裏の通学路
ケイ(K)
裏の通学路
入ってはダメ、と噂される道がある。
そのことを、クラスのみんなは何故か知っている。
噂によると、その道には真っ青に光ながら浮かぶ男の子の幽霊が出ると聞くし、別の時期になると、女の子の幽霊が話しかけてくると聞く。
僕は転校したばかりなので詳しくは知らない。
ただ、クラスの誰も見たことがないので、誰かが大げさに言っただけだと僕は思っている。きっと変なおじさんが現れただけだろう、と僕はその話を聞くたびにボンヤリと考えた。
いずれにしても、僕には関係なさそうだった。
そんな道、最初から通るつもりはなかったからだ。
そもそも、その道は腰の高さまで来る雑草があちこちに生えていて、歩くと雑草の種なんかが服についてくる。そんな道、近道にすらならない。たぶんクラス全員、誰もそんな道を通ろうだなんて思わないはずだ。
「入っちゃダメってよく言われてるあの道な、実は裏の通学路なんて呼ばれてるんだぜ?」
突然、僕に言ってきたのは、クラスの人気者のコシミズだった。
コシミズは誰にだって話しかける。たいして交流のない僕にだって、こうして笑顔を見せて話しかけてくる。
今、僕に話かけているのは、僕が転校したばかりで話やすいからだろう。心のなかで「うざいな~」なんて思いながら僕は答えた。
「裏の通学路? どういうこと?」
「知らないのかよ。あそこは昔、ちゃんとした通学路だったんだ。だけど戦争でこの辺がめちゃくちゃになって、この町を作り直したとき、あの通学路は使われなくなったんだ」
「それならただの裏道ってことにならない?」
僕は興奮するコシミズを止められないと思ったので、話を続けることにした。
「普通なら裏道って呼ばれるよな。でも違うんだ。あの道をちゃんと通学路として使ってるやつらがいるんだよ」
大きな声を発していたコシミズの声が、だんだん小さくなってきた。怖い雰囲気を出そうとしているのだろう。ここで突っ込んでも意味がないと思ったので、僕は興味を示すフリをして、聞き耳を立てた。
「誰が使ってるの?」
「死んだ学校の生徒たちだよ。戦争のときに死んだ逃げ損ねた生徒たち。彼らがまだあの通学路を使って通い続けてるんだ」
「そんなバカな」
「信じられないよな。でも親戚のおじさんから聞いたことがある。それに俺のじいちゃんが言ってたんだ。あそこは死んだ同級生がよく歩くお化けの道になってるんだって。お化けの世界とこの世界を、あの裏の通学路が繋げてるんだ」
たぶんそれはコシミズのおじいちゃんの作り話か見間違いだよ、と僕は言いたかった。
でもそんな僕の考えはお構いなしに、コシミズは僕の耳に近づいて、ひっそりと言った。
「だからさ、今日の夕方、確かめるんだ。裏の通学路から誰がやってくるか。そしてどこからやってくるか。もしお化けの世界に入れたら、石の一つぐらい持ってきて、お前に見せてやるよ」
そう言うとホームルームが始まった。コシミズは笑顔を浮かべたまま、教室の席についた。
お化けなんてバカバカしい。なんだか胸騒ぎがするけど、本当にバカバカしかった。ありえない。
しかし僕は次の日、バカバカしいという考えを、頭から消さなければならなくなった。
コシミズが昨日から家に帰っていない。
朝のホームルームで、そう先生が言ったからだ。
裏の通学路で何かあったんだと、僕は思った。
■
「先生、コシミズのことなんですけど……」
僕はホームルームがおわったあと、さっそく先生に声をかけた。
疲れた顔の先生が僕を見た。
「何か知っているのか?」
「はい。あの、コシミズは昨日、裏道に行くと言っていました。昔は通学路だった裏道です」
「旧通学路……あそこか。そこにはお前も一緒に行ったのか?」
「いいえ。僕は行ってないです。コシミズは昨日、一人で行きました」
「一人で……わかったありがとう。このことは警察に話してみるよ」
「警察?」
「行方不明だからな。昨日の夜からもう動いてもらっている。でもそういった分かりやすい情報はまだ知らないはずだ」
先生は僕の肩に大きな手をやさしく乗せた。
「ありがとう。頑張って必ず見つけるからな」
しかし先生や警察の努力が上手くいっていないのか、一週間が経ってもコシミズは戻ってこなかった。先生は日に日にやつれていった。
ただ、クラスのみんなはやつれたりしなかった。
むしろ変な活気みたいなものが現れはじめていた。
「コシミズ君、ウザかったよね。ウザかったから誰も教えてあげなかったのかな?」
クラスの誰かが言った。
「怖い話は聞いてたんだろ。じゃあ自業自得で自己責任でしょ」
クラスの誰かが言った。
「あの道に行ったんだ。もう飲み込まれちゃってるんじゃない?」
クラスの誰かが言った。
「ねえ、みんなは何を知ってるの?」
クラスのみんなに僕は言った。
ジッと、みんなが僕を見る。笑みでもいらだちでもなく、無の表情を僕に向けてくる。
「噂通りだよ。幽霊が出るんだよ」
「男の子の幽霊だよ」
「女の子の幽霊も出るよ」
「とにかく悪霊なんだ」
「近づいたら呪われるよ」
「だから君はいかないでね」
「コシミズ君みたいになっちゃうよ?」
「ならないよね?」
次々とクラスのみんなは僕に言葉を投げつける。僕は気分が悪くなり教室からいったん出ることにした。
みんな何を知っているの?
