声を出してしまった。しかし、ハルは大真面目な顔で頷く。


「美鳥さんがさ、この猫は神様の使いだから、群青区から出たら本当の姿になるって言うんだ。あまりに嘘くさいから、それまでイカサマとかしないように見張ってることにしたわけ」

「だから、嘘じゃないってば」


 れんこが呆れたように言う内容から察するに、このやりとりは既に二人の間で何度も行われたことのようだった。


「見張ってるって……お前、どこまでついていくつもりだよ」

「猫柳町までだよ」


 当然、と言わんばかりにハルが言えば、腕の中の子猫が短く鳴いた。

 よく見れば、ハルは背中に大きなバックパックを背負っており、格好もいつもより小ざっぱりとしている。明らかに遠出する準備が整っていた。


「猫柳町まで行って、神様とやらを確かめに行くんだ。美鳥さんが約束したんだからね。今更無しとか言わないでよ」

「だからって今日じゃなくてもいい気がするんだけど」


 れんこは溜息を吐いたが、追い返す気はないようだった。ツカサからボストンバッグを受け取ると、ショルダー用のバンドを肩へと掛ける。れんこの体に対して少し大きいようにも思えたが、本人はその扱いに慣れているらしく、立ち姿は安定していた。

 駅を背にして三人に向き合ったれんこは、ふと思い出したように口を開いた。


「協会と話し合いましたが、群青区の二つの神社については暫くそのままにするそうです」

「神様を他所から分けてもらわないってこと?」


 ツカサが確認するように訊ねる。れんこはそれに肯定を返した。


「元々、神様がいない状態で保持されてきた場所ですから。そこに他の神様を急に入れたら、また別の問題が起こるかもしれません。なので「様子見」です」

「意外と柔軟なんだな」

「まぁ、神様や神社にも色々ありますから。結構柔軟に対応してるんですよ」


 それに、とれんこは付け加えた。


「今回のことは、神様やその道具に頼りきるのを良しとしなかった人々の、長い長い抵抗の末の物語です。それは尊重すべきだと、「上」も判断しました」

「でも、神様がいないことでまた問題が起こったら?」


 不安そうにナオが言うと、ハルが鼻で笑った。猫とバスケットを抱えた姿ではいまいち格好が付かないが、それでも自信満々に口を開く。


「そうしたら、また人間たちでどうにかすればいいんだよ。それが出来るってオレ達は証明出来たでしょ?」

「……まぁ、そういうことだね」


 れんこが含み笑いをしながら同意する。


「心配しないで、ナオちゃん。神様がいなくても、祈願システムがなくても、そんなに人間は弱くないから」

「わかってるけど……」


 ナオは言い淀みながら、ユキトを一瞥した。そして、一度俯いてから、勢いよく顔を上げる。見開かれた眼差しは真剣で、その黒い双眸にはれんこが映っていた。


「ナオ、絶対に河津神社を復興させるから。前みたいにお祭りが開かれて、沢山参拝者が来るようにする。だから、その時は……れんこちゃんも見にきてくれる?」

「うん、絶対に来る! ナオちゃんも、猫柳町にいつか来てね」


 二人の少女は互いの両手を握りしめて誓い合うと、惜しみながらもその手を離した。もう電車の出発時刻は近付いていた。

 れんこは改めて三人の顔を見回すと、礼儀正しく一礼する。表情は晴れ晴れとしていて、別れの寂しさはそこにはない。


「色々とお世話になりました。どうか、お元気で」

「れんこちゃんも」

「また遊びに来いよ」

「というかハル君は、新学期までに帰ってくるんだよ?」


 念を押すようにツカサはハルに言った。それに対して、ハルは肯定も否定も返さない。ただ子猫が煩わしそうに身を捩っただけだった。

 れんことハルが、改札を抜けて、ホームの方へと消えていく。一度だけれんこが振り返って何か言ったが、丁度構内アナウンスに紛れて聞き取ることが出来なかった。

 ユキト達は暫くそこに立ち尽くし、二人の背中が完全に見えなくなるまで見送る。やがて視界から二人が消え去ると、ナオが駄目押しのように「元気でねー」と声を張った。だが、それに対する返事はなく、代わりに電車がホームに入る音が微かに聞こえただけだった。


「……さてと」


 ツカサが欠伸をしながら、その場で伸びをする。


「どこかで朝御飯食べない? お腹空いたよ」

「そうするか。ナオ、何か食いたいものあるか?」

「ハンバーガー! ……他に開いてなさそうだし」


 確かに、とユキトとツカサは同時に言葉を放つ。


「ユキちゃん、ハンバーガー屋さんでNyrのチェックしようよ」

「もうあのアプリに用ないだろ」

「だって、れんこちゃんに約束しちゃったんだもん。神社を復興させるって。それにはまず、Nyrを使って人のお願い事を叶えて、ついでに神社の宣伝しないとね」

「回りくどいな」

「だったら兄さんに頼んで、広告バナー入れてもらおうか?」


 三人はそれぞれ自分の案を口にしながら、一歩を踏み出す。「神社を復興する」という願いを、自分たちの力で叶えるために。

 神の存在に依存せず、希望を胸にして輝く姿は、かつて滅んだ神々が願った、人間の姿なのかもしれなかった。


群青区に神は滅びて 終

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群青区に神は滅びて 淡島かりす @karisu_A

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