死神は最後に天国にいく

七種夏生(サエグサナツキ

死神は最後に天国にいく


 深夜二時。

 丑三つ時と呼ばれるその時間に、一人の男が公園のベンチに座っていた。

 彼の隣には、ランドセルを背負っていてもおかしくない年代、小学校高学年程度の少年。

 少年は日付が変わる頃ベンチに現れたが、互いに干渉せず二時間が過ぎた。

 男は堪らず、少年に声をかける。


「君さ、そろそろ家に帰らないと親が心配するんじゃない?」

「二時間前からずっと隣にいるのに、最初に話しかける言葉がそれかよ」


 突き放すような素っ気ない物言いだが、男はその真意を感じ取った。

 ゆっくりと、少年のほうへ身体を傾ける。


「話しかけられるの待ってたの?」

「どうだろうな」


 やはりそうか。

 家出でもしたのか。だけど、だからといって頼る大人を間違えてもらっては困る。

 男がため息をついて顔をあげると、満天に広がる星の一つがしゅっと、流れ星として消えた。


「今は丑三つ時って言ってな、お化けが出る時間なんだぞ」

「あんたは家に帰らないの?」

「お、もしかして俺の家に泊まろうとか考えてた? 残念だが俺に家はない。このあたりに生息してる、いわゆるホームレスだ」

「……見ればわかる」

「わかるんかい。そうだな、見るからに汚いしな。でも、今は夏だから風呂には入ってるぞ。そこの水道で」


 男が指差す公衆便所を一瞥した少年だが、すぐに顔を背けて正面を向いた。

 真夜中の公園を照らす外灯、虫の鳴き声。

 少年の視線は、何を捉えているかわからない。


「家に帰りたくないならどっかの施設に行きな。ほら、それっぽいとこあるだろ? なんにせよ、俺みたいな大人に関わっちゃいけないって、親に言われなかったか?」

「言われなかった」


 ちらっと視線を上げるが、少年はすぐに俯く。

 何か言いたいことがありそうだとは思ったが、男は深く追及しなかった。

 少年が、話を続ける。


「うちの母さん、優しいから人を差別しないんだ。たぶん」

「たぶん?」

「あんたは性格悪そうだな」

「そうだな、根っからの悪だな、俺は。そのせいでこんな人生送ってるしな」

「仕事が合わないのを会社のせいにして辞めて、職がないのを不景気のせいにして、自分が不幸なのを恋人のせいにして、全てを捨てたって感じ」

「……鋭いな」

「見てたからな、ずっと」

「みてた?」


 ようやく目線がぶっかった。

 男は少年から顔を背けることが出来ず、少しの間見つめ合った。


「もしも……」


 少年が、囁く。


「人生をやり直せるなら、いつに戻りたい?」

「いつ……」

「仕事を辞めた日、職探しを諦めた日、恋人と喧嘩した日……子供なんか堕ろせと、彼女を怒鳴った日」

「おまえ、まさか」

「もしも、この世に産まれてたら俺の人生も、あんたの人生も違うものになってただろうな」

「あの時できた、子ども? いやだって、十年も前……」

「だから俺、こんな姿してるんだ。生きてたら今、十歳」

 

