第4話 松木先生へ
ご無沙汰しております。もし私の事が御記憶にございましたら、今頃になってこのような形でお手紙を書く事をお許しください。そして、長きにわたりご指導いただいたことを心よりお礼申し上げます。
先生より先に私は小学校三年生の時に奥様と出会いました。二年生までは担任の先生がクラスでオルガンを使って音楽の授業をしていたのですが、三年生からは音楽室を使って専門の先生にご指導いただくことになります。その音楽の先生が松木先生の奥様でした。小さな子どもから見てもお上品で、グランドピアノがよく似合う先生でした。ご挨拶代わりにとモーツァルトのトルコ行進曲を弾いて下さった最初の授業は今でもはっきりと覚えています。今でもトルコ行進曲は大好きな曲で、耳にすると先生の事を思い出します。
私の何がよかったのか、専門的に勉強をしたこともないのに、先生からある日突然地元の児童合唱団の入団試験を受けてみないかと勧められました。幼稚園も小学校も決められた学区で通っており、今思えば初めての試験です。不合格なら入団させてもらえません。合格出来るのは五人に一人と聞かされていました。子供の私にとっては難関です。それでも、大好きな先生に褒められたい一心で私は毎日放課後に行われる、課題曲の練習に励みました。
奇跡的に私は入団を許され、そこで子供たちに歌を教えておられたのが松木先生でした。練習はただただ楽しく、いつの間にか自分が上達していることにも気づいていませんでしたが、中学生になり、児童合唱団を卒団し卒業生で作った女声合唱団で引き続き勉強を続けるようになった頃、学校の他の同級生と自分は発声方法が違うと気付き始めました。練習すればするほど高音が出るようになり、発表会では高校生に交じってソロパートまでもらえるようになり、学校よりも家よりも合唱の練習場にいる時間が楽しかったです。私は単純で子供で、そんな時間が永遠に続くと本気で思い込んでいました。
未だ、何があったのか詳しい事情は分かりません。詳しく聞いたのに思い出せないのかも知れません。ある日女声合唱団が解散するということになってしまいました。その代わり、母体の児童合唱団のOB会として新しい合唱団を作るということでした。最後の練習の日の最後の曲、シューベルトの「鱒」、泣きながら歌ったことを今でも覚えています。
新しく出来た合唱団にどうしても私は馴染めませんでした。そこには知らない大学生がたくさん集まっていました。先生の教え子の皆さんです。松木先生は合唱団の先生、それが私の知りうる全てでしたが、先生は大学の芸術学部で音楽を専門に教える教授です。言葉では理解しているつもりでも、合唱団以外の場所でご活躍されている姿を全く知らない私は、井の中の蛙でした。気後れしてしまったという表現がその時の気持ちに近いかもしれません。今までの合唱団は小さいながらも自分たちで作ってきたという自負がありましたが、とんでもない技術を持った大学生の集まりに、なんとなく「私の居場所がなくなった」と感じてしまったのです。時期を同じくして高校生になった私は文化祭の企画運営を任され忙しくなり、何とでも時間は作れただろうに、それを口実に少しずつ合唱団から遠のいていくこととなってしまいました。
中学二年生の時、「声楽家になる気はないか」とお声掛けいただいたこと、今でも忘れられません。声楽家というお仕事がどのようなものなのかもよく分からないまま、声が活かせるならそんな素晴らしいことはない、しかも松木先生に認めてもらえた、その嬉しさで私はすぐ当時の音楽の先生に相談に行きました。ピアノが弾けないことがまず問題であること、そして音楽高校へ進学してしまうと将来の選択肢が狭くなることから、普通科への進学をシビアに勧められてしまいました。確かにピアノが弾けないのは致命的です。大人になって分かりますが、声楽家として生計をたてるのは大変難しいことでしょう。でも、もしあの時臆することなく挑戦していたら、私の人生はどんなだっただろうと、小さな会社で事務員をしながら、今でも時々想像するのです。
今でも歌は大好きです。時々通いやすいところに合唱団がないか、探しています。昔ほど広い音域は出せなくなってしまいましたが、カラオケに行くと初めて私の歌を聴く人はたいていびっくりします。合唱の発声しか知らないので、いわゆる流行りの曲が歌えず、昭和歌謡を熱唱してしまうからだと思います。昔のアニメ主題歌などは喜ばれます。合唱団でも、発表会用に何曲も練習しましたね。先輩の手描きのイラストを使って、お揃いのTシャツを作り、本番で着たのも楽しい思い出です。趣味の域で終わってしまうこととなりましたが、私に愛情を持ってたくさんの技術を授けて下さって本当にありがとうございました。大学生としてではなく、小学生として先生と出会えた事を幸せに思っています。
先生の元を卒業された皆さんが、大勢ご活躍されていることと思います。私は憧れのまま終わってしまいましたが、夢を実現されている皆さんの将来が末永く明るい物でありますように。心からお祈りさせていただくとともに、遠くから応援させていただきます。
児童合唱団は当時より大きくなったようですね。いろいろな式典に招かれ、楽曲を披露しているようです。自分はこの合唱団に所属していたのだと思うと嬉しくなります。
先生、楽しく実り多き時間を本当にありがとうございました。心が弱く新しい場所で歌い続けられず、その時の気持ちも伝えられず、ご期待に添う事も出来ず本当に申し訳ありませんでした。先生の事を忘れず、不義理なことをしてしまった事を忘れることなく、これから自分が出来る事を全力でやって参ります。どうぞ、お元気で。
追伸。この手紙を書きながら、今まで私は年賀状以外で先生にお便りを宛てた事があっただろうかと、古い記憶を辿っておりました。先生が一年間ヨーロッパに音楽留学されていた時、エアメイル用の薄い便箋を文字で埋め尽くして、何通もお手紙を書いたことを思い出しました。何を書いたのか全く覚えていないのですが、先生が不在で合唱団がどうなってしまうのか不安な一心で書き続けていた事、私が手紙を出すたびに丁寧にお返事を下さった事を覚えています。メールなどない時代、お仕事で海外に行かれているのに、中学生からしきりに便りが届き、返事を書かなければならないのは、大変なことだったろうと、当時の先生より少し年を重ねた今、改めて思います。何から何までご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。反省することを学んだことだけ、せめて喜んで頂けたらと思います。
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