第6話 親愛なるアンジェラへ

  お元気ですか?初めて会った時から三十年以上が経ってしまいました。日本語で手紙を書くのは初めての事です。

 高校三年生の時、夏休みを利用して短期語学研修でニュージーランドに行くことになりました。その時のホストシスターがあなたアンジェラです。学校でしか英語に触れる事のなかった高校生が、急に地元の皆さんのお力だけを借りてホームステイをすることになります。飛行機に乗った瞬間、一緒に現地を目指す仲間の一人が「英語の機内アナウンスが聞き取れた」と言って、まねをして繰り返してみせました。それで一気に私の緊張が高まってしまいました。そう言われたら確かに聞き取れるのですが、ちょっとぼんやりしていたら、英語の機内アナウンスは私の脳を通らずに耳からこぼれ落ちて行ってしまいます。英和辞典を握りしめ、不安半分期待半分のスタートとなりました。


 オークランドの空港で出迎えてくれたアンジェラは私より二つ年下ながら、すごく落ち着いたしっかり者という印象がありました。四人の日本人高校生とそれぞれのホストシスター、ホストブラザーを乗せたバスは各々の自宅に到着するまで、緊張しながらも賑やかでした。相手の言っている事は理解できるのに、それに対して的確な返答を英語で表現出来ないもどかしさを感じたのをよく覚えています。これはいちいち調べている時間はないと、初日から私はせっかく持ってきた重い辞書をカバンの底に片づけることにしました。

 ニュージーランドは本当に素敵な国です。訪れる前に学校で教えられたのは、面積が日本から北海道を除いたくらいで、人口より羊の数の方が圧倒的に多いという事だけでした。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、羊の頭数が多いという事は、飼育している土地がたくさんあるということ、それだけ広大な大地が広がり、高い建物がなく、空と大地がきれいに半分に分かれているのです。大都会で育ったわけではありませんが、地平線を見た事がなかった私は、それだけで感動してしまいました。そして、自国を愛してやまないホストファミリーの皆さんは、わずかな期間で私にニュージーランドの良さを全力で伝えてくれ、そしてどこの誰かも分からない私を愛して迎え入れてくれました。

 私が不味いと思う可能性があっても、郷土の食べ物は口に入れさせられました。日本でいうところの納豆のようなものでしょうか。眉をしかめて「もう要らない」というと大笑いです。平日は学校へ通い、週末は観光へ連れて行ってもらいました。お別れは涙が止まりませんでした。もう日本へ戻れなくてもいいと思うほどでした。


 世界中行った事のない国がたくさんある中で、就職前の卒業旅行も迷わずニュージーランドを選びました。アンジェラとの再会だけでなく、行った事のなかった南島、クライストチャーチ、クイーンズタウンを一人で旅しました。本当に美しい所でした。日本語が全く通じない場所で、たった一人で今思えばよくやったなと自分でも思います。現地の観光案内所へ行き、自分ではやらないけれど、バンジージャンプをしている人を見てみたいと言ってみたり、シープドッグが羊を集めているところを見学できないかと言ってみたり。なんとか通じるもので行きたいところは全てめぐる事が出来ました。

 今地図を見て改めて思うのは、行っていない街がたくさんある、いや、行ったところはわずかだったということです。テレビでニュージーランドが紹介されるたび、アンジェラの事を思い出し、また行きたい、また逢いたいと思うのです。クライストチャーチの大聖堂が地震で倒壊した時は本当に胸が痛みました。写真でしか見た事のなかった聖堂を実際に目にした時の感動は今でもはっきり覚えています。中に入った時の厳かな雰囲気、宿を探して迷子になった事まで、脳裏に蘇ります。自分が元気でさえいたら、いつかまたあの聖堂を見られるチャンスはあると思っていたのです。残念でなりません。


 日本でラグビーの世界大会が行われた時は、ルールも分からず、オールブラックスを応援していました。家のリビングでハカを踊って見せてくれたアンジェラと弟のエイドリアンを思い出しながら。

アンジェラ、あなたにはずっと謝りたかった事があります。一度日本を訪れてくれた時、あなたがしてくれたのと同じだけ、十分なおもてなしが出来ませんでした。私は学校を卒業し就職したばかりで、休みもままならず、日本にも素敵なところがたくさんあるのに、連れて行ってあげる事が出来ませんでした。家族との関係も良くなかったため、我が家に宿泊されてもなんとなくぎこちなさを感じられたのではないでしょうか。本当にごめんなさい。今は故郷から離れた所で暮らしています。あなたの好きな京都のお寺もさほど遠くありません。また機会があったら訪れて欲しいと我が儘に願っています。

 学校を卒業すると同時に私は英語から離れた生活を始めることとなりました。使わないとどんどん忘れていってしまいます。会話は上手くないのに文章は書けるんだねと当時言われましたが、今では辞書があっても手紙を書く事も難しいかもしれません。いつかニュージーランドで暮らしたいとさえ思っていたのに、お粗末な顛末です。もし再会の機会があったら全力で勉強しますので、また英語で会話しましょう。日本の歴史を紹介出来るくらいにならないといけませんね。お寺や神社には建立の背景があります。これは日本語でも理解が出来ていません。いつか来るその日のために頑張って勉強しておきます。


 時代が変わり、世界中の地図がインターネットで見られるようになりました。時々思い出しては、ハミルトンの街並みを見ています。私がお世話になったあの家に、もうアンジェラは住んでいないのかもしれない、でもさほど変わらない風景に私はホッとするのです。

 今のニュージーランドに日本人は住んでいますか?時々移住して成功している人がテレビで紹介されています。そんな時私は、日本人が海外で成功していることではなく、ニュージーランドが選ばれた事を誇りに思うのです。

結婚してご家庭を築いているとしたら、お子さんは何歳くらいだろう。猫のサーシャはインコのオスカーは何歳まで生きたのかな、そんなことをよく思います。クイーンズタウンでホーストレッキングのガイドをしてくれた女性は「あなたの名前にはどんな意味があるの?」と聞いてきました。「萌黄は英語でライムグリーンだ」と教えてあげたら、最後まで私をライムグリーンと呼び続け、私は自分が呼ばれている事に気付かないという、愉快な事態になりましたが、アンジェラは最初から上手に私を名前で呼んでくれましたね。とても嬉しかったです。

アンジェラの記憶の中に私はどのように残っているのでしょうか。少し思い出してくれる事があったら幸せです。一緒にニュージーランドを訪れた四人の中で、今でも一人だけ連絡を取り合っている人がいます。ハガキだけなので、最後に会ったのはもうだいぶ前の事です。いつか彼とも会って思い出話をしたいなと考えています。お手紙のやりとりもいつの間にか終わってしまいましたね。日本は目まぐるしく変化しています。東京ディスニーランドは一緒に行った時より広くなり、入園料も倍近くなりました。機会があったらまた一緒に行きたいです。あなたとご家族のおかげで、私の高校生活は鮮やかに彩られることになりました。素敵な思い出をたくさん本当にありがとう。いつまでもお元気で。いつまでもニュージーランドとあなたを愛しています。

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