第8話 トキおばあちゃんへ

 おばあちゃんが天国へ旅立ってから何年経ったでしょう。私はまだ学生だったか、就職したばかりだったか、いずれにしてもかなりの年月が経ってしまいました。

 年に数回しか会えないおばあちゃんが私は大好きでした。おばあちゃんも私に会えるのを楽しみにしてくれていたように思います。私達孫のために、貯金箱に十円玉を貯めて待っていてくれました。おばあちゃんの家に行くと、決まってその日集まった子供たちとおばあちゃんで貯金箱のコインの枚数を数えます。そしてみんなに同じ枚数になるように十円玉を分けてくれるのです。だいたい二百円から三百円くらいだったと思います。それを大喜びで受け取って、みんなで駄菓子屋さんに行き、お菓子を買ったりおもちゃを買ったりしました。たくさんの買い物をして笑顔で帰ってくる私をおばあちゃんは嬉しそうに出迎えてくれました。そしてこれを買ったんだと見せ続ける私の話をずっと聞いてくれましたね。今のように電子ゲームのない時代、紙のボードで出来たすごろくでいつまでも一緒に遊んでくれました。帰る時は曲がり角で見えなくなるまでいつも見送ってくれました。私も手がちぎれそうになるほど振り続けました。私も寂しいけどおばあちゃんも寂しいんじゃないかと子供ながらに心配したものです。

 

 おばあちゃんはいつも明るく優しく、温かい人でした。ただ一度だけ困った顔をしましたね。それは私が「おばあちゃんは、どうしておじいちゃんと名字が違うの?」と尋ねた時です。まだ小さかった私に誰も詳しい事を教えてくれませんでした。もちろんおばあちゃん本人も。いつの日だったか、母の実母は母が幼い時に亡くなったという事を聞かされ、子供ながらにお母さんのお母さんがおばあちゃんで、ずっと昔に死んじゃったのなら、私のおばあちゃんはどこの誰なんだろうと思ったことが一度だけありました。でも、そんな難しい事は結局私にとってどうでもよくて、私のおばあちゃんはトキおばあちゃんでしかありえませんでした。

 

 小学校の五年生の時、無口で気難しいおじいちゃんが天国へと旅立って行きました。人が死ぬという事がきちんと理解できていなかったこと、そしておじいちゃんとあまりお話した記憶がなかった事、そんな理由でお葬式では涙が出ませんでした。母から「冷たい子だ」と叱られ、なんとかして泣こうとあちこちつねったり、悲しい事を想像したりしたことを覚えています。おばあちゃんはおじいちゃんが居なくなってとても悲しそうでした。

 私にとって悲しかったのは、おじいちゃんが居なくなった事ではなく、おじいちゃんが居なくなった後、おばあちゃんが急に居なくなってしまった事でした。私も少し大きくなって少しだけ理解できるようになっていました。おばあちゃんは、私の実の祖母亡きあとの後妻さんだったのですね。どんな事情があったのか、入籍することもなく、内縁状態でずっとおじいちゃんと私の母や叔父叔母と暮らしてきたのです。そして、おじいちゃんが亡くなったため、実の娘さんの家に引き取られていったのです。今でこそ、内縁だのバツイチだのシングルマザーだの、全く珍しい事ではありませんが、明治生まれのおじいちゃんとおばあちゃんが随分時代を先取りしていたなとこの年齢になると思います。


 ちょっとおばあちゃんが可哀そうに思います。無口なおじいちゃんと元気なおばあちゃんはとてもお似合いで仲良しでした。どうして入籍出来なかったのでしょうか。祝福しない人がいたということなのでしょうか。今となっては何も分からなくなってしまいましたが、きちんとおじいちゃんのお嫁さんになれたらよかったのにと心から思います。

 おばあちゃん、血が繋がっているわけではないのに、私の事を孫だと言って可愛がってくれて本当にありがとう。きちんと伝えたい時におばあちゃんはもういません。ずっと長い間会えないまま、私が大人になった時、おばあちゃんが天国へ旅立ったという知らせだけが届きました。

 おばあちゃん、今になって毎日のようにおばあちゃんの事を思い出します。聞きたい事がたくさんあります。私は両親から愛されたと感じた事が一度もなく、大人になりました。そして、子供を産まない人生を選びました。それには何の後悔もありません。そして人生の折り返し地点をとっくに過ぎてから、心より大切に思える人と出会いました。この春、その人に孫が出来たのです。苦労して男一人で育てた子供が成人しお嫁さんを迎え、孫が生まれました。近い将来、私はその子と会う日が来ると思います。何も知らない赤ちゃんは、いつの日か私のことをおばあちゃんと呼ぶかもしれません。その日の事を想像すると、私がどれだけおばあちゃんに大切にしてもらっていたか、今頃になって痛感するのです。


 おばあちゃん、天国から見ていて、私は大丈夫ですか?おばあちゃんとして大丈夫ですか?トキおばあちゃんのようになれますか?おばあちゃんが見返りを求めることなく、私を愛してくれたように、私も次の世代の子供たちを愛して行きたいと思います。これが私に出来るおばあちゃんへのたった一つの恩返しです。

いつか、必ずお墓参りに行きます。その時にまたたくさんお話を聞いてください。一緒に過ごした時期が昔過ぎて、おばあちゃんの好きな食べ物が分かりません。私の好きな食べ物をお供えに持って行きますね。おばあちゃん本当にありがとう。そして、大きな愛情に気付くのが今頃になってしまってごめんなさい。おばあちゃんをお手本にして、私はこれからしっかり生きていきます。見守っていてください。いつも笑っていたおばあちゃん、これからは人生の先輩として、私が道を誤りそうになったら、きちんと叱って下さいね。

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