つり。

人が吊らさっていた。


一度部屋を出て表札を確認しようと思ったが、生憎うちは防犯の観点から表札をつけていないことを思い出す。このマンションでも表札を付けていない家が大多数だろう。

表札はないものの、代わりに玄関の靴棚に今日俺が用意したのにも関わらず無様にも忘れていったお手製弁当がある。うん、ここは俺の家で合っているだろう。


人生で嗅いだことのない匂いが充満している。冷蔵庫で葉物野菜を腐らせた時とは比にならない悪臭だ。窓を開け放ってやろうかと考えたが、せっかくそれぞれの夕飯の匂いが混じるなんとも趣深い夕方に、後先考えずまき散らすのもなんだか気が引けた。そもそも勝手に吊られていたのに事件性を疑われかねない。

俺が定時で仕事を終えて家に帰ってきたら首が吊らさったものがあった。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。


わざわざ顔を確認する気にはならなかった。でも知り合いではないだろうとはなんとなく思った。

俺の家を知っている知り合いなんて両手で収まる程度だし、その中でもこんな意味の分からない迷惑行為をするような人間は片手にもならない。そういう輩には俺は自分の家を教えないからだ。当たり前だろう?


こういう時にはどうすればいいんだろうか。


普通に警察でいいのか。

「家に帰ったら首吊り死体があリました」なんて通報信用してくれるだろうか?

変に疑われて貴重な夕方から夜にかけての時間をつぶされても困るんだが。警察の事情聴取は長いと聞く。同じような質問を何度もされるそうだ。俺は効率厨というわけではないが、自分が一切関係ないことで時間を取られるのは人並みに嫌だった。まぁ、今回は俺の家で吊られてるわけだから関係はあるのか。


どう処理をしたらいい者か。そう考えながら吊られた体の足先にふと視線を向ける。

そこには元々俺が置いていたローテーブルがある。木目デザインの俺のお気に入りだ。その上に紙切れがあった。


正直近づくのも億劫だったが動くのに時間をかけても意味がないのでその紙切れを手に取る。頭に足先が当たりそうだったからわざわざしゃがんだ。紙切れにはお世辞にも綺麗とは言えない丸文字で一言。


ーもう限界でした


いや、知らんが。率直にそう思った。

限界だったのかもしれないが、どうしてそれが俺の家で首を吊ることにつながるのか。さっぱり分からない。あまりにも唐突すぎる言葉に天を仰ぐ。


死体と目が合った。

ぐわっと見開かれた瞼、血走った赤と白色。これを果たして目が合ったと表現していいかはいささか謎ではあるが。


というか、やっぱり知らない奴だ。



紙切れには電話番号が添えられていた。

ここに電話してくれと言わんばかりの存在感を放っている。

警察に電話するより先に、俺はその番号に電話を掛けた。


数コール鳴ったあと、問い合わせ対応ではもうすっかり主流となった案内音声が流れる。死体処理は1番らしい。こういう音声案内は一々スピーカーにしなきゃいけないのが面倒臭い。

スピーカーにしてから1番を押す。

すると数秒無音が続いた後、すぐに電話は切れてしまった。

なんなんだ。


そう思った時だろうか。ドアチャイムが鳴った。

こんな時に来訪者か。普段鳴ることなんて滅多にないのに。

居留守を使ってやろうかと考えたがこの知らない死体とともに居留守を決め込むのもなんか嫌だったのでよろよろと俺は玄関の扉を開けた。一応死体はリビングにつながる扉を閉じて隠してあげた。


「rsadngjga rs rgddkheaj」


ドアを開けるとそこには防護服に身を包んだ集団が立っていた。

まぁ集団といっても3,4人くらいだが。全く知らない言語らしきものを発してから丁寧に一礼をする。

やばい、何のことか理解ができない。


「あー…えっと…」


どう伝えたものか。そもそも相手が使っている言語が分からない場合はどう伝えればいいのか。公用語でいいのか?英語は赤点を何度か取っているけど通じるだろうか。そもそも公用語という概念がある生物だろうか。

そこまで考えていると一番手前の防護服がこてんと首を傾げた。


「rgshd siga du ohaegpjorg」


相変わらず何と話しているのは分からなかった。だが、頭の中に自然と何を伝えようとしているかは伝わってきた。どうやら死体の回収に来た業者らしい。

なんで言語を理解できていないのに意味は理解できたのか、考えようとしてやめた。俺は仕事で疲れていて、この人たちはこれから仕事をするんだ。余計な思考を使わなくてもそれでいいだろう。


俺は「どうぞ」と伝わるか分からない日本語で防護服を部屋の中に促した。すると手前の防護服は会釈をして部屋の中に入っていった。他の防護服もそれに習うように俺に会釈をしてから部屋に入っていく。一人はどうやら残るようでドアを押さえたまま動かなかった。

無言の空間が少し居心地悪い。しかし相手は仕事で来ているため変な雑談をするのも忍びなかった。

リビングに繋がるドアは防護服たちが入っていってからはそのまま開いたままだ。ぷらんと吊り下がった身体に防護服たちが手を合わせている。それは扉を押さえている防護服も同じだ。俺も何となくそれに合わせて手を合わせた。


そこからはもう流れ作業のようだった。

よく分からない機材で天井にぶら下がったロープを切って、難なくぶら下がってた死体を床にひかれたシーツとともに回収する。

そういえば床に汚れとかなかったな。そうぼんやり考えていると作業中の防護服と目が合った。顔が見えるわけではないので正確には目が合った気がしただけだが。

さっきのようにまた軽く会釈されたので俺もそれに返した。



「diohogge;ajfpemaaargrewiohi」


数分後、相変わらず言葉としては聞き取れなかったが、どうやら作業を終えたらしい防護服が俺に声をかけてきた。


「いえ、こちらこそありがとうございます」


俺が礼をして頭を下げると防護服に包まれた手で顔をあげてくださいと促される。そのまま頭を上げると俺の部屋に入って作業していた防護服たちは彼以外は廊下に出払ったあとだった。


「hrwhsgroiwrgaoihgmp」

「あぁ…気にしないでください」


全員が出て行ったのを見て、手前にいたらしい防護服がもう一度俺に頭を下げながら廊下に出る。


「akfbgrueoiaigte;apgepre」

「はい、お疲れ様でした」


再度丁寧なお辞儀の後に扉がぱたんと閉まる。


ー同胞が大変失礼致しました。


最後の方、彼がそう言ったように俺は感じ取った。

一体同胞とは何なんだろうか。同じ人間なら俺も同胞だというのに。


そこまで考えてやめた。ぐぅっと腹が鳴る。

開いたままの扉からリビングが見える。もうそこは俺が家を出た時と何ら変わらない景色だった。

しかしなんだか部屋で食べる気は起きない。

どうせなら置いていってしまった弁当を公園あたりで食べようか。

そう考えてまだそのまま靴箱の上に置いていた弁当箱を持つとやけに軽い。


「あ」


蓋を開けるとその弁当はすっかり空になっていた。

弁当の底に何か紙切れがちらりと見え隠れしている。


ー美味しかったです。ありがとう。


さっきの紙切れと同じ丸文字だった。




(暗転)

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短編 怖グロまとめ めがねのひと @megane_book

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