後編


 しかし、事件から一週間が過ぎても犯人は捕まりませんでした。

 学校の昼休みにオニギリと話してもサトリの気分は晴れません。

 むしろ秘密を共有する分、気苦労きぐろうも二倍なのでした。


「おい、あのバイク野郎、俺達を口封じに殺そうとしたりするんじゃないのか」

「まさか、捕まる危険リスクが増すだけよ。そんなの自分が犯人だと言っているようなものじゃない。現実は小説みたいにいかないから」

「だといいけど。俺はどうも気になるんだよ。最近、誰かの視線を感じてさぁ。それに、家の前でバイクのエンジン音を耳にしたような……。どうする? あんなに速いバイク、警察のパトカーじゃ追いつけっこないぜ」

「思い過ごしだって。怖いと思うから錯覚してしまうだけ、きっとそうだよ」


 その日はオニギリが掃除当番で居残り、サトリは一人で帰る事になりました。

 秋風の冷たい帰宅路はいつもに増して人気がありません。今にも雨が降りそうな悪天候も、人気の無さに拍車はくしゃをかけているのでしょう。


 昼間の話が気になって、サトリは何度も振り返りながら歩きます。

 実はサトリも近頃だれかの視線を感じていたのです。

 誰も居ません。居るはずがありません。サトリは警察に密告みっこくなどしていないのですから。

 

 しかし、耳を澄ませれば、彼方かなたから物音が近づいてくるではありませんか。

 それは、加速したタイヤがアスファルトを切りつける音でした。


「嫌ァ!」


 サトリは悲鳴を上げて駆けだしました。背中のランドセルで算盤そろばんがガチャガチャ鳴っています。疾走音は背後からどんどん迫ってきます。

 足がもつれて転び、その拍子ひょうしにランドセルのふたが開きました。

 道路に転がり出た算盤そろばんが、高速で駆け抜けた「何か」にかれて砕け散りました。算盤そろばんの玉が二車線道路にまき散らされ、平穏な日常の終わりを告げていました。

 急ブレーキの音が鼓膜をつんざき、サトリは恐々と伏せていた顔を上げました。すると……。




『野田 い 4592』




 地獄に行くのだ。そう告げるナンバープレートが視界に飛び込んできたのです。

 高速回転のエンジン音はまるで悪魔の哄笑こうしょうでした。


 フルフェイスを被った男が、斜めに止めたバイクへ騎乗したまま振り返りました。そのヘルメットにはおぞましい蠅の絵が描かれていました。

 シールド越しのくぐもった声が、うつ伏せに倒れたままのサトリにかけられます。


「待たせたな、お嬢ちゃん」

「あぁ……許して」

「俺は爆弾以外じゃらないと決めているんでな、仕込みに少し手間がかかった」

「誰にも話さないから」

「はは、信用できるのは死んだ人間の口だけだ。そうだろう?」

「そんなの嫌だよぉ」

「まぁ、安心しろって。俺はいつでも犠牲者に最後のチャンスを与えてやるんだ。いいか、よく聞けよ。たった今、お前の家のポストに爆弾を仕掛けてきた」

「え!」

「でもな、まだお前の家がパパやママごと吹き飛ぶとは限らないんだ。ホラ、映画でよくあるだろ? 赤の線か、青の線、どちらかを切れば爆発を止められるって奴。あれをやろうぜ?」

「赤か、青?」

「そう。へへ、タイマーに接続された配線のどちらかを切れよ。半分の確率で助かるから」

「当たったら……助けてくれる?」

「おう、勿論だ。でも俺様はラッキーガイ。負けた事はないんだぜ? ゲームの勝敗は明日の新聞一面いちめんでわかる。待ち遠しいな」

「本当に、本当ね?」

「くどいな。早く家に走りなよ。ママが間違ってポストを開けてしまうかもしれないぜ?」


 家族をこの非道な輩から守らねばなりません、なんとしても。

 サトリは転んだ時に切った唇をギュッと噛み締め、立ち上がりました。


「負けないんだから!」


 啖呵を切ると、高笑いを上げる爆弾ライダーをその場に残して、サトリは走りだしました。

 もともとサトリは運動が得意な方ではありません。何度も途中で息が上がり、立ち止まりそうになりました。けれど、家族や友達のことを考えると不思議に力が湧いてくるのです。かつてない持久力じきゅうりょくでサトリは駆け続けました。


 あと五百メートル。

 あと百メートル。


 そして遂に平凡な二階建ての自宅に辿り着きました。

 家の前にあるアメリカンポスト。その中に爆弾があるはずです。

 荒い息を整えると、サトリはポストのふたへ手を伸ばしました。


 ところで、皆さん覚えているでしょうか?

 冒頭で子どもがつけたアダ名には深い意味があると説明したのを。

 サトリにだってちゃーんと意味があるのです。

 実は彼女、人の嘘を見抜くのがとても得意なのでした。


 トランプのババ抜きや、ダウトで誰かに負けたことはありません。

 人の心を読む妖怪サトリにちなんで、彼女のアダ名は付けられたのです。

 将来、名探偵を目指す彼女の観察眼。それは既に爆弾ライダーの嘘を見抜いていました。


 いつも犠牲者に機会を与える?

 赤と青の二択?

 早く帰らないとママがポストを開けてしまうって?


 おかしな話です。大田原さんの家に爆弾が仕掛けられてから、爆発を目撃するまでの間隔が短すぎます。電話で爆弾魔のルールを説明したとしても、老人は少しも迷わず配線を切ったのでしょうか?

 何時に爆発するのか、制限時間を設けないのも奇妙です。

 そして最後の失言「ママが開けてしまう」


 答えは明らかでした。

 この爆弾はポストのふたを開けただけで爆発してしまうのです。

 奴は典型的な愉快犯、相手をおどらせて自滅する過程を楽しむ悪魔なのでした。


「見え透いているんだよ、バーカ!」


 サトリはポストのふたに手を伸ばし……『開けないで、爆発します』と書き殴ったレポート用紙を上から張り付けてやりました。

 

 







 通報から爆発物処理班がやってくるまで時間はかかりませんでした。

 いつでも出動できるよう、警察も準備は整えてあったのです。


 防護服を着込んだ隊員が、消火器のような機械を車から降ろしてきました。ノズルをふたの隙間から差し込んで、ポストの中に液体窒素ちっそを注ぎ込むのです。爆弾ごと凍らせてしまえば、大抵の仕掛けは無効化できるのでした。

 ちなみに爆弾はブービートラップの一種で起爆装置と蓋を紐で結んだだけの単純なもの、なんとタイマーすら付いていなかったのです。


 小学生ながら彼女は爆弾魔に勝ったのです。

 気分はすっかり小説に出てくる名探偵でした。


 サトリは冷静沈着に、これまでの経緯けいいとバイクのナンバー、ナンバープレートの色まで包み隠さず刑事さんに報告しました。その声色に得意気な調子があった事は否定できません。

 しかし、話を聞いた刑事さんは顔をしかめて苦笑いしたのです。


「なんとまぁ、緑色ナンバー。そりゃ間抜けな野郎だ」


 どういう事でしょう?

 話を聞けば、バイクのナンバープレートは色によって種類分けがあり、緑色は『事業用に登録されたバイク』である事を示しているそうなのです。つまりは役所に住所氏名のみならず職場まで登録済みという事です。盗難車でなければ、ナンバーを隠してもない、正規の仕事用バイク。これでは配送トラックで犯罪を行うのと変わらないではありませんか。どんなに速度が出ようと逃げられるものではありません。


 殺し屋を副業とする、爆弾ライダーのあっけない最期でした。


 新聞によれば、犯人は反社会組織でもなんでもなく、オンライン・デリバリーサービスで働いている登録配達員という話でした。なんでもそれは、アプリで申請するだけで、面接もなしに誰でも配達員になれ、地元で仕事の依頼があれば荷物を受け取り出前におもむく、言わば派遣の配達員なのだとか。そんな職業が生まれていたなんて、サトリはちっとも知りませんでした。

 爆弾の作り方はダークウェブで独自に学んだもの。

 それだけで実際に作れてしまうなんて……。

 推理小説を読み込むだけでは、情報不足な時代になっていたのです。


 どうにもめがしっかり決まりません。名探偵を名乗るにはまだまだのようです。

 それに犯人だってお間抜けさんです。仕事用のバイクなんて足がつくに決まっているし、油断してサトリに嘘を見抜かれる程度なのですから。

 ドラマに出てくる一流の敵役とは程遠い相手でした。


「やっぱり現実だと小説のようにはいかないか……」


 仕方がありません、まだ小学生なのですから。

 それでもめてくれるオニギリの顔を思い浮かべると、サトリは思わずニンマリしてしまうのでした。


 女性には過酷な生き方を決定づける、生涯を通じて忘れられぬ最初の事件ザ・ファーストケースのお話でした。


 いずれ生まれる名探偵。

 彼女の活躍はまだまだありますが、それはまた別の機会にでも。


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爆弾ライダーお届け便 一矢射的 @taitan2345

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