120時間と猫ドア

穂村ミシイ

120時間と猫ドア

 目が覚めると、そこは薄暗い地下だった。

 両壁には猫ドア程の小さな扉が4つずつ、計8つ均等に張り付いていた。真ん中の通路は人が2人ギリギリ通れるぐらいの細さ、そこで私は目が覚めた。


「ここは、どこ……?」


 剥き出しの豆電球が必死に辺りを照らしているけど、その心許なさは恐怖と非日常感を更に掻き立てる。床から天井にかけて目に入る全てがコンクリート。それも素人が自分のイメージだけで塗り固めたような杜撰さ顕著に現れていた。


 地下に蔓延する埃と吐瀉物みたいな酸っぱい異臭は、鼻の奥を渾身のパンチで襲ってくる。


 とにかく自分の置かれている状況を把握しよう。キョロキョロと首を動かしてみるけど、外へ通じていそうな扉は何処にもなさそう。代わりに天井まで伸びる長い梯子が続いているだけで、出口が見つからない。


「誰か、誰かいないの!?」


 震える唇が勝手に動いた。静まり返る地下に返事は帰ってこない。


 なんだか、ここに居たらダメな気がする……。


 それは直感的なものだったが間違ってはいないだろう。地下には得体の知れない恐怖が漂っているから。


「とにかく、逃げないとっ!」


 勇気を出して立ち上がった私は、カチャッと言う音と共に足元に違和感があるのが分かった。


「えっ!?何これ……。なんでよっ!どういう事なのよ!?」


 何故か裸足の右足の付け根に鎖がグルグルに巻かれ、錠前でしっかりと施錠されていた。その鎖は天井に伸びる空気孔代わりのパイプに固定されている。


「誰よ!!こんな悪質な嫌がらせしやがって!!」


 鎖の長さは丁度、地下の端から端まで歩ける長さで、梯子を登って見たけれど鎖が邪魔で天井まで届かない。


「なんなの!?誰か、ちょっとマジで誰かいないの!?」


 恐怖でパニックになった私はとにかく叫び続けた。何も分からない。何で私がこんな目に遭わないといけないのよ!?


「………か、……けて。」


 微かにだけど確かに声が聞こえた。すかさずその声の元に駆け寄る。その声はどうやら一番奥の小さな猫ドアの中から聞こえているようだった。


「誰かいるの!?ここは何処なの!?お願い、答えて!!」

「はや、く、逃げて……。」


 その声は私と同じぐらいかもっと小さな少女のような声だった。弱々しいその声は今にも死んでしまいそうに聞こえた。


 この猫ドアの中に人がいる……。

 

 コンクリートで固められた壁はびくともしない。あるのは猫ドアだけ。人が出入りなんで出来るはずもない。

 これが意味しているのは……、監禁だ。


「貴方は?どうしてこんな事になっているの!?」


 全身から血の気が引いて行くのが分かる。早く逃げないと!!でも、どう頑張っても鎖は取れない。今、この状況で頼れるのはこの中にいる、顔も見えない少女の声だけ。私は必死に声をかけ続ける。


「早く、逃げてっ!貴方もこうなる前に……。」

「こうなるって、この中は一体どう、なっているの?」


 中から聞こえる声は焦りと恐怖で支配されていた。知りたくはない、けれど知りたい。矛盾する思考がグルグル回る。

 猫ドアに震える手を掛けた。上に引くとそのドアは簡単に開く。中からはなんとも言えない異臭がムワッとダダ漏れてきた。


 怖い……。

 この中は、一体どうなっているのか、知りたくない。見たくない。でも………、知りたいっ!! 

 

 意を決し、床に這いつくばって目線を猫ドアに合わせ、目を見開いた。そしてビクビクしながらその中を覗いた。


「キャ………ッ!」


 中にあったのは……、顔だけ。

 うつ伏せの状態の顔があるだけだった。


 正確に言うと、顔から奥がコンクリートで固められていた。中の少女のやつれた顔は土まみれ、ボサボサの髪の毛は、もう何日も風呂に入っていないのだろう事が伺えた。少女は身動き一つ取る事が出来ない様子だった。


「アイツが来たら貴方もこうなっちゃう。早く、逃げて!」

「アイツ!?誰よ、それ?一体何が起こっているの!?」


 それ以外何も喋らなくなった少女。訳がわからないこの状況に必死に少女に問いかけ続けるが、いくら経っても返事がない。

 そこに天井からギィィーーという音が鳴り響き、眩しいぐらいの明かりが降り注いだ。目を細めて光に耐えていると、コツコツと軽快なリズムを刻みながら一人の男が降りて来た。


 その男には、見覚えがあった。


「あんた、鷹木たかぎ刑事じゃん。」

「やっと、起きたのかー。仕事だ、手伝え。」


 彼は作業着を身に纏い、バケツを抱えていた。バケツの中はどう見たって人間の食べる物じゃない。猫のエサだ。それを私に持つように促した。


「あんた何やってんのか分かってんの!?こんな事して許される訳ない。すぐに解放してよ!」


 渡されたバケツを力一杯に地面に叩きつけた。思いの外大きい音が鳴ってビクッとなった私の足元に猫のエサが転がる。


「はぁー。状況を理解出来てないのはお前の方だ、杉崎梨香すぎさきりか。」


 大きなため息を吐いた鷹木は、梨香の足についた鎖を強く引いた。案の定、梨香は「キャッ」と小さな悲鳴をあげてその場に倒れた。


 見下す鷹木はいつもとは別人みたい。

 怖い……、怖い大人だ。


「俺はさー、何度も何度も何度も何度も、お前に注意して指導したよな。それでもお前は子供の身分を良い事にヤりたい放題。大人に楯突いて全く言う事を聞かなかったよなー!!」


 梨香は地元では有名な不良娘だった。警察に世話になるのは日常茶飯事で、その度に鷹木刑事と顔を突き合わせていた。


「ここにいる奴らは全員そんな奴ばっかなんだよ!周りに迷惑ばかりかける害虫だッ。それを俺が、ここで、飼育しようが駆除しようが、誰も文句言うはずもないんだよ。だからほら、俺は捕まってない。」


 鷹木は不気味な笑みを浮かべている。その表情は冗談なんて全く無い。こいつは本気で私を殺す気だ。そう考えると恐怖で言葉が出ない。

 皮膚の隙間にゴキブリが這いずり回ってるみたい。絶対的に逃げ場のない恐怖が私の身体を縛り付ける。そんな私を無視して鷹木が声を上げた。


「おら、お前たち。飯の時間だ。」


 手をパンパンと2回叩いて合図すると、8個ある猫ドアの内、5つから少年少女が一斉に声を上げた。


「「鷹木さん、こんな僕達を生かしてくれてありがとうございます。慈悲深い鷹木さんに感謝します。」」


 それはなんとも異様な光景だ。バケツから飛び出した猫のエサを鷹木はスコップで掬い上げ、猫ドアの中に放り込んでいく。まさに飼育、されている。中からは咀嚼音だけが響いてきて、少年少女は一言だって喋らない。


「あんた、狂ってる。」


 声に出さずにはいられなかった。

 鷹木はそれを鼻で笑ってスコップに乗った猫のエサを梨花に向かって投げた。


「今日は許してやるが、明日からそんな口を聞いたら飯を抜いて、お前もコンクリの中に埋めてやるからな。」


 そう言い残すと、梯子を上がって消えていった。


「ゔっ、グズン…。諦めない!!絶対に逃げてやる。」


 震える身体と垂れる涙にムチ打って、何度も鎖を引っ張ったがびくともしない。お腹は空いたけど、あるのは地面に転がる埃に塗れた猫のエサだけ。


「お、母さん。ごめんなさい……。」


 その声は一番奥の猫ドアの中からだった。その声に釣られるように、コンクリの中から次々にか細い声がし始めた。


「ゴメン、ナサイ。」

「家族に会いたいよ……。」

「死にたくない。」


 少年少女達は謝罪を口にするばかり。死にたくないとは口には出すものの、その手段を考えようとする者は誰一人いなかった。その光景に梨香はまた、深い絶望が襲い掛かった。

 


 ああ、ここから抜け出す方法はないのね……。

 私も近い内にコンクリに埋められる。


 さっきまでの気持ちが嘘みたいに身体から力が抜け、立ち上がる事すら出来なくなった。



 どのぐらいの時間が経ったのか、常に薄暗い地下では日にちの感覚が麻痺してしまった分からない。鷹木は数時間に一度、エサを持って現れる。エサやり、地下の掃除を梨香にやらせ、自分を座って見ているだけ。


「ここはほんっとにクセェーー。臭すぎる!!おい、ちゃんと掃除しろ。」

「はい、鷹木さん。」


 梨香は従順に鷹木の命令に従った。そのおかげなのか、鷹木が梨香をコンクリートに埋めることは無く、次第にスコップや掃除道具を地下に置いて行くようになっていた。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン。


 鷹木の居なくなった地下では、ずっとこんな音が響き渡っていた。


「梨香、無理よ。何度やったって鎖が壊れるわけない。」


 長い時間の中、一番最初に「逃げて」と忠告してくれた一番奥の猫ドアの中にいる未央みおとちょくちょくと会話をする様になっていた。


「イヤッ!!私は諦めない。だって、私は、まだお母さんにごめんねって言えてない。いつも迷惑ばっか掛けて親孝行は一つも出来てないの。酷い言葉ばっか浴びせたままだもん。こんなとこで死ねないの!!」


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン。


 啜る鼻水と鎖に打ちつけるスコップの音だけが地下に響き渡る。梨香の手は豆が出来て、それが破れて血塗れになっていた。それでも彼女は諦めない。


 鷹木の目を盗み、猫のエサを食べて命を繋ぎ、風呂に入っていない身体はベタベタで、地下の異臭と同じ匂いを自身から放っていた。


「ほら、最後の晩餐だ。食え。」


 それは唐突だった。いつものように現れた鷹木は梨香にパンを渡して来た。それは久しぶりに味わう人間の食べ物。埃で塗れた手で、カサカサにひび割れた唇で、家畜の様にむしゃぶりつく。


「明日、お前を埋める。最後の夜だ、楽しめよー。アハハハッ。」


 笑みを見せる鷹木だが、目はそれが本気だと物語っていた。涙を一杯に貯めるけど、溢したりしない。こんな狂った奴の前で泣いたりなんかしない!


 鷹木が見えなくなるその一瞬まで睨み続けた。そして一杯に溜まった涙を溢しながら、強く力を込めてスコップを鎖に打ちつける。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン。 


「諦めない、死にたくない、まだ死ねないッ!!」


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガジャンッ!!


「き、切れたッ!!」


 間一髪、とうとう梨香の執念が身を結んだ。パイプから伸びた鎖が音を立てて壊れた。脚にはまだ錠前がくっついているがこれなら逃げれる!!


「未央、やったよ!鎖が切れた!!」

「……。」

「未央?ねぇ、聞いてる?」

「……、おめでとう。」

「絶対に助けを呼んで帰ってくるから!!」


 心なしか素っ気ない未央に約束を交わして走り出した。そして梯子に手を掛けたその時だった。唐突に後ろから少年の声が聞こえた。


「気をつけて。」

「え……?」

「俺は一度、逃げ出した事があるんだ。でも、捕まった。」


 その言葉に一筋の光が断ち切られるようだった。


「ここはどこかの山小屋の地下で、すぐ見える所に鷹木の家があるんだ。俺はそんなの知らなかったから、その家に助けてを求めてしまった。」


 あいつは最悪な事に刑事だ。捕まえるのが専売特許。見つかったら逃げ切れる訳がない。ゴクリと喉を鳴らして唾を飲む。


 怖い、けどっ!!こんな所で止まれない。


「鷹木の、家には気をつけて。あと、もし逃げられたら、俺の家族にごめんなさいって伝えてほしいんだ……。」

「分かった!でも、必ず助けを呼んでくるから!!もう少し待ってて!」


 強い決意を胸に梯子を登った。そして力一杯に地上に繋がる扉を開く。外に出ると辺りは暗く、近くに小さく灯りが見えた。多分、あれが鷹木の家だ。


 反対方面に走ろう。少しでもリスクを減らしたい。山の中は同じような木ばっかりだ。尖った石が裸足の足を襲う。それでも走り続ける。息を切らして枝に引っかかって何度転けても立ち上がる。


 これが最後のチャンスなの。

 お願いっ!!誰か助けて……。


「はぁ、、は、、はぁ、、。」


 辺りが徐々に明るくなり始めた頃、ようやく小さな町が見えた。舗装された道路、信号機、そして立ち並ぶ一軒家。梨香は鷹木から逃げ切ったのだ。


 けれど、まだ外は薄暗い。人通りもなく、走る車の姿も見えない。息絶え絶えに走り続ける梨香の視界に、散歩をしていた老婆が目に入った。


「助けて、、助けてください!!」


 ボロボロの見た目で必死で懇願した。その様子に老婆は最初こそびっくりしていたが、「すぐに警察を呼ぶから家に来なさい」と優しく対応してくれた。


「警察はすぐに、いらしてくれるらしいわ。それまで少し休んでいなさい。」


 老婆は千代ちよと名乗り、温かい飲み物と足の手当てをしてくれた。こんなにも汚れた自分を嫌悪せず、優しくしてくれる。


 私は、今まで自分さえ良ければって思って生きてきた。けど、このままじゃダメだ。生まれ変わりたい……。


 そう思っていたらいつの間にか眠ってしまった。





「梨香、梨香ッ!!」


 次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。隣にはパンパンに目を張らせたお母さんが手を握ってくれていた。


「おか、おかあ、さん。ゔっ、ゔわーーーっ!!」

 

 張っていた糸がプツンと切れたように母の胸の中で泣き出す梨香。母はそんな梨香をギュッと抱きしめたのであった。


「今まで、本当に、ごめんなさい。一杯迷惑掛けてごめんなさい。お母さん、大好きよ。ごめんなさい。」


 私は何度もお母さんに謝って、大好きだと伝えた。今までケンカばかりして、ろくに家にも帰らなかった。子供の私は何したって許されるんだって信じてたから。そんな甘さが今回の事件を呼んでしまったんだ。


 警察が来て、山の地下での出来事、鷹木刑事の事、全て話すとすぐに動いてくれる事になり、私は念のために一週間の入院をする事になった。テレビのない病室だった為、未央達が無事に救出されたと後からお母さんに聞かされた。



 事件は無事、解決されたのだった……。





 プルルルルル…………、プルルルルル…………、ガチャ。

 



 家の固定電話が鳴り響き、それを取る一人の女性の耳に聞き覚えのある声が入ってきた。



「今回は120時間更正プログラムへの参加、誠にありがとうございました。その後、娘さんの様子はいかがでしょうか?」


「鷹木さん、ありがとうございました。おかげさまで娘は無事に更正して、今では毎日欠かさず学校に行っています。」


「そうですか、それは良かった。未央や千代さん、ボランティアの方々も心配しておられたので良い報告が出来ますよ。お母様があの時出した決断は、間違って無かったんですよ。」


「ええ、そうですね。娘には心苦しいですが、あの時鷹木さんに渡された睡眠剤を娘に飲ませた事、今では本当に良かったと思っています。あ、そうそう。後払いだったお金は今日振り込んでおきました。」


「ああ、ありがとうございます。それでは確認しておきますね。また、何かありましたらご連絡ください。では、失礼します。」


 ガチャッ、ツゥーー、ツゥーーー。



 梨香の母は何事もなかった様に、今日も笑顔で娘の弁当を作る。




 



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120時間と猫ドア 穂村ミシイ @homuramishii

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