第2話 栗原先生へ

 先生お元気ですか?幼稚園の担任だった先生は、私にとって初めて出会う「先生」という肩書の人でした。名字に先生を付けて呼ぶということだけを漠然と習得していて、お姉ちゃんの様に思って慕っていた事を覚えています。

 私は泣いたり自分の願望を口に出したりすることを禁じられた生活をこの頃から既に強要されて生きていました。転んで泣いても、親からは「大丈夫でしょ」と言われ相手にしてもらえません。目の前で怪我をした弟は、それは丁重に処置をしてもらっていました。私のおもちゃを弟が欲しがると、どんなに拒絶しても怒鳴られ叩かれ最終的には「お前は我慢しろ」と言われ、奪われてしまいます。四人家族というよりは、三人家族の後ろから一人で歩いて着いていく、そんな感覚の生活でした。親と手を繋いで歩いた記憶がありません。弟が両親の間に入り両手を繋いでもらって歩く、その後ろから私は一人で歩いていました。親に抱いてもらった記憶がありません。弟が父に抱かれ、手がふさがった父の荷物を母が持ち、私は後ろから一人で歩きました。毎日、今日は涙を流すことなく過ごせるかが課題でした。家という小さな世界しか知らない私にとって、その課題は幼稚園においても忠実にこなさなければいけないものだと思っていました。誰かに助けを求める事もしてはいけない事の一つでした。年長さんの男の子に意地悪をされ、教室に戻らなければならないのに、靴を奪われてしまい、返してもらうのに必死で時間を過ぎてしまった時、先生から叱られても、助けて欲しかったと言う事が出来ませんでした。

 

 ある日、私は教室を走りまわっていて、盛大に転倒しました。体が痛み、息が詰まりそうです。でも泣いちゃいけない、私は必死に全身に力を入れて涙が出ないように堪えようとしました。しかし子供の事です。溢れ出る涙を止めることは出来ませんでした。私は無意識に「大丈夫でしょ!」「いつまでも泣くんじゃない」と怒鳴る母の顔を思い浮かべ、先生からも叱られてしまうと怯えました。しかし先生、あの時泣きじゃくる私に近寄ってきた先生の口から出た言葉は「大丈夫?」でした。私は、驚きました。初めて大人に心配してもらえた、その驚き、喜び、安堵から、止まりかけたはずの涙がまた溢れてしまいました。そんな私をさらに驚かせる言葉を先生はかけてきました。両手を広げて、「ちょっとお外を見ようか」と言ってきたのです。ようやく泣きやんだ私が先生に近付くと、先生は私を抱きあげ、窓から園庭を見せてくれたのです。大人に愛情を持って抱きあげられて高い所から景色を見る、それは本当に幸せな事でした。先生の肩の高さからだと、幼稚園の庭が全て見渡せます。他のクラスの園児が遊んでいる、そんな何でもない景色が広がっていましたが、後にも先にも、大人に抱きあげてもらったのは、あの日一度だけのことでしたので、鮮明に幸せな思い出として心に刻まれています。

 

 集団で帰宅する時は列の最後尾に並ぶようにしました。二人ずつ並んで手を繋ぎ歩くのですが、一番後ろの園児は先生と手を繋がせてもらえるのです。大人が私の事を一つの人格ある生き物として大切に扱って、一緒に会話をしながら歩いてくれることが本当に幸せでした。相手が身内なのか、保育士さんなのか分かりませんが、大人が子供と手を繋いで歩く姿をよく見かけます。しかし、私と手を繋いでくれたのは先生と年の離れた従姉妹だけでした。やがてそんなことを必要とすることもなくなり、手を繋いでもらったことがないという記憶だけを心に焼き付けた状態で大人になりました。一度でも抱きしめていただいた事、今でも本当に感謝しています。先生にとっては何気ない一日の一ページで、翌日にはお忘れになってしまっているような事柄だと思います。でも私にとっては本当に幸せな瞬間でした。守ってくれる人もいるんだと心から安心した瞬間でした。


 卒園式の日以外で、一度だけ、先生は教室で涙を流した事がありました。覚えていますか?何があったのか、私には全く分かりません。気がついたら先生はたくさんの園児に囲まれた状態で泣き崩れていました。大人が泣いているところを見た事がない私は、本当に驚きそして、心配しました。同級生をかきわけ、先生に近付き「どうしたの?先生」と声を掛けたら、小さく一言「自信がなくなっちゃった」と言ったのです。

 騒ぎを聞きつけた隣のクラスの先生も駆け付けたところでした。「先生が自信をなくしちゃって泣いているんだ」と必死で訴えても、隣の先生は「地震は怖いよね。揺れるよね」と笑って答えます。「その地震じゃないもん」と一生懸命伝えるのですが「じゃあ何?」と返されると、地震と自信は違うことは分かっているのに、自信を言葉で説明出来ないのです。今思えば子供たちを煙に巻いておいた方がいいという先生の優しい判断だったのだろうと思いますが、本当に悔しい思いをしました。あの時、一体何があったのでしょう。結局真相は闇の中です。教室で泣くなと、上司に叱られたのでしょうか?大人になってからそんなことも想像しますが、あの時はありのままの姿を子供に分け隔てなく見せてくれる、自然体の先生を単純に大好きだと思いました。

 

 私が小学校に入学した後、先生はご結婚かご出産を機に退職されたように記憶しています。幼稚園の先生というお仕事はやりがいがありましたか?誰でも応募すれば就職出来るようなお仕事ではなく、専門的な勉強が必要なお仕事ですので、望んで選ばれた道だったのだと思います。私は自分が何をしたいかを優先させずに、両親との間に余計な揉め事が起こらない事ばかりに注意を払い、就職を安易に決めてしまいました。社会人になってみて初めて、自分の不得意分野得意分野に気付くというお粗末な人生を歩んでいます。たくさんの失敗を重ね、今でも迷い傷つきながら生きています。生きていく先々でいじめに遭います。そういう役割の人間なのだろうかと悲しくなる事もあります。もちろん、今でも私を助けてくれる人はほとんどいませんが、正しく話を聞いて理解してくれる人がわずかながらそばにいてくれるようになりました。おかげで私は時に戦い、時に耐え、子供の頃の自分を思いやりながら、生きています。嫌な事があってもいつまでも同じ事が続くわけがないのです。楽しい事もたくさん自分で作り出す事が出来ます。先生に愛してもらった事を思い出しながら、何歳になっても日々勉強、自分を磨き続けて生きます。私にとっての初めての外の世界が幼稚園でした。担任が栗原先生で本当に良かったです。ありがとうございました。いつまでも、お元気で。 

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