三日月と紙コップ

夜野せせり

第1話

 放課後。いつものように部室のドアを開けると、いきなり、ぱんっ! と、乾いた破裂音が響いた。鼻先に漂ってきたのは、……火薬の匂い?

 えっ? なに? なになに?

「美月、ハッピーバースデー!」

 文芸部の部員みんなが勢ぞろいしていて、驚いている私にいっせいに笑顔を向けた。

 さっき鳴ったのはクラッカーで、スチール机に置かれているのは、小さなホールケーキ。

「サプライズ成功!」

 部長がにししと笑っている。

 今日は10月22日。私の十六歳の誕生日だ。つまりこれは、私のためにみんながこっそり用意してくれた、誕生日パーティ。

「ありがとう……ございます」

 どうしよう、嬉しすぎてくすぐったい。ケーキのろうそくの火を消す前に、私はスマホを取り出した。

「撮らせてください。記念に」

 まずはケーキを。それから、みんなと一緒に。

 スマホを構えたところで、いきなり画面が真っ暗になった。うそ。電源落ちた?

起動させようとするけど、まったく反応なし。

「……あれ?」

「どした美月」

 智樹が手を伸ばして私のスマホをひゅっと取り上げた。

「壊れたんじゃね」

「えーっ……」

 確かに最近調子悪かったけど。よりにもよって私の誕生日に壊れなくてもいいのに。

「まあまあ。写真は俺が撮ってあとで送ってやるからさ。とりま火を消せって」

 智樹はにっこり笑う。みんながきらきらした目で、私がケーキの火を消すのを待ち構えている。スマホが壊れたなんてささいなことだ。私はこんなに愛されて幸せだ。

 思いっきり吹き消すと、拍手が沸き起こった。そして、再びクラッカーが鳴る。

 二年生のノリ先輩がケーキを切りわけて紙皿にのせた。智樹がスナック菓子をパーティ開けにして、紙コップにジュースを注ぐ。

 部長が乾杯をして、プチパーティが始まった。

 文芸部は全部で六人。そのうち、一年生は私と智樹だけ。智樹は私とは家が隣同士で、小さい頃から知っている。物心ついた時から本が好きで文章を書くのも好きで、毎日の日記も欠かさなかった私とは違い、智樹は外で遊びまわるかゲームをするかどちらかで、読書なんてまったくしない。

 だから、高校で私と同じ文芸部に入ると聞いて、すごく驚いた。とはいえ、テニス部とのかけもちで、こっちには私みたいに頻繁に顔を出せないけど。

 それでも先輩たちに可愛がられているのは、さすが智樹って感じ。柴犬みたいに人懐っこくて、明るくて、誰にでも好かれる奴なのだ。

 お菓子をつまみながら楽しくわいわい盛り上がっているうちに、あっという間に時は過ぎて、窓の外の空はオレンジ色に染まり、やがて黄昏が訪れた。

 部長の「そろそろお開きね」の一言で、片付けが始まった。

「余った紙コップ、もらっていいっすか?」

 智樹が部長に聞いている。

「いいけど、どうするの?」

「ん。ちょっと」

 みんなが片付けをしている中、智樹は棚の引き出しを探り、はさみだのなんだのを取り出すと、こそこそとコップに細工をしている。何をしているんだろう?

 部室を出る時、私はもう一度みんなにお礼を言った。

「いいのいいの。こっちだって楽しかったし。それより来月は文化祭だし、アンソロジーちゃんと出せるようにがんばろうね」

 部長が私の肩を叩く。そして、にんまり笑って私に顔を寄せ、

「今日のサプライズ、智樹君が言い出しっぺなんだよ」

 耳元でささやいた。


 今日は天気が良くて、昼間はぽかぽかと暖かかったけど、陽が沈むとさすがに空気が冷たい。乾いた風が吹いて落ち葉がかさかさと舞った。

「あ。なんかいい匂い。キンモクセイだな」

 智樹がつぶやく。家が隣だから、智樹が文芸部に顔を出した日は、必然的に一緒に帰ることになる。最近では、智樹がテニス部の練習のほうに行った時も、「いっしょに帰ろう」とメッセージが来る。理由を聞いたら、うちの親に頼まれたって言っていた。危ないから一緒に帰ってほしいって。最近物騒な事件が多いから、両親の心配も、まあわかる。

 そういうわけで、先に部活が終わった私が智樹を待って、ふたりで帰るんだけど。友達からも、テニス部や文芸部の人たちからも、「つきあってるの?」と聞かれることが増えた。

 つきあうなんてとんでもない。幼馴染とはいっても、仲が良かったのは小学生までで、中学の三年間はろくに口もきいていなかったんだから。

 高校のそばを流れる小さな川沿いを歩く。空はオレンジ色から薄青い紫色へとグラデーションを描いている。

「空も澄んでるし、十月って一番いい季節だよなあ」

 智樹は目を閉じてすうっと息を吸いこんだ。

「甘いなあ。キンモクセイ。どこで咲いてんのかなあ」

 その横顔を見ていると、くすりと笑みがもれた。ずいぶん背も伸びて顔立ちもきりりと大人っぽくなったけど、中身は子どもの頃から変わらない。のんびりとおおらかで気持ちの優しい奴なのに、どうして中学時代は私を避けていたんだろう?

 何か私が智樹を傷つけるようなことをしたんだろうかと、ずっと悩んでいた。でも高校に入学した途端、昔みたいに無邪気に話しかけてくるようになったから、拍子抜けして、私も気にしないことにした。魚の小骨みたいに喉の奥に引っかかってはいるけれど。

「ところで美月、スマホどうすんの」

「次の土曜、ショップに連れてってもらう」

 あれから幾度か起動を試みたけど、相変わらず沈黙したままの私のスマホ。故障かもしれないし、最悪機種変しなきゃかも。

「じゃあそれまで連絡できねーんだな」

「そうだね。でも別に困らないでしょ、特に智樹が私にわざわざ伝えなきゃいけないような用事なんてないんだし」

「美月はさあ」

 智樹はため息をつくと、焦れたように後頭部をわしわしと掻いた。

「まあいいや。ちょっと寄り道しよ」

「え? なに急に」

「川降りて月見しようよ」

 月見って。見上げた空には細い三日月が光っていた。

「まあ、三日月も綺麗だけど」

「だろ」

 智樹はにやっと笑うと土手を駆け降りた。

 河川敷ではたくさんのすすきの穂が揺れている。控えめなせせらぎの音と、どこかから漂ってくるキンモクセイの香り、黄昏の空に光る三日月。悪くないと思った。

 智樹を追いかけて土手を降りていたら、ふいに智樹が振り返って、私に何かを投げた。

「えっ?」

 智樹が投げた白い何かは、私には届かず、土手にぽとりと落ちてしまった。何だろう。慌てて駆け寄るとそれは紙コップだった。

「え、何?」

 拾い上げると、コップの底に糸がついている。まさかこれは。

「そ。電話」

 智樹が自分の耳にもうひとつの紙コップを当てている。

「えーっ」

 脱力した。部室でこそこそ作っていたのはこれだったのか。

「いくら私のスマホが壊れたからって」

「いいじゃん。通話しようよ。懐かしいだろ、小学生の頃これでめっちゃ遊んだじゃん」

「そう……だけど」

 低学年の頃だったと思う。ふたりして糸電話にはまって、わざわざ広い公園まで行って「通話」していた。長い糸で糸電話を作って、うんと離れても通じるか試した。糸さえたわまなければちゃんと声が伝わった。そんな単純なことがすごく面白かったんだ。

「耳に当てて。そこに居てよ」

 と言うと、智樹は再び駆け出した。すすきの穂の中に埋もれていく。

 私の右耳に当てた紙コップから伸びた糸が、ぴんと張られた。

 懐かしい。

 二階にある私の部屋の出窓と、同じく二階にある智樹の部屋の出窓は向かい合っている。しかも近い。

 一度、智樹が、開けっ放しにしていた私の部屋の窓に糸電話を投げ込んだことがあった。お互い自分の部屋にいながら、窓辺で通話できるか試したんだ。糸がたわまない、ちょうどいい長さになるように何度も調節して……、成功した。

 今はお互い、窓は締め切って、カーテンも閉じている。当然だ。

 そんなことを考えていると、

「もしもーし」

 いきなり、智樹の声が届いた。不意打ちすぎて、どきんと心臓が波打つ。

「思ったより近い……」

 思わず、つぶやく。声が近い。

「もしもし聞こえてますかー」

 糸を伝ってきた智樹の声は、直接私の鼓膜を震わせる。

 聞きなれたはずの声なのに、違って聞こえるのはなぜだろう。小さな紙コップの中で響いているのかも。

「聞こえてますか、応答せよ」

 智樹の声がくすぐったい。私は紙コップを耳から離すと、口に当てた。

「聞こえてるよ。どうぞ」

 再び、耳へ。

「美月」

 名前を呼ばれた。待って、どうしてこんなにドキドキしてるんだろう、私。

 くすぐったすぎて逃げたくなる。鼓膜を揺らす智樹の声。

「美月に伝えたいことがあります」

 智樹の声がさっきよりも固い。

「十六歳、おめでとう」

 ふわっと体温が上がった。部室でたくさんお祝いしてもらったし、わざわざこんなことまでして、かしこまって伝えなくてもいいのに。

 逃げたいような気持ちになって、紙コップをはずした。糸の向こう、智樹はまだすすきの穂の中にいて、その顔は隠れている。

 だから智樹が今どんな表情をしているのかわからなくて。それが妙にじれったくて心もとなくて、私はコップを口に当てた。

「ありがとう、智樹」

 今私の声は智樹の鼓膜に直接届いている。

「聞きたいことがあります」

 智樹の顔が見えない今だからこそ、ずっと気になっていたことを聞いてしまおう。

「中学の頃、どうして私を避けていたの?」

 おはようも返してくれなくなったし、目も合わせてくれなくなった。私と幼馴染だってことをみんなに知られたくないのかも、と思った。ひょっとして好きな子がいて、その子に私のことを誤解されたくないのかも、とも思った。

 ……痛かった。

「どうして高校生になった途端、また普通に話しかけてくるようになったの?」

 すごくびっくりしたんだ。美月、と、昔みたいに名前を呼ばれて。

 嬉しかったから聞かなかった。いきなりの態度の変化の理由を。

 聞けなかった。もう一度避けられてぎくしゃくするのが怖くて。

 気にしないように努めていた。元通りになったんだからもうそれでいいじゃない、って。

 そっと、紙コップを右の耳に当てる。智樹は答えてくれるだろうか。

「……ごめんな」

 と、声が届いた。糸を震わせながら、智樹の言葉が私のもとに。 

「高校生になったんだから大人になろうって、素直になろうって決めてさ。勇気出して話しかけた」

 大人に?

 ……勇気?

「中学の頃は。なんか、美月と普通にしゃべれなくて」

 どうして?

「美月といるとドキドキするようになったから」

 私は思わず紙コップを耳から離した。腰の力が抜けてその場にしゃがみこむ。

 ドキドキしているのは私だ。いきなりそんなことを言うから。

 どういうこと?

 今、この瞬間。智樹が続きを話してくれているかもしれない。だけど私は、糸電話をもう一度つなぐ気になれなかった。耐えられない。心臓壊れる。

「美月っ!」

 智樹の声がして顔を上げた。すすきの穂にまみれた智樹が、私のそばに駆けてくる。

「聞けって。ここからが本当に伝えたいことなのに、なんで着信拒否するかな?」

「着信拒否って……」

 着信拒否って言うの? これ。そもそもどうやって着信があったか判断するの?

「美月の誕生日に告るって決めてたんだ。顔見えないなら言えるかなって、電話で伝えようと思ってたのに、スマホ壊れたとかなんなん?」

「そ、そんなこと言われても」

 ドキドキするからって、中学三年間避け続けるのはひどくない?

「俺、美月が好きなんだ。って、結局直接言ってるし」

「…………」

「美月。その、答え聞いてもいい?」

「……ヤダ」

 つぶやいて立ち上がった。すっかり暗くなった空に、三日月が冴え冴えと光っている。

「糸電話で答えるから。……今夜。日付が変わる前に、出窓開いて待ってて」

 昔みたいに通話しよう。紙コップ投げるから。糸の長さも調節しておくよ。昔の日記に、あの時のこと、きっと書き残しているはずだ。

 三年避けられた腹いせに、もっと焦らしてやりたいって思ったけど。せっかくの誕生日だし、今日という日が終わる前に、ちゃんと伝えることにする。

「わかった」

 赤い顔して、智樹はしぶしぶうなずいた。

「明日が来る五分前に、窓開けるから」

「……ん」

 のぼったばかりの月がきらめいている。銀の指輪みたいな月。

 紙コップを重ねて、糸がもつれないようにくるくる巻き付けてバッグに仕舞った。

 声を伝えたこの糸が、今夜、私と君を結ぶ、赤い糸に変わりますように。

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三日月と紙コップ 夜野せせり @shizimi-seseri

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