記憶。
深夜2時、角部屋。
ーばいばい
最期の君の声はどこか冷静で嬉しそうで。終電なんてとっくに過ぎ去っていたから俺は自転車を走らせた。
「っ…」
鼻に付く嗅いだことのないレベルの激臭が胃の中のものを全て押し戻そうと働きかけるのを何とか抑える。仕事を自分で増やすなんてたまったもんじゃないと、すぐにマスクを着けてリュックサックからゴム手袋を取り出す。時計の針は深夜1時を指していた。
ー私は消えるように死にたいの
夕方4時、高校の屋上。
彼女が呟いた言葉が頭にこびりついて片時も離れない。
ー誰かに「この子は…」なんて語られるのは嫌いなの
ーあと死ぬのを制限されるのも。私は自分の意志で死にたいの
ー私を消してよ
そういう彼女の何かを悟りきった美しい顔が夕日でおぼろげになっていくのも。ずっと…忘れられない。
「…これでだいぶ良くなったかな」
深夜2時半、君の部屋。
いまだ鉄とアンモニアの匂いが混じる部屋で息を吐く。部屋に入った当初よりはましになったけれど。
彼女に言われた通り、彼女だった「モノ」はピンクのトランクに何とか詰めた。彼女の車のキーもポケットにしまってある。
あとは今日まで彼女がここにいたっていう証明を消すだけ。
「…精霊に命ずる」
彼女が大切にしていたネックレスを持った手をぎゅっと握りこんで唱えると手の内が僅かに蒼く光る。
「かの所有者の記憶をこの光届く者全てから消去したまえ」
手を開くと蒼白い光たちが粒となって辺りに散らばっていった。これで彼女のことを覚えている人はもうこの世に俺しかいない。
「…もっと大事になるはずなのにな」
彼女は多分ここまで考えてなかったんだろう。ただ純粋にこの世界から消えてしまいたかったんだろう。でも、俺が彼女の遺体を運んでどこかに埋めたところで失踪扱いだしそもそも俺が捕まる可能性だって十分ある。
「俺がこういうこと出来るからよかったものを…感謝してよほんと」
返事がないのは分かってる。死んだ後の自分に話しかけてくるのが嫌なのも。でもいいじゃないか、特権だよ特権。手伝った人間の。
深夜3時、一つの小さな世界が終わった部屋。
微かに残る「誰か」の匂いをかき消すように、俺は煙草に火をつけた。
(暗転)
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