第5話 瀬戸君へ

 お元気ですか?二十歳の夏休み、家でニュースを観ていて、テレビ画面にあなたの名前が出てきた時の衝撃を今でも忘れる事ができません。それは、大きな交通事故のニュースでした。偶然同じニュースを見ていた同級生から、すぐに電話がかかってきました。「どうしよう」と言われても、どうすることもできないのですが、個人情報が厳しく取り締まられている現在と違い、友人が警察に問い合わせをして、入院先を知ることが出来ました。

 瀬戸君とは小学生の時に塾で知り合い、同じ中学に進学し、部活動も一緒で、中学三年生の時にはクラスも一緒になり、長い時間を共にしましたね。高校は別の学校に通いましたが、私が親しくしていた友人と瀬戸君が連絡を取り合っていた事もあり、中学卒業後もしばらく顔を合わせる機会があったように記憶しています。

会う機会が減ってわずか数年後の、この事故の知らせです。私は居てもたってもいられませんでした。入院先を知らせてくれた友人に、「お見舞いに行ってみよう」と言いました。しかし、友人は「怪我の程度も分からないのに、今行って自分達が出来る事はない。返って迷惑になる事もある。」とお見舞いを拒否してきたのです。友人の方がずっと大人で私は世間知らずでした。本当にそうするべきだったのです。


 私は冷たい友人を置いて、一人で翌朝駅へ向かいました。入院先は新幹線に乗らなければならない程自宅から離れた所です。お金はないが時間はある貧乏学生だった私は、在来線を乗り継いで五時間かけて現地へ向かいました。病室をノックすると、お母さんが応対して下さりました。中学の同級生であること、事故を知って慌てて来てしまった事を手短に話すと、お母さんは小さな声で「頭を打っているので覚えているか分かりませんが、よろしければどうぞ。」と室内に招き入れてくれました。ここでもまだ私は事の重大さに気付いていないのです。たくさんのチューブに繋がれた瀬戸君に意識がはっきりあり、私の顔を見て昔と変わらない調子で「え?穂高じゃん。どうしたの?来てくれたの?」と言うので、逆にすっかり安心してしまった程でした。お母さんに「もう少し離れてろ」だの、私に「そこへ座って」だの達者な口で指示を出し、旅行中に事故をおこして、どうやら後部座席でシートベルトをしていなかったから、外に投げ出されたらしい、今日から他の用事があったのに、全部キャンセルしなければならなくなってしまったとぼやき始める始末です。そして、ポツンと話の最後に「俺、穂高と飲みに行きたかったんだよな」と言ってくれました。お酒の飲めない私ですが、このお誘いは本当に嬉しく、治って自宅に戻ったら連絡をくれるだろうとさえ思っていました。


 帰りの電車の時間が迫り、挨拶をして病室を出た私を、瀬戸君のお母さんが送って下さいました。病院の外まで出た時、お母さんの口から、もう二度と歩けないこと、瀬戸君以外の同乗者が全員亡くなり、それを瀬戸君はまだ知らされていない事を聞かされました。私はなんてバカだったのだとその時ようやく気付きました。お見舞いに行かないなんて冷たいと思いましたが、その友人こそが正しかったのです。瀬戸君はいつ、自分がもう歩けない事や、友人を亡くした事を知るのでしょう。その時のショックの大きさを私は想像することすらできません。そこから家に帰るまでの記憶がほとんどありません。どんな顔をして電車に乗っていたのか、見知らぬ女性に「大丈夫?」と声を掛けられました。

 翌年、私がアルバイトをしていたスーパーに瀬戸君のお母さんが買い物に来てくれました。少し疲れたご様子でしたが、地元の病院に転院出来た事を教えて下さいました。ご丁寧に「その節はありがとうございました」と頭を下げられ、無神経にお見舞いに行った私は目を合わせることすらままなりませんでした。私が知っている瀬戸君の近況はここまでです。四半世紀以上前の事です。その後、一度私の実家にお電話をくれたようですね。その時既に私は引っ越してしまっていて、お話をする事が出来ませんでした。あの時あなたは私に何を伝えようとしてくれたのだろうと、今でも時々思い出してしまいます。


 あの事故だけがきっかけではありませんが、私は車の免許を取らない人生を選びました。今のところ不便を感じる事もありませんし、これから先も私には必要のない資格だと思っています。もし、将来田舎暮らしをするなどとなったら、若い時に運転免許を取得しなかった事を後悔する日がくるかもしれません。そうなったらその時に考えることにします。いずれにしろ、自分で決めた事です。

今の医療を持ってしても叶わないことはたくさんあるのでしょうか。私はバカで世間知らずで、「命に別条なし」と言われたら、時間がかかったとしても元気に元通りの姿で帰ってくると思い込んでいます。忘れた頃に私の夢の中に出てくる瀬戸君は自分の足で歩いています。そして、医学の進歩はすごいねと驚くのです。何度か同じ夢を見ました。そんな日は来ないのでしょうか。

もし、どうしてもそんな日が訪れることなく、あなたが自分の足で歩く機会がもうないとしても、どうかあの頃の明るさ優しさをそのままに、楽しく幸せに人生を歩んでいて欲しいと願っています。怪我の大きさが怖くて私は逃げてしまいました。退院されていたとしたら、連絡は取れたはずですが、どんな言葉をかけていいのか分からなかったのです。本当にごめんなさい。勝手なことばかりですが、心からご多幸を願っています。

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