心の中だけで、そう聞いた。もちろん返事はなかった。
■
大人も、クラスのみんなも頼りにすることはできなくなった。
でも、このままみんなと同じように待ち続けるのは嫌だった。
だから僕は一人で裏の通学路の入り口に行くことにした。
裏の通学路は黄色いテープが貼られていた。そこには『立ち入り禁止』と書かれていたけど、僕はそのテープの下をくぐって入った。
なんてことはない、草がたくさん生えた裏道だった。両端には高いブロック塀があり、手を横に大きく広げるとぶつかるほどだった。通学路だった気配は特にない。
僕は一歩前へ進む。何も起こらないことを確認すると、もう一歩、さらに一歩と歩みを進めていった。
次第に体のまわりは草におおわれて、入り口は見えなくなってしまった。だけど方向は分かっていたのでそのまま進むことにした。
歩きはじめてから十分が経った。いや、十分経ったような気がした。正しい時間は分からない。時計がないからだ。
景色は相変わらず変わらなかった。
どこまでも、草、ブロック塀が続く裏道でしかなかった。
ただ、それはおかしかった。
どんな道にだっておわりがある。ここにはそれがなかった。
それどころか道に
僕は突然こわくなり、戻ろうと思った。
だから振り返った。
そして気付いた。
僕のうしろにコシミズがいた。
こんなに草が生えている場所なのに足音を立てなかったことは不思議だった。
いや、それよりコシミズが普通にいることも不思議だ。
「コシミズ、みんな探してたぞ」
コシミズは無言。反応すらなかった。
ずっと棒立ちで僕を見ている。表情がない。
こわい。
でもこいつはコシミズで間違いない。
「コシミズ、なにぼーっとしてるんだ。さっさと帰るぞ」
僕は動かないコシミズの手をつかみ、引っ張った。
コシミズはそのままこけちゃうんじゃないか、と思うほど歩き方がぎこちなかったけれど、僕と一緒に裏の通学路から出てくれた。
一緒に歩いて五分もかからなかった。
気付いたら夜になっていた。
周りには何も光がなく、段差があればこけてしまいそうな気がした。
「コシミズ、そろそろ自分で歩けよ」
だが答えは返ってこない。棒立ちのままだ。
不安になった僕はそのままコシミズを家まで送り届けることにした。
コシミズは自分の家のまえに来ても、チャイムすら鳴らそうとしないので、僕が鳴らした。
家から出てきたのはコシミズのお母さんだった。
「あ……あっ、ああ! よかった、どこ行ってたのよ!?」
コシミズのお母さんは泣きはじめ、それからコシミズをぎゅっと抱きしめた。コシミズはそれでも無言だった。
「ありがとう、ありがとうね」
「いえ、僕はたまたま裏道で会っただけなので」
コシミズのお母さんは僕を見て、お礼を言った。でもすぐに視線はコシミズの方へと戻っていった。
気になることはたくさんあるけど、ひとまずこれで大丈夫そうだ。
そう思いたかった。
■
今日は家で体力を回復したコシミズが初めて登校する日だった。
コシミズと仲が良かったわけじゃなかったけど、無事戻ってくるのは素直に嬉しかった。
教室の扉が開く。
すると先生と一緒にコシミズがやってきた。
先生が言った。
「コシミズは体調がまだ本調子じゃないが、今日から授業に復帰する。みんなも支えてやってくれ」
クラスのみんなは、しんとしていた。誰も明るく「わかった」とは言わなかった。
それより視線。
みんなコシミズをにらんでいるように見えた。
そして、僕も一緒ににらまれた。
休み時間。僕はコシミズの席に行った。
コシミズは何もすることなく座って、ただ何も書いていない黒板をジッと見つめていた。
僕は言った。
「コシミズ、元気か」
少しの間、反応がなかった。裏の通学路で見かけたときと同じだ。
本調子じゃないからしょうがない。そう思って僕は戻ろうとした。
その時だった。
コシミズはこちらを向いて、言った。
「アノミチヲトオッタカラ、ハヤクタマシイヲオイテイケ」
喋っている、という感じじゃなかった。コシミズの口から出た声は、まるで機械の音声のようだった。
不気味すぎて、後ずさりした。
だが、ドンと誰かにぶつかった。
僕は振り返った。
するとクラスのみんなが僕を囲んでいた。
「君も行ったんだ」
「同罪だ」
「逃げたらダメなんだよ」
「魂を置かないと、みんな怒って大変なことになるよ」
「責任を取らないとね」
「コシミズ君を見習いなよ」
「何言ってるんだ、みんな、どうしたんだよ」
前からみんなちょっとおかしかったかもしれない。でもあえて聞かずにいた。怖かったからだ。
でも今は自分の身に危険が迫っていた。我慢をする意味はもうなかった。
僕はランドセルをそのまま放置して、教室から出て行く。
無断で学校を抜け出すなんてやりたくなかったけど、僕は迷わず壁を登って校門から出た。
とにかく走り続けた。クラスのみんなから離れることだけを意識して走り続けた。
だからだろうか。
僕はいつの間にか裏道――裏の通学路——にやってきていた。
「なんで?」
あまりの唐突さに、声が出た。
分からない分からない分からない。
すぐさま離れようと思った。
だけど、
「こっちだよ、――君」
僕の名前を呼ぶ声、そして僕の腕を誰かがつかんだ。
振り返るとそこにはコシミズがいた。笑顔を浮かべている。
表情がちゃんとある、行方不明になるまえのコシミズだった。
「コシミズ、なんでこんな所にいるんだよ。学校にいたんじゃなかったのか?」
「俺はずっとここにいるぞ? そんなことより、こっちにこいよ」
コシミズは腕を引っ張る。コシミズのうしろには草が生える裏の通学路がある。連れ込む気だ。
「なんでそんな所に行かなきゃいけないんだよ」
「なんでって、お前入ってきたじゃん。なに突然こわくなって引き返したんだよ。ここ入ったのに魂置かないとか、ズルいよ」
「嫌だよ、そんなの」
「嫌とか言うなよ。というか別に悪い世界じゃねえぞ、ここ。あっちにも学校があるんだ。ここ、通学路だからな」
コシミズの言うことなんて無視して引き返そうとする。でもダメだった。コシミズの力が強すぎて動かない。まるで石像につかまれているようだ。
「それにさ、俺」
「なんだよ」
「寂しかったんだよ、あっちの学校だと俺の方が転校生だからさ。だから一緒にこいよ」
そのときだった。僕は踏みとどまることができず、コシミズの引っ張る力に負けて、裏の通学路の奥に入り込んでいった。
何が起こったのか、全然分からなかった。
だけど振り返ってみて、分かった。
僕がいた。
僕の視線の先に僕がいた。
僕の視線から見える僕は無の表情になっていた。まるでぬけがらだ。
つまり今こうして連れていかれる僕は魂なのだろうか?
「小難しいこと考えるな。大丈夫だ、もう死なない。永遠に」
「永遠に?」
「それにこれでみんなの怒りも静まる。ちょっと怒っててヤバかったからな」
それは果たしていいことなんだろうか。
望んでもいないのに。
でもクラスのみんなのにらみつける顔を思い出すと、戻りたくなくなっていく。
誰が怖いのか、僕にはもう分からない。
裏の通学路 ケイ(K) @kuromugi
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