第3話(最終話) 想い
最寄りの駅は歩いて十分くらいのところにある。
駅といっても、都会にあるような大きなものではなくて、駅員さんもいない、いわゆる無人駅。
電車も、一時間に一本来るかどうか。
私が遅刻しちゃって、電車に乗り過ごして、大樹との長い時間待ち続けたこともあったな……。
そんなことを思い出しながら、私は一人、駅への道を歩いていた。
もう日も暮れ始め、私の後ろからオレンジ色の光があちこちに反射して、田舎町の緑一面の風景に幻想的な色をつけていく。
駅につくと、そこに一人、キャリーケースを携え、備え付けの椅子に座っている人影を見つける。
遠目からだけど、あれは大樹だ。
いつも、いつも見てきたシルエット。間違えるはずがない。
大樹と過ごした時間は、今日で途切れてしまうかもしれないけど、それでも、私の中でしっかりと残っているから。
無人駅はひっそりと静まりかえっていて、私がいくら忍び足で歩いても、コンクリートにその足音が響いていく。
その音に気づいたのか、大樹がこちらを振り返る。そして、笑みを浮かべる。
「陽菜…….来てくれたんだ」
でもそれは、昨日見た何かを耐えているようなものに、今慌てて取り繕ったような表情で、どこかぎこちなく見えた。
「本当に、行くんだね……」
「うん、行くよ……」
「ねぇ――」
私が大樹に近づこうとした、ちょうどそのとき、ワンマン列車がその小さな車体に見合わないくらいの轟音をあげてホームに滑り込んできた。
電車が止まると、また長閑な静けさが戻ってくる。
「陽菜、どうしたの?」
大樹は不思議そうにこちらを振り返る。
その瞬間、私の鼓動は経験したことのないくらいに跳ね上がった。
大樹と話すことなんて、十数年から当たり前のようにしてきたのに。
ただ、一言、それを伝えるだけなのに。心の中では覚悟を決めたのに。
それを言葉にしようとする、あと一歩の勇気が出ない。
電車のドアが開き、運転手さんが出てくる。無人駅に長く止まるほど、乗客はいないから、もうじき電車は出発してしまうだろう。
焦れば焦るほど、頭の中がどんどん真っ白になっていく。
「あの、あのっ、大樹……」
なんだか全身どんどん熱くなっていく感じがする。もうどうしたらいいのかわからない、そう諦めかけたときだった。
頭にふんわりと、温かな感触がする。
「陽菜……落ち着いて」
それは、大樹の手のひらだった。
いつもこうやって大樹は私の頭を撫でてくれたっけ。
ありし日の思い出が私を包み込むと――なぜだろう――今までの焦りがすうっと引いていく。
依然として心臓は信じられないくらい早く鼓動しているけど、今の私なら――大丈夫。
深呼吸を一つして、その温かな手を、大樹の顔を正面からしっかりと見る。
「大樹……私ね、今日はどうしても伝えたいことがあったの」
大樹は私の頭から手を離し、少し距離を取る。
「私ね、私ね……」
――ここしかない。
そう思ったら、今まで溜め込んできた想いが、風船が弾けたように口から溢れてくる。
「大樹がね、東京行くって聞いたとき、もう私たちの関係は終わっちゃうのかなって……本気で思ってた」
休みの日に帰省すれば会える。それはそうなんだけど、あのときは、私の目の前から大樹がいなくなっちゃうんじゃないかって、本当にそう感じた。
「でも、でもね……大樹のおかげで、ちゃんと心の整理ができた」
今なら、ちゃんと伝えられる。
「――東京でも頑張ってね!」
「うん」
「それと……もう一つ」
少し間をおいて、ゆっくりと、一つ一つの言葉をかみしめるように、そっと紡いでいく。
ずっと言えなかった言葉をしっかりと口にする。
「大樹が好き。ずっと好きだった」
私はとびきりの笑顔で、大樹に抱きついた。
言葉と一緒に、涙も溢れてきて頬をつたっていき、きっと私の顔はとんでもないことになっていると思う。
でも、それでも。今は一秒たりとも大樹から視線を逸らしたくない。ずっと見つめていたい。
じゃれあって抱きつくことは何度もあったけど、こうして恋心を抱いてからは一度もなかった。
大樹の身体は私よりもずっと大きくて、とても温かい。その温もりがとても心地いい。
「陽菜……」
大機が私の名前を呼ぶ声は微かに震えていた。
そして、私の頭に水滴が落ちる。
「俺も、俺もだよ、陽菜……。俺もずっと陽菜のことが――」
大樹は私をもう一度その大きな両腕で包み込んで、私をもう一度抱き寄せた。
【完】
さよならの前に 東山 はる @haru-higashiyama
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