第3話 ねもと君へ
お元気ですか?手紙を書くのは小学二年生の年賀状以来でしょうか。わずか二年間同じクラスで過ごしただけなのに、今でもねもと君の事は本当によく思い出します。私が真由美ちゃんと休み時間にお手玉で遊んでいたら、ねもと君は「外で遊ばないとダメなんだぞ!」と突っかかってくるように声を掛けてきました。「そんな決まりないよ。外で遊びたければ行けばいいでしょ。」と私が言い返すと、「お前達も来るのか?」と聞くのです。お手玉をしているのが分からないのか?と最初は不思議でした。「私達は行かない」とはっきり言うと、再び「外へ行かないとダメだ」の繰り返しです。なんだこの人?と思いながら、もしかしてと私は「一緒に遊びたいの?」と尋ねました。そうしたらねもと君、あなたはあっさり私達のお手玉に入ってきましたね。今思えばなんともおませなやりとりで微笑ましいったらありません。
小学校の一年生です。男の子は男の子と、女の子は女の子と遊ぶのが当たり前の時代、一人女の子に交じって遊ぶあなたは当然ガキ大将の餌食になり、ずいぶん冷やかされていました。でも我関せず、本当に私達と一緒にいる事が楽しそうでしたね。
私は同じクラスの二人の男の子にいじめられていました。髪を引っ張られたり、体育の着替えを見られたり、小さな子どもにはそれは大きな苦痛でした。学校に行きたくなくなる程だったのです。でも、先生に相談しても親に相談しても「放っておけ」と言われるばかり、学校に行きたくないなんて言おうものなら、引きずり回されてでも連れていかれ、涙も出ずただ傷ついていました。でも、ねもと君と一緒に過ごすようになってから変わりました。いじめられる事には変わりなかったのですが、助けてくれる人がいつも一緒にいてくれたからです。ねもと君よりいじめっこ達の方が明らかに体は大きいのですが、私の所に近づいて何か意地悪をしようとする彼らに「やめろよ」と向かって行ってくれるあなたは本当に頼もしかったです。その後ろで私は安心していました。そして、なぜかいじめっこ達はねもと君に手を出すことなく諦めて毎回去っていき、やがていじめもなくなっていきました。もしあの時けんかになっていたら、恐らくあなたは傷だらけだったのではないかと思います。ねもと君の何かが彼らを止めたのでしょうね。
覚えていますか?お別れは突然でした。私達は第二次ベビーブームと呼ばれる時代に生まれ、通っていた小学校はパンク寸前で、三年生になる時に小学校が新設され、春から私はその新しい学校に通う事になり、ねもと君は今までの学校に残る事になりました。三学期の終業式の時、新しい学校に移る生徒が前に並ばされ、お別れの挨拶をしました。引っ越すわけでもないのでなんとなくピンときませんでした。ねもと君も私が教室を出る時、いつもと変わらない様子でしたね。私もいつも通りでした。校門の前まで来た時、大声で「穂高!」と呼び止められました。振り向いたら、追いかけてくるねもと君の手には私の傘がありました。春からは違う学校に通うので、忘れ物には気をつけるようにと先生に散々言われたのに、私は忘れ物をしたのです。
「ありがとう。バイバイ。」そんなことしか言わなかったように記憶しています。ねもと君も無愛想に私に傘を渡した後、校舎に戻っていきました。なぜ、あの時「また遊ぼう」の一言が言えなかったのか、悔やまれてなりません。
小学校四年生になる頃、ねもと君と同じクラスの女の子と私は偶然同じ習い事をしていました。そこで彼女から「ねもと君があなたのことを大切に思っているらしい」といきなり聞かされました。今となっては本当の事か知るすべはありません。ただただ他の大勢の人の前でそんな話を聞かされた事が恥ずかしく、その場でつっけんどんな返事をしたように記憶しています。心の中で、全然会っていないのにとすごく嬉しく思いながら。私は真剣に恥ずかしかったのですが、それを聞いていた周囲の大人達には微笑ましく映ったかもしれません。いい時代に生まれ育ったものです。
最後にねもと君の姿を見たのは小学校五年生になる頃だと思います。バスの中でした。偶然ねもと君のお母さんを見つけ、私の方から声を掛けたのです。お母さんは大変喜んで下さいました。そして、家の都合で他県へ引っ越すことになったと知らせてくれました。「え?そうなんですか?」と言いながら、ショックで次の言葉が出てきません。普通に小学校を卒業して進学したら、また同じ中学校で再会出来るはずだったのです。あの時、住所を教えて欲しいと一言言えていたらと、今でも思います。バスを降りる時、一番前の座席に座っているねもと君の姿をちらっと見ました。お母さんは車両の真ん中辺りで立っていらっしゃったので、お一人だと私は思い込んでいたのです。あっ!と思ったものの、久しぶり過ぎて話しかける言葉も思いつかず、しかもバスを降りねばならず、結局無言ですれ違うこととなってしまいました。
小学校低学年の二年間を一緒に過ごしただけのねもと君。今はどうされていますか?あの日のいじめっこの一人は実業家として成功され、その業界ではちょっとした有名人になっています。世間は狭い物で、知人の知人がいじめっこでした。お会いすることこそありませんでしたが、ちょっとメールでやりとりをしたところ、ちゃんと私の髪を引っ張ったことを覚えていたので、40年越しで謝らせましたよ。今はインターネット社会になり、何でも簡単に情報を入手することが出来るので、ねもと君がどうされているか知る術はないかと、いろいろ検索を試みたのですが、なにしろ一緒に過ごしたのが六歳の頃のこと、ねもと君が根元君なのか根本君なのかすら私には分からないのです。下のお名前に至っては、音はちゃんと覚えておりますが、漢字が分からないと二文字の組み合わせは無限大です。
小学生の時にお引っ越しされ、他県に行かれたとしたら、その土地がねもと君の故郷となっているのでしょうね。どんな人生を歩まれたのでしょう。幸せな出会いがたくさんあり、素晴らしい経験をたくさんされていることを願ってやみません。素敵な家族に恵まれ、健康に暮らしておられますように。そして、少しだけ、欲を言わせていただけるなら、私がそうであるように、何かの拍子にちょこっと、私の事を思い出してくれる事がありますように。いつまでもお元気で。
追伸。不思議な物で、私は卒業した小学校の校歌をどうしても思い出せないのに、ねもと君と二年間だけ通った小学校の校歌はよく覚えています。ねもと君は覚えていますか?丘には仔馬が遊んでたという、今ではありえない歌詞の歌。シンボルの栃の木は昔ひっそりと校舎の隅に立っていましたが、今は改築に伴って、校庭の真ん中に鎮座しているそうです。
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