爆弾ライダーお届け便

一矢射的

前編


 ことの始まりは閑散かんさんとした昼下がりの住宅地。

 あどけない二人の子どもが道を往く場面からでございます。


 二人は私立の名門「木更津 実業学校 初等部」に通う小学生。ランドセルの中では、公立だとなかなか見かけない算盤そろばんがシャカシャカと音を立てていました。名門校の生徒だけあって交わす会話の中身もなかなかに高尚こうしょう、社会のテストが暗記のみで学力を計ることへの痛烈な批判……いえ、本日実施されたテストへの単なる愚痴なのでした。


「だから、語呂ごろ合わせで覚えれば良いんだって。年代暗記なんて簡単だよ」

「サトリはそういうけどさ、そんなのすぐ思いつかないんだって」

「そうかなぁ、一五四九年で『以後よく伝わるキリスト教』キリスト教の日本伝来でしょう。ほら、簡単だよ。何も難しくないと思うけどなー」

「その文章ごと覚えるのかよ。四文字で済む所が、覚える量が逆に増えているじゃないかよ。なんというか、オーノーだぜ」

「オニギリ、その考え方はおかしい」


 世の中にはアダ名を禁止する風潮もあるようですが、仲良しの二人にそんな世間の事情なんぞどこ吹く風。短髪のボーイッシュな少女は飯塚里子、通称サトリ。隣で五分刈りの頭を掻きむしっているのは、略してオニギリ君であります。

 ほら、名前の訓読みと音読みを抜き出せばオニギリが隠れていますよね?

 子どもながら、いえ、子どもだからこそ、アダ名にはそれなりの意味があるものでございます。決していい加減な代物ではないのです。


 それにしても、この仲睦なかむつまじい会話から一転、サトリにとって生涯忘れられぬ悪夢が始まろうとは。神ならぬ身、待ち受ける悲劇など まったく知らぬことでありました。

 全てはオニギリ君の不用意な一言から始まったのです。


「じゃあ、サトリはアレを暗記できるのかよ。あそこに停まってるバイク、ナンバープレートで得意の語呂合わせをやってみろよ」

「えーなんでよ」

「昔からある語呂合わせなら、出来て当然だろ。新しく自分で作ってから自慢しろよな~」

「しょうがないなーどれどれ」


 サトリちゃんが片手で目の上にひさしを作りながら見てみれば、確かに五十メートルほど先の路上にエンジンをかけっ放しのバイクが停まっていたのです。

 停車位置はへいで囲まれた屋敷の門前で、乗り手の姿はどこにも見えませんでした。

 そして……。


『野田 い 4592』


 バイク後部のプレートにはこのような文字と数字が並んでいました。

 プレートの色は緑。白いラインでふち取りがなされていたのです。

 さてさて、一見すれば規則無き数字の羅列られつ。しかし、サトリちゃんの頭にはそれを見た瞬間、稲妻のように閃くアイディアがあったのです。


「じ、ご、く、に」

「え? なんだって?」

地獄に4592行くのだ~。なんちゃって」

「あー、それは確かに覚えやすいな。野田市に失礼だけど。サトリってマジで天才かもな。伊達だてに本の虫をやってない。もしかすると、マジで将来は名探偵かもな」

「いや、そんな、小説と現実は違うって。はは、照れちゃうな」

「しかしこれ、本当に覚えやすいぞ。地獄に~行くのだ~」

「行くのだ~きゃはは」


 和気あいあいとした空気も長くはもちませんでした。

 門柱の陰から、バイクの運転手が現れたからです。


 地獄に~地獄に~、そう騒いでいる子ども達をたったの一瞥いちべつで黙らせたのは、フルフェイスのヘルメット越しでもそうとわかる怒気であったのかもしれません。

 男の異様な気配にたじろぎ、つい顔を逸らしてしまう二人なのでした。

 皮のツナギを着たヘルメット男は、チラチラ子ども達の方を気にしながらもバイクにまたがり去っていきました。何だか随分と慌てている様子でした。


 ―― あの人なにをしていたんだろ? チラシ配りか何か? でもそれにしてはバイクが立派だったんだよなぁ。


 男が出てきた柱の物陰は丁度ポストがある辺りだったので、サトリの推測はそれなりに妥当なものです。しかしながら、男が乗っていたバイクは配達や出前で使うような原付ではなく排気量250CCを越えている大型二輪でした。まるでプロのレーサーが愛用していそうなカッコいい黒の流線型バイクだったのです。


 一方でくだんのバイクは目で追う暇すらなく、もの凄いスピードですぐにT字路の角を曲がって見えなくなりました。後には排気ガスがたなびいているばかりです。


「なんだか怖い人だったね」


 いぶかしがりながらも二人がお屋敷の門前を通り過ぎ、サヨナラを言う「お別れの交差点」に着いた時のことです。屋敷からは五百メートルほど離れていたでしょうか。平穏な街並みを揺るがす爆発が、子ども達の後方で発生したのでした。

 強烈な衝撃波で後ろからあおられ、二人はその場で転倒してしまいました。

 キーンと鳴る鼓膜こまくを抑えながらサトリが来た方を振り向くと、逆巻く黒煙が青空に食らいつこうとする龍みたいに立ち昇っていたのです。









 夕方のニュースによれば、爆発に巻き込まれて屋敷の主人が亡くなったそうです。

 死んだ大田原さんは若い頃に反社会勢力へ所属しており、多く人から恨みをかっていたそうなのです。TVのアナウンサーさんは、勢力同士の抗争に巻き込まれたのではないのかと語っていました。冗談じゃありません、下手をすればサトリとオニギリも巻き込まれていたのです。


 そして、爆発の原因はポストの中にあった「小型爆弾」だと推定されているではありませんか。


 しかし、犯人があのバイク男なのか。

 それはサトリにも判断がつきませんでした。


 語呂合わせのお陰でバイクのナンバーは記憶しています。

 でも、それを警察に通報するべきなのでしょうか。間違った先入観を植え付け、余計に捜査を混乱させるだけかもしれません。その上ミステリー小説によれば、反社会組織は報復ほうふくが大得意で自分達を売った相手には容赦しないと聞いています。


 ―― 仕返しされるかもしれない。パパやママも死んでしまうかもしれない。


 そう思うと、サトリちゃんの胸はギュッと苦しくなって正義や道徳なんてどうでもいいような気がしてしまうのでした。バイク男にはこちらの顔を見られているのです。

 黙ってさえいれば、見逃してもらえるかもしれません。


「里子、どうしたの? お風呂に入りなさい」


 いつまでもTVの前を離れない娘を心配して、ママが様子を見に来ました。


「ご近所であんな事件が起きて不安なのは判るけど、大丈夫。すぐ犯人は捕まるに決まっているから。目撃証言も沢山出ているそうよ」

「そっか、なら安心だね」


 それなら別に黙っていても構わないか、サトリの弱い心はそう決めつけてしまうのでした。


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