季節はずれの天の川

金子大輔

季節はずれの天の川

 今日も私は一日、学校で授業を受け、小一時間ほど部活動をしてから駅のホームに立つ。

一緒に帰る友達のミホに合わせて「疲れた」と口にしてみたけど、そんなに疲れてなんかいなかったりする。

「やっぱり11月、寒くなったわね。」

ミホは手の平をこすりながら、ホームを吹き抜けていく風に背中を丸めた。

 高校生になった今年は新しい事ばかりで、あれよあれよと季節は移り変わっていった。

入学したばかりの頃はまだ着慣れていなかった黒色のブレザー。それも衣替えを経て、吹く風が冷たくなった今は慣れる前に有り難さが身にしみる。

「文化祭もハロウィーンも終わって、あとはクリスマスくらいしか楽しみないわね。」

「だね。」

他愛ない言葉を交わしながら向かいのホームに入ってくる列車を眺めていた。

 高校生になってから始まった電車での通学と下校も、半年あまり繰り返していたら制服と同じで知らないうちに慣れた私がいる。

そして今、対面のホームに止まった車両も見慣れた『いつもの光景』として映る。

 こんな毎日が卒業するまで、あと二年くらい続くのね。

こうやって友達のミホと一緒に。

そんな毎日を想像しながら、ぼんやりと向かいの電車の車窓にもたれかかる紺色のブレザーで目が止まる。

あれはK高校の制服。その背中越しに同じ制服の男子が数人。何を話してるんだろう。声は聞こえないけど楽しそうにしている。

きっと昨日まで私は同じ光景を見ていたはず。だから、きっとこの光景も卒業するまで見る事になるんだろうな。

「………えっ。」

そんな事を漠然ばくぜんと考える私は思わず声を出してしまっていた。

背中を向けていた紺色ブレザーが動いた。そして横顔。その目と私の目が、まるで見えない線で結ばれたかのように一直線に。

風が吹いた事も、その冷たさも、それだけじゃなく周囲の騒音も感じない。

「ユリカ?どうしたの?」

「ねぇ、ミホ。視線って、本当に線なのね。」

「……はい?」

この瞬間とき、隣のミホの様子や自分が何を口走ったのかよりも、スッと胸の奥に生まれた暖かさだけを抱きしめていた。

 卒業するまで変わらない。それを信じるか信じないのかと考える事もなく、変わるかもという期待さえしなかったのに、今日このしゅんかん、私の放課後は変わってしまった。


 私が通ってるのはS女子高等学校。歴史もあって由緒正しく、生徒も品性方正、そんな学校。

というのが世間一般的な印象。

「日曜どうだった?」

「日曜?あ~T大?ダメダメ!頭イイのはイイんだけど、それだけって感じね。」

休み時間になれば下世話な話が聞こえてきたりする。

それがS女子の本当の姿。

私はそんな話が聞こえた時は、絶対に関わりたくないから決まってトイレに逃げた。

 一学期の間は世間のイメージ通りの教室だったのに、夏休みが明けてから雰囲気は一変したのは、先輩たちに感化されてか、それともそそのかされたか。

気付けば私のクラスでも、何人かが『男漁り』を話題にするようになっていた。

「(一体どんな夏休みを過ごしたらそうなるんだろう?)」

真剣に考えそうになって私は首を何度も振った。

 夕方。校門を一歩外に出るとS女子の生徒は世間一般的S女子の生徒になる。

「あぁ今日も疲れたわね。」

「うん。」

そんな中、ミホは昔からのミホでいてくれる。

同じ中学で、同じ高校に通い、同じ部活動。ミホは昔から落ち着きがあり、口調も仕草も上品で、それこそ私が描いていた『S女子の生徒』そのもの。

私はミホと友達になれて本当に良かったと思う。

