気まぐれ。

気まぐれに、今まで地下の箱に乗って素通りしていた地上を歩いてみた。すると今まで見えてこなかった異世界が広がっていた。


一見して濃厚な歴史がありそうな喫茶店に入ると閑古鳥と大御所らしきおじさんの声が混ざった店内の雰囲気に出迎えられる。飲み物オンリーの立て掛けメニューをひっくり返すと随分と豊富なメニューに圧倒されつつ、少し豪華にカツカレーを注文。

料理を待っている間にいまだ人が増える気配のない空間に目をむけると壁にはサービス券の張り紙を見つけた。周りにはおそらく常連客のものだろうボトルキープならぬサービス券キープされたものが所狭しと貼られている。充実した漫画棚や古い型のカセットプレイヤーと大量のカセットテープ、明らかに手書きのセットリストが組まれたMDからほのかに人の香りを感じた。

ほどなくしてお目当てのカツカレーが運ばれてきた。小さくいただきますしてからスプーンでカレーを掬う。気休め程度にしかならない息を吹きかけ熱さに怯えながら端のカツとカレーライスを口に運ぶと口の中でふわっと懐かしさと少しの贅沢感が支配した。ただ幸福に包まれて自然と目を見開いて一心不乱に食べ進める。一口、また一口と幸せが全身に染み渡る。最後に出されたほろ苦いデザートが心の平穏を保ってくれていなきゃきっと自分は泣いてしまっていたことだろう。


世間柄、足早に店を後にして今度はふらっと古書店に立ち寄った。重ためな木の扉を開くと自分の背丈を優に超えた本棚が視界に飛び込んでくる。本屋自体は何度も足を運んでいるがなんというか、威圧感が違う。でもそれは不快になるようなものじゃない。自分の知らない世界がぎゅっと閉じ込めているようなそんな感じ。知識の波に乗れるようで心が少し躍った。

奥に進んでいくとより本独特の匂いが強くなっていく。それと同時に棚の色味も減ってさらに歴史を感じた。気づけば大通りに面しているはずなのに聞こえるのはエアコンの稼働音だけ。ちょっとした異世界。発展した現在が本に吸い込まれているようだ。

流石に何も買わないで立ち去るのは冷やかしになってしまうので目についた本を一冊買って小さな異世界を立ち去った。


終着点。

若干だるくなった足を引きずって立ち止まるのは庭先程度の屋上。高所特有の風がせっかく綺麗に整えた髪を乱してくる。最初こそ何とか整えようとしたがひっきりになしに吹く風にもはや諦めを覚えた。鏡を見たら萎えそうだから見るのはやめておこう。

ボロボロの靴を脱いで先に足を進める。一気に下からの吹き上げが強くなってふらりと体がよろけたが、何とか踏みとどまった。よろけてそのまま落ちるのは不本意ではない。


「…空、綺麗だな」


空は雲一つない快晴。邪魔もされずに昇れるのは非常にありがたい。これならきっと、浮き上がってる最中にも美しい外界が望めることだろう。


ばいばい現世、来世で会おう


ポエムチックな言葉を最期に呟いて。

気まぐれに私は、重力に抵抗して見せた。



(暗転)

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