 深夜二時、丑三つ時と呼ばれる時間。


「お化けが出る時間だからな、今は」


 飄々と少年が語る。

 男は項垂れ、両手で顔を覆った。


「そうか、あの時の……俺の子どもか」

「改めて言われると気持ち悪いな」

「……悪かった」


 男の謝罪を無視し、少年は大きく息を吐いて空を見上げる。

 流れ星が一つ、夜空に落ちて消えた。


「市立病院」


 少年の言葉に、男は顔をあげる。

 目は合わなかった。少年の視線にならい、夜空を眺める。


「今日、あの世へ行くから」

「あの世?」

「うん、つまりこの世からいなくなる」

「いなくなる? 成仏するのか?」

「馬鹿か。俺じゃねーよ、もう死んでるし」

「じゃあ、誰が……」


 はっと、男は口を噤んだ。

 夜空に向いていた視線が、互いの瞳を捉える。


「だから言ってるだろ、市立病院。この公園から一番近い、総合病院」

「あいつが、そこにいる?」

「俺の母さん、つまりあんたの元彼女だな」

「死にそうなのか?」

「母さんはあんたに会いたがってる」

「でも、今さら……」

「最期くらい、かっこいいところ見せろよ」


 ふいっと、少年が視線を逸らした。


「そうか……死んだらもう二度と、会えないもんな」


 男は決心したように立ち上がり、自分の身なりを見回す。


「服はどーでもいいよ」

「そうか? でも病院に入るんなら……」

「気にしなくていいって言ってるだろ。それより顔だ。髭剃って、昔の面影がでるようにしとけ」

「……あいつ、俺のことわかるかな?」

「だから、綺麗にしていけって言ってるだろ?」

「そうだな……おまえもつらかったよな、ごめ」

「俺じゃない。俺より先に謝る相手がいるだろ、あんたには」


 睨みつけられ、萎縮した男が目を閉じた。


「髭、剃らなきゃな」

「風呂も入っていけよ。臭いとみんなイヤだろうから」

「そうだな……最後くらいかっこいいところ見せなきゃな。おまえ、明日もここにいるのか?」

「……なんで?」

「明日またここに来る。母さんの最期を看取って、おまえに報告する」

「あんたさ、時計持ってんの?」

「時計? 持ってるわけないだろ。でも時間なら、公園にある時計でわかる」

「……俺はずっとここにいるよ。普通の人間には、午前零時から二時半までの間しか見えないけど」

「そうか。じゃあ明日、同じ時間にここで会おう」


 そう言って、男は空を見上げた。

 今日は流れ星がよく落ちる。

 深呼吸をしてベンチに視線を戻すと、少年の姿が消えていた。




 拾ったカミソリで髭を剃った。

 髪も切った。

 残飯を探して十分な栄養を取ると顔色が良くなった。十二時間前の自分よりも随分マシになった。

 どうして逃げていたんだろう。形を変えるのは、生まれ変わるのはこんなに簡単なのに。


「服は気にしなくていいって言ってたな……よし」


 公園から出る際、「いってきます」と呟いたがきっと、少年には聞こえていないだろう。

 構わない、あと十二時間すればまた会える。

 見上げた太陽の光が眩しくて、胸が高鳴った。


「謝ろう……許してもらえなくてもちゃんと、謝ろう。それで……」


 それでまた、丑三つ時ここに戻って来るんだ。ただいまって言ったら笑ってくれるかな、笑ってくれたらいいと思う。

 謝りに行こう、素直に懺悔しよう、過去の自分を。やり直そう、もう一度、あの日から。

 そう思ってようやく、一歩外へ踏み出せた。


 街の様子は随分変わっていた。

 ランドセルを背負ったまま走る少年、集団でぞろぞろ歩くサラリーマンの足並み、犬の遠吠えにも負けない声量で行われる井戸端会議。

 日光が強すぎてアスファルトの焦げる匂いがした、もちろん気のせいだろうが。


 そんなことを考える余裕があった、それ程にほど生きていることを痛感した。

 生きて今、人の社会を歩いている。


 楽しかった、美しかった。

 捨てたもんじゃないと景色を見ながら歩き、男はふと違和感に気が付いた。

 市立病院とは聞いたけれど、病室はどこだ?

 彼女の名前は知っているが、それだけで通してもらえるのか?

 こんな小汚い男を?

 それに、俺達の関係をどう説明すればいい?

 元恋人ってだけで、今日命を落とす重症患者の部屋に案内してもらえる……はずがない。


「まさか……」


 気付いた時には遅かった。

 信号は赤に変わっていて、急ハンドルで右折した車が、横断歩道で立ち止まる男の身体を吹き飛ばした。





「馬鹿じゃねーの? 顔は綺麗にしとけって言っただろ」


 午後十一時。

 約束を交わした丑三つ時より三時間も早い時間。

 公園のベンチに座る少年が言った。


「ふざけんなよ、予想外すぎんだろ」


 少年の隣に座る男が、両手で顔を覆いながら呟く。


「車に体当たりされて吹っ飛ばされて怪我するなって? そっちの方が奇跡だろ」

「怪我するなとは言ってない。顔を傷つけるなって言ったんだ。やりようがあっただろ、今みたいに手のひらで顔を覆うとか、腕で隠すとか」

「おまえ、自分が死ぬ瞬間に顔を守ろうなんて思うか? しかも突然、わけがわからない交通事故だぞ?」

「さぁ? 俺は人間が起こす事故とは無縁だから」

「……悪かったな」

「で、この時間に俺が見えてるってことは……」

「見りゃわかんだろ。幽霊だよ、今の俺は。ついさっき、身体が死んで魂が抜けた」

「母さんには会えた?」

「元気に看護師やってたよ、市立病院でな。俺の顔見て驚いてた」

「へぇ……そんな状態でもちゃんと、母さんはわかったんだ」


 少年が男の腕を掴み、顔を覗き込む。

 手のひらを外した男の顔は、右頬が擦りむけて皮膚が爛れていた。


「よかったな、最期にかっこいいところ見せれて」

「かっこよくなんかねーだろ。つーかさいごって、俺の人生が最期ってことだったのか」

「本人に直接、あんた今日死しますっていうのはどうかと思ってさ」

「おまえの目的は俺とあいつを引き合わせることだったのか?」

「見ただろ? 母さん、まだ独身なんだ。ずっとあんたのことが忘れられなくて会いたがってた。だから母さんの望みを叶えてあげようと思ってさ」

「マザコンだな、おまえは」

「母親が嫌いな赤ん坊なんかいねーよ」

「赤ん坊って、おまえ……」


 言いかけて、男は言葉を止めた。

 姿形は十歳だが、この少年は本当は、赤ん坊にもなれなかったのだ。


「……悪かったな」

「うるせーな、何回目だよ、それ」

「おまえが産まれてれば、俺の人生も変わってただろうな」

「……あんたさ、すぐ成仏できるって言われただろ?」

「あぁ、縛り付ける理由がないから、すぐにあの世へ行く手続きします、だってさ」

「だったら一つ、本当のこと教えてやる」

「本当のこと?」

「俺の存在を知ってすぐに母さんと縁を切ったあんたは知らないだろうけど、母さん、俺を産もうとしたんだ」

「……え?」

「呆れるよな。親にも見放されて、俺を産んだら大学中退しないといけないから、貧乏になるの目に見えてるのに。毎日話しかけて、腹撫でてくれて……だから俺は、自分で自分を殺した」

「殺したって……産まれてもない、腹の中にいただけだろ?」


 顔を歪める男から、少年が視線を外した。

 ふーっと、深くため息をついて空を見上げる。

 流れ星は落ちなかった、満天の星が輝く夜空。

 生きている虫の鳴き声が、公園に響く。


「悲惨だよな、そんな時期に自分でその道を選ぶとは。しかも命には変わりないからって、すぐに成仏出来なかった。両親の死を見届けないといけないんだと」

「……じゃあおまえは、俺達より後に、生まれ変わるんだな」

「輪廻転生の輪に入れるのは、あんた達が生まれ変わった後だ」

「じゃあ、おまえ、また俺のとこ来いよ」

「は?」


 少年が顔をあげると、男がニィッと微笑んでいた。

 頬の傷は消えていた。

 綺麗になって、この世を去るのだ。


「次の人生は絶対におまえの母さんを幸せにする。それで、子供を産んでも問題ない家庭にしとくから。産まれてきたおまえに、かっこいいところ見せてやる」

「……なに言ってんだ」

「キャチボールしよう、公園で。弁当持って、家族三人で。おまえ知らないだろうけど、母さんが作るサンドイッチはすげー美味しいんだぞ。マヨネーズとマスタードが手作りの絶品で……」

「無駄話してる場合かよ。もうあんま時間ねーんだろ?」


 チラッと、少年が目線を変えた。

 その先には公園に設置されている時計、午後十一時半。


「会いにいって来いよ、母さんにも」

「あぁ、そうだな」

「……ピクニックなら、おにぎりが食べたい」

「おにぎり?」

「腹の中にいたとき、母さんが言ってた。あなたのお父さんはおにぎりを作るのが上手なのよ、綺麗な三角になるのよって」


 ぷいっと顔を背け、照れた表情を隠す少年。

 子どもらしい仕草が可愛くて、男は自然と笑みを溢した。


「任せろ。でっかいおにぎり作ってやるから」

「期待しとく」

「あぁ、じゃあまた……おまえ、名前は?」

「あるわけないだろ、産まれてもないのに」

「そうか、じゃあ考えといてくれ」

「は?」

「時間あるんだろ? だから考えとけよ、次に産まれ変わる時、どんな名前がいいか」

「どんな名前って……」

「じゃあな、息子よ! あっ、娘になっててもいいぞ」


 ガハハッと笑いながら、男はベンチから立ち上がって消えた。

 まるで今吹いた風のように、サァッとその姿が見えなくなる。

 外灯が、真夜中の公園を照らした。

 虫の鳴き声と、遠くで梟の声、木々や葉っぱの擦れる音。


「馬鹿か。俺が考えてどうするんだよ、自分の名前」


 どかっと背もたれに身を預け、少年は空を仰いだ。

 流れ星は落ちない。

 静かな夜。

 病院で泣き崩れているであろう母を想った。

 先に逝ってしまった父を想った。


 長生きして欲しいような、早く生まれ変わりたいような。


 何とも言えない気持ちを抱え、少年は目を閉じた。


「名前かぁ……」


 丑三つ時にはまだ早い時間。

 長い夜と、長い年月がまた始まる。


 まぁ、しばらくは、退屈しないかな?


 そう思って、大きく息を吐いた。

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