 ミホと二人並んで電車を待つホーム。そこまでに見た広告ポスターに『忘年会』『年末セール』『クリスマス』の文字。

「もう一ヶ月くらいになるのね。」

マフラーで隠したはずの独り言。それなのにミホが「一ヶ月?」と不思議そうにしたから私は慌ててしまった。

「えっ、えっと、一ヶ月……一ヶ月、あ、そう!寒くなってから一ヶ月くらいになるなぁって!うん!そう思っただけよ!」

「??……そ、そう、ね。」

全く解せないといった顔をしながらもミホは頷いてくれた。

ホッとしていると向かいのホームに定時の電車が入ってくる。

 徐々にスピードを弛め、やがて完全に停車した真っ正面の扉の窓。

線路を挟んで見えるそこには紺色のブレザー。

「(今日はマフラーもしてるのね)」

いつも通りの背中。けれど今日は首元に黒いマフラーが見えた。

「(もう12月だもんね)」

今日も車窓の向こうから伝わってくる楽しそうな空気。もちろん私には彼らの声は聞こえない。聞こえないけど、笑う度に上下する背中を見てるだけで私は寒ささえ忘れられた。

しばらくすると、そうやって見ている背中が右へ右へと流れていく。

動き出した電車。

それに合わせて目を右へ右へと動かすと、紺色のブレザーが、彼が横を向き、今日も私の目をみつめてきた。

「(バイバイ。また明日、ね)」

ほんの数秒だけ繋がる私と彼の視線。私は心の中で手を振ってみる。

「………。」

こんな事を私が一ヶ月くらい続けているなんて、さすがにミホにも言えるわけがない。

「もうすぐ冬休みね。」

隣でミホが呟いた。

「そうね。」

胸と頬の熱を気取られないようにマフラーで口許くちもとを隠しながら、それでも立ち去る電車の後ろ姿を消えるまで見送ってしまう私がいた。


 電車に揺られて向かうのは私とミホが暮らす街。

都会と言えるほど栄えてなく、田舎と言うほど廃れてもいない街。

「ずっと言おうと思ってたんだけど。」

慣れ親しんだ色を濃くしていく窓からの風景に目を向けながらミホが静かに、そして少し重たい声で語りかけてきた。

「なに?」

普段から大きな声で話さないミホだから、静かな口調には違和感はない。しかし、いつもと違って不機嫌そうな声のトーンに私の返事は小さくなってしまった。

「最近、ずっと帰りにK高の男子の事を見てるわよね?」

窓の外を眺めたまま問い詰めるような言葉。

「………。」

返す言葉を探してもみつからず、吸った息を吐けなくなった私にミホは大きな溜め息をつく。

「はぁ……やっぱり、そうなのね?」

「……うん。」

やっと息を吐けた私は返事をしながら首を縦にした。

「やっぱりバレてたのね。」

いつもミホは隣にいたのだから当然の話。それでもこうして口に出されたら、さすがに気恥ずかしさが込み上げてくる。

「あっ!でも別にバレたらマズイとか、そんな風に思ってんじゃなくて、その、言い出すキッカケがなかったっていうか……。」

私はミホに『友達なのに水くさいわね』と言われそうで、必死に早口で言い訳をしてしまう。

しかし、それを聞いたミホはまた溜め息をついてから、今度は私の目をみつめてきた。

「悪い事は言わないわ。K高の男子はダメよ。」

まるでさとすような鋭い言葉。その切れ味に私は一瞬ミホが何を言ったか理解できなかった。

「ユリカも知ってるでしょ?K高がどんな学校かは。」

まだ私が何を言われたのか理解しないうちにミホは続けていく。

「中学生の頃に問題を起こした不良か、引きこもりだったような人間が、他に行ける高校がなくて仕方なく集まったようなところよ?素行が荒いか、ネクラな連中……偏差値だって底辺。私たちS女子の生徒とは全部が真逆で不釣り合いな存在なのよ。」

