新たな食料。

 加速する人口増加のせいで日本…いや世界は圧倒的な食糧難に苦しんでいた。

 昔は抵抗の色が濃かった昆虫食さえも今は当たり前のように受け入れられており、家のポストには家賃の督促状と同じくらいの昆虫食セットのチラシが詰め込まれている。


「腹減った…」


 部屋で大の字になっている俺の腹が漫画みたいな音を立てた。

 すきっ腹を埋めるためにだるい体を持ち上げて冷蔵庫を探る。

 しかし、そこには常温になった非常食のカブトムシの幼虫しか残っておらず、俺は腹の虫よりも大きなため息を吐いた。


「そろそろまずいな…」


 水道も電気も止められた上にもう食料すらも底を尽きてしまった。

 いい加減再就職先を探して金稼ぎでもしないと餓死してしまう。

 そう考え部屋の隅に雑に置かれた服の山から毛玉が付いていない服を探し当て外に出たまではよかった。

 が、こちらは特に秀でた特徴もないただの無一文。

 職を探しにハローワークに赴くも、そもそも働き手が飽和状態であるため職員に満足に対応すらしてもらえなかった。職務怠慢で訴えたかったがいかんせん金がない。無理なことであると悟るのにはそう時間はいらなかった。


「あぁ…せめて食いもんが欲しい…」


 ハローワークを回ったり、求人ビラを探し散々歩き疲れた俺は誰もいない公園のベンチに座り込んだ。

 日はてっぺんからちょっと傾いている程度。

 しかし朝から何も食べていない俺はもう活動限界に近い状態であった。


「あー…」


 目の前のコンビニが目に入る。

 ガラス越しに見える店内にはヨボヨボなじーさんがレジの中で一人ぼーっとしている。

 不意に俺はそのじーさんくらいなら俺でも脅してレジの金を巻き上げるくらいできるだろと考えた。


「…駄目だろ」


 俺は頭の中の妄想を消すように頭を振った。

 たとえ脅せたとしても捕まるリスクがありすぎるしなにより武器もない状態で脅しなんか出来るわけもない。そもそも倫理観にかける。


 腹の虫がまた豪快な音を立てた。


「…万引き…くらいなら」


 俺はまたよからぬ妄想をしてしまった。

 おにぎり1個くらいならじーさんの目を盗んでくすねることは出来るんじゃないか。

 強盗よりは全然マシだ…そう全然。


 俺の思考回路は空腹でおかしくなっていた。


 軽くイメージトレーニングをしてすぐさま盗みを決行した。

 そして…あっさりと犯行がバレた。

 犯行最中に裏で仕込み作業を終えた若いアルバイトの男に鉢合わせてしまったのだ。

 逃げようとはしたが空腹だった俺はろくに走ることも出来ずあっさりと捕まった。


 そこからは笑えるくらい早いスピードだった。最初からそうするつもりだったのではと疑うくらいにスムーズに取調べがなされて、あっさりと有罪判決を喰らい牢屋に入れられた。


 そこからはなんとも幸せだった。

 一日三食に仕事。そして適度な運動。

 今までの生活の方がむしろ刑罰だったのではと思うほど快適な生活。刑期の半年なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。


 時間が経つにつれ、今度はその恐怖に苛まれていた。


 あと数日もすれば出所日になってしまう。

 出所すればあのゴミのような生活に逆戻りだ。

 それが酷く恐ろしかった。


 その日から、俺は度々問題行動を起こすようになった。少しでも出所日を伸ばすために。

 違反行為を沢山して懲罰房に何度も入れられた。

 それでも、飢餓一歩手前の生活よりは全然天国だった。



 ーーーーー



 出所予定日から半年ほど過ぎた頃だった。

 俺は突然素行が悪くなったことで面談を受けていた。


「君は元々模範囚だったじゃないか…それなのにどうして」


 殺伐とした空間に響く刑務官の声。彼は俺が入所した頃から面倒を見てくれていた人だった。その優しい声にあてられて、俺は自分の心中を吐露した。

 彼は黙って俺の話を聞いてくれた。

 そして聞き終えるとゆっくりと目を閉じて頷いた。


「そうか…そんな心配があったんだね」

「俺…もうどうしていいかわかんなくて…このまま出所してもまた路頭に迷うだけなんです」


 彼はもう一度頷いて顔を上げると眉を下げて優しげな目で俺を見つめる。そしておもむろに口を開いて呟いた。


「一生しょくに困らないようにすることがもしかしたら出来るかもしれない」

「…え?」


 俺は彼の言葉に目を見開く。

 一生困らないだと?


「本当にですか?」

「えぇ…本当です」


 彼は大きく頷く。


「そのためには一緒に来て…「やります!」


 こんなチャンスは二度とない。

 俺は藁にも縋る想いだった。


「…分かった」


 そこから俺は簡単な身支度を済ませて、数人の同じく収容されていた囚人と共に大きなトラックに乗せられた。

 外の景色は進むにつれてのどかなものに変わっていく。

 もしかして農業でもするのだろうかと揺られながら考える。そしてその心地よい揺れにつられて俺は瞼を閉じた。



 ーーーーー



 先程まで見ていたのどかな風景にそぐわない音に驚いて目が覚めた。

 目を開けると視界には田んぼでも森でもなく、黒の鉄格子の外に無機質な銀色があるのみ。

 慌てて周囲を見渡すとそこには一緒に乗っていた囚人達が倒れていた。


「おい!大丈夫か!」

「あー起きちゃったか」


 聞き覚えのある声にハッと顔を上げる。

 するとそこには俺の悩みを聞いてくれた刑務官の姿。優しそうだった目は醜く細められ残念そう…それでも愉快そうにこちらを見ていた。


「これはどういうことだ!」

「まぁ…冥土の土産に教えてあげますよ」

「冥土の…土産に…?」


 刑務官はコツコツと靴音を鳴らして近寄ってくる。


「この国は今慢性的な食糧不足に陥っています」

「あぁ…急激な人口増加のためだろ?」

「えぇ…ですので昆虫食など政府も色々な案を考えました…しかし消費人数に食料の供給量は追いつきません。そこで政府はある人らに目を付けました…」


 人差し指で空にくるんと丸を書いてから絶句している俺にその指を突きつけた。


「あなた達受刑者にね」


 俺は言葉も出なかった。


「あなたが言ったように、刑務所というものは多少の不自由さに目を瞑れば天国のようなところです…犯罪を犯したのにも関わらず三食食べることが出来、食後の運動だって出来る。今は刑務所に入りたいって理由で犯罪を犯す者も少なくありません…あなたのように出所したくないという人間もね」

「ぐ…その通りだが…だからって国は俺たちを殺そうってのか!?」


 俺の怒号を聞いて目の前の男は不敵に笑う。

 その距離わずか数十センチ。


「ただ殺すんじゃありませんよ。もっと有効活用するんです…言ったでしょう、一生『食』に困らないって」

「え…」


 俺は絶句した。

 一層大きく低い機械音が鳴り響いて俺と刑務官の距離をゆっくりと離していく。


「だって困らないですよね…あなた自身が『食』になるんですから」


 後方から響く音が腹のなる音に聞こえて俺は仕方がなかった。

 


(暗転)

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