大好きだった人。
大好きだった人がいた。
美人でスタイルがよくておまけに成績優秀。絵にかいたような優等生。
けれども誰にでも優しくて嫌味が一切ない、いわゆるクラスのマドンナ。
教室の窓際の席で、突如現れたテロリストに立ち向かう妄想に勤しむ僕なんかとは縁遠い女の子。
僕の日常は彼女との距離を保ったまま淡々と過ぎていく。
過ぎていってくれていたらよかったのに。
ーーーーーーーーーー
「なんでこんな…」
現実は妄想よりも遥かに血なまぐさくて、それでいて残酷だ。
デスゲームなんていう巷で流行りのものがちゃちに思えるくらいに。
ー突如発生した人災ウイルスが蔓延した青葉区は現在立ち入り禁止となっており…
無差別に人を殺すウイルスが蔓延するだなんて、馬鹿げた話だと思う。
それでも今自分の手に握られている2本のハサミの重みが、その刃にこびりついた誰かの血液が。その馬鹿げた話が現実だと訴えてくる。
自分を厳しく叱りながらも導いてくれた先生も、一緒に窓の外を眺めながら妄想話に花を咲かせた友人も。この教室で息をしていたみんなを、僕は殺してしまった。
どこで間違えたんだろう。何か悪いことをしたんだろうか。
僕の腕の中で冷たくなっていく友人の最期の顔ももう思い出せない。
がたりと物音がしたことに気が付いた。
そして僕はその音に振り返ってしまった。
「あ…」
今、一番会いたくないあの子がそこにはいた。
むせ返るくらいの血の匂いに彼女は眉をひそめてその場にしゃがみこんだ。その表情さえも可愛らしいなんて思っている自分はもう否定しようもない異常者なんだろう。
心臓が熱い。どくどくと脈を打つ音が脳内に響くような感覚。
ウイルスによる衝動だということはもう分かり切った話だった。
でも、何故だろう。手が動かない。身体が一切言うことをきかない。
いや、違う。
本能が衝動を抑え込んでいる。そんな感じだ。
滲み始めた視界にはふらつく足をどうにか踏みしめて立っている彼女が映っている。
涙をぐっとこらえながら僕を見つめる彼女は凛々しくて美しい。
「君は…」
衝動を抑える最後の切り札が、こんな淡い恋心だなんてふざけた話。
けれど、僕が僕として最期を迎えるために残されたのはこんなふざけた感情だったんだ。このウイルスへの打開策を必死に研究している研究者さん、どうか許してほしい。
「君は…クラスどころか今まで僕が出会った誰よりも一番かわいくてそれでいて真剣な眼差しは本当に格好良くて、いつだってみんなをまとめあげて、クラスの中心にいるのに僕みたいなもののことも考えてくれてて、実は野菜が苦手だけどお母さんが作ってくれたお弁当だからっていって残さずに食べてるのも凄いと思うし、絵も上手いし書道だってできるしピアノだって弾ける。でもそれが天性の才能だって胡坐をかくわけじゃなくてちゃんと努力しているんだっていうのも分かるし…えっと…えっと…」
気持ち悪いのは承知の上だ。
それでも自分の心に溜まる感情全てを吐き出した。
「僕は…」
そして最後に、僕として残る感情は。
あぁ、やっぱりそうだ。
「君を…殺したくない」
僕は無力でわがままだ。
大好きな人さえも苦しみから救ってあげられない。
なんならこの先僕を一生背負ってくれと言っているようなものだ。
僕の真意が伝わったのだろう。彼女は酷く動揺した様子だった。
こらえていた涙が溢れて頬を伝う。その涙は床に落ちて誰のものか分からない血と混ざり溶けていく。
それでも彼女は強かった。僕と違って。
「よかった…」
涙を拭い、力強く首を縦に振った彼女を見て、僕は思わず安堵の声をもらした。
あなたは僕を殺せる。
あなたは僕を殺してくれる。
一歩、また一歩。距離が縮まる。
普通の生活では絶対にありえない。半径0cm。
生温かい何かが口元を伝うのも気にならない。
ごめんね、僕のせいで。
僕が君を大好きだったせいで、傷つけて、背負わせてしまう。
「-------」
最期に見たあなたの涙でぐしゃぐしゃのその顔は。
星が瞬くよりも短い一生の中で、鮮明に。
僕の心に残り続けた。
(暗転)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます