心の余裕


 土曜の昼下がり。


「鈴木さーん。ケーキ焼けたよ」


 遊びに来てくれた鈴木さんのために、アップルパイを焼いたんだ。

 その間、本人は英語検定の勉強をしている。この後リスニングの問題に付き合う予定だけど、どこまで進んだのかな。


 俺は、呼びかけながら開けっ放しになっている部屋の中へと足を踏み入れる。


 ……が、それ以上は進めなかった。


「……は? 勃っ」


 待って。

 落ち着いて聞いて欲しい。


 目の前には、鈴木さんが居る。

 もっと詳しく言うと、目の前には、俺のベッドに頭を持たせてすやすやと眠る鈴木さんが居る。所持品は、俺がさっき彼女を迎えに行った時に羽織ってたパーカーの上着だ。それを抱きしめ、顔を埋めてすやすやと眠っている。


 落ち着け、俺。というか、理性。

 破壊力が凄まじい。先週泊まりに来た奏が寝ぼけて俺に抱きついてきた時よりも、ずっとずっと凄まじい。あの時はぶん殴って起こしたけど、今はそういうのじゃなくてさ……。あの、普通に……。


「……我慢。落ち着け、理性」


 正直言うと、普通に襲いたい。

 あの寝顔をはちゃめちゃにしたい。なんというか、白を真っ黒にしたいと言うか……。鈴木さんを見ていると、破壊衝動がものすごい。


 俺って、こんな人だったの? 

 鈴木さんに絶対嫌われるじゃん。

 違うんだよ、俺は鈴木さんにそう言うことをしたいんじゃなくて、笑顔にしたい。アップルパイを食べてニコニコしている彼女を見たい。決して、俺にだけしか見せない表情を見ていたいわけではない。断じて違う。違う。はい、違う。終わり。


 そう結論づけた俺は、その間5分の葛藤の末に部屋へと入った。


「鈴木さん、アップルパイできたよ」

「……」

「冷めちゃう前に食べよう。バニラアイス添えるよ」

「……んー」

「……ちゅーするよ」

「っ!?」


 あ、起きた。


 身体を揺さぶりながら起こすと、鈴木さんがものすごい勢いで顔をあげた。もう少し近くにいたら、多分頭突きを食らっていたと思う。避けて良かった。

 俺の声で起きた彼女は、そのまま周囲の様子を伺うようにキョロキョロと首を動かしている。そして、その視線は自然と持っている上着へと行く。


「……」

「おはよう、鈴木さん」

「……」

「俺の匂い、寝ちゃうほど気持ちよかった?」

「…………の」

「え?」

「これ、私の! 青葉くんのじゃない!」


 みるみるうちに顔を赤くする鈴木さんは、俺の言葉に被せる勢いでそんなことを言ってきた。

 いやいや、んなわけ。全く同じデザインなんてそうそうないし、そもそもその服はアメリカで買ったやつだし。なのに、鈴木さんは赤面したままものすごい勢いで言い訳をしている。目もグルングルンに泳いでいるし、可愛い。


 ここは、鈴木さんの言葉に乗ってみようか。

 そう思った俺は、更に彼女の近くに寄り抱きしめながら、


「じゃあ、ペアルックだね。、俺も同じの持ってるから」

「……」

「鈴木さんが着るなら、俺も着ようかなあ。、色も同じなんだね」

「…………」

「あれ〜、俺のどこ行ったかなあ。確か、に置いたんだけど」

「………………」


 と、わざとらしく会話を続けてみた。

 

 すると、鈴木さんは小さな声で「ごめんなさい」と言い、俺に向かって上着を渡してくる。

 今は受け取れないな。それよりも俺は、鈴木さんを抱きしめるので忙しい。


「鈴木さんって匂いフェチだよね」

「そっ!? そ、え、ち、違う」

「桜田くんと寝た時も、匂いに安心してたって話聞いたよ」

「っ!? え、だ、誰に? 誰? え?」

「桜田くん本人に」


 あ、これ言わない方がよかったかも。

 鈴木さんの顔が、ものすごい勢いで真っ青になっていく。しかも、腕の中で身体を硬くしちゃったし。


 別に、付き合う前のことなんだから気にして……いや、気にしてはいるけど、鈴木さんが罪悪感覚えるようなことじゃない。俺の心の狭さが原因ってだけ。


「わあああああ! ちがっ、え、ごめんなさい! 嫌わないで……」

「そんなんじゃ嫌わないよー。小学生の時でしょう?」

「……中学」

「は!? え、あ……べ、別に謝ることでも……?」

「うー……。怒ってる」

「怒ってないよ。小学低学年あたりまでかと思ったからびっくりしたってだけで」

「……じゃあ、お風呂の話も聞いた?」

「聞いたよ。6歳まで一緒に入ってたって」

「……12歳」

「はあ!?」


 話が違う! 俺も入りたい!


 あ、いや。違う。そうじゃない。

 いやいや、別にそんなことで怒らない。怒らない。


 でも、ちょっと色々限界だった。


「今日、泊まってください……」

「……はい」

「ぎゅーしてください」

「はい……」

「頭なでなでしてください……」

「はい……。お返しなでなでを要求します」

「いくらでもします」


 俺は、よくわからない感情になりながら、ポツポツと鈴木さんに向かって「要望」を口に出していく。

 でも、一番言いたい「一緒にお風呂入って」と「一緒にベッドで寝て」はどうしても言えなかった。俺のチキン。


 今日の夕飯は、鈴木さんの好きなビーフシチューと、あと、シーチキンサラダにしよう。……チキンだから。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最近気になるその人は、正真正銘のド天然ボーイ? 細木あすか @sazaki_asuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