続けざまに言い放たれるミホの言葉に、ただただ私はたじろうしかなかった。

 確かにミホの言うように、K高校の評判が良くないのは私も知っている。だけど私が圧倒されたのは、ミホの口から次々と酷い言葉が出てきたから。

私が知るミホは物腰が柔らかい上品な印象。それなのに今のミホは何かが違う。

その違和感にさいなまれている私から視線を外し、ミホは吐き捨てるように呟いた。

「まだ頭がイイ分T大のほうがマシね。色々と買ってくれたし。」

「……えっ?」

頭がイイ分T大のほうがマシ。それだけなら私は驚かなかったかもしれない。

私を驚かせたのは『色々と買ってくれたし』の一言だった。

その後もミホは何か色々と言ってたみたいだけど、私には耳鳴りみたいに聞こえて頭の中に入ってこなかった。


 私は七夕が好きだ。七夕というか、織姫様と彦星様の話が小さな頃から好きだった。

一年に一度だけ、天の川を挟んでしか会えない二人。

そんな悲しい運命を背負いながらも愛し合う二人が不憫ふびんに思え、それと同じくらい美しくも思えた。

 二学期の終業式を明日に控えた今日。もう学校では明後日からの冬休みが話題になっていた。

しかし、数日前に電車の中でミホに『K高はダメ』と言われてから、私は誰とも口を聞けなくなってしまっていた。

 今まで通りの時間に駅に着いても隣には誰もいない。

相変わらずホームを吹き抜けていく風は冷たい。

それなのに私は七夕の事を考えていた。

 仙女の織姫様と、牛飼いの彦星様。その仲をこころよく思わなかった織姫様の父親により、二人は一年に一度、天の川を挟んでしか会えなくなった。

「……天の川みたい。」

立ち尽くしながら私は向かいのホームとの間にある線路をみつめた。

だったら私は織姫様。そしてK高の彼は彦星様。

「ううん。少し違うわね。」

本物の織姫様と彦星様は互いに惹かれ合い、愛を確かめ合うために天の川のほとりで見つめ合う。

だけど、私と彼は違う。

ただ私が一方的に彼に想いをせているだけ。

「でも、一年に一度じゃなくて、一日に一度だから……。」

それが唯一の救いよねと自分に言い聞かせながら、その救いを乗せた電車が入ってくるのを待った。

 明日は終業式だから、帰る時間が違う。だから、もしかすると今日が今年最後になるかもしれない。

向かいのホームへ入ってきた車両が止まるのを見守り、いつもの背中を探した。

「………。」

真っ正面の開かない扉。その窓ガラス。もたれかかる紺色のブレザー……は、見当たらない。

彼がいない。

今日は座席に座れたのかも。そう思い右の窓、左の窓と遠くから覗いてみる。

だけど彼はいなかった。

 やがて電車は動き出す。

そして、ガランとした誰もいない向かいのホームが広がる。

「もしも、天の川の対岸に彦星様がいなかったら、織姫様は、どんな顔、するのかな?」

マフラーに顔をうずめながら私は、私にだけ聞こえるように声を詰まらせた。

「線路が天の川で、私が織姫様で、あのひとが彦星様、だなんて、私、バカみたい。」

言いながら吹く風の冷たさに口唇を噛んだ。

 そうしているうちに、目の前に電車が、私の住む街へと向かう電車が入ってくる。

扉が開き、この駅で降りる人たちが群れと列となって吐き出され、それが終われば入っていく人たちの列が流れていく。

そしてベルが鳴り、扉が閉ざされ、車両は少しずつレールのリズムのテンポを上げながら進んでいく。

 その車両が立ち去った後、強めの風がホームに吹き、私の髪をなびかせた。

今、ホームにあるのは二つの影。

「えっと、その、呼び止めて、ごめん。」

目の前で紺色のブレザーを着た男の子が申し訳なさそうにする。

「なんていうか、話したい事あって、いや、話したかったっていうか、その……。」

しどろもどろの彼を見ると、その頬も耳も真っ赤で、見ている私も顔が熱くなってきた。

「ふぅー……。」

彼は大きく深呼吸をして、真っ直ぐに私の目をみつめてくる。

「初めて目が合った時から、君の事が気になってました。毎日、帰りに君と目が合うと嬉しくて、だから、その……。」

始めは覚えたばかりの台詞せりふを言うような口振りが、途中からまたしどろもどろ。そんな自分の頬を軽く手の平で叩いてから彼は、さっきよりも真剣な眼差しを私に向けた。

「好きなんだ。君の事。」

その眼差しに、言葉に、私は思わず吹き出してしまった。

「え?え?」

そんな私を見て狼狽うろたえる彼のどこが『素行が荒いか、引きこもり』なんだろう。

「わ、笑わなくても……。」

少し落ち込む彼は私と同じ普通の高校生。

「ごめんなさい。」

「!!!!」

さっきは少しだった落ち込み具合が深度を増して、彼は大きく悄気しょげる。

「ち、違うの!思わず笑ってしまったから、それを謝っただけなの!私だって目が合った時からずっと貴方あなたの事……ん。」

その先は言えなかった。言えなくなっていた。

私の口唇に彼が人差し指を当て、私の言葉をさえぎったから。

「急いで電車を降りて、すぐこっちのホームに来たんだけどさ。俺、なかなか君に話しかけられなかった。」

そのまま彼の手は私の頬へ。

「だからずっと見てたんだ。いつも俺が立ってる電車の窓を見て、俺がいなくて、必死に探してくれてるのを。」

その手の温もりと、その声に鼓動が早くなってしまう。

「その後、泣き出しそうな顔してたのも。」

彼が乗ってきた電車が去ってから私が乗る電車が来るまでの間、その五分間、彼を探してるいる姿を見られていたなんて……。

「だから、言わなくても分かるよ。」

多分、今、私の顔は真っ赤だ。

彼を必死に探して、いなくて落ち込んで、そして自分の気持ちが筒抜けになって。

 もしも、彦星様が天の川を渡ってきたら、織姫様はどうするの?

 もしも、彦星様が彼のように「言わなくても分かるよ」なんて言ってきたら、織姫様はどうするの?

 きっと、私と同じ事をすると思う。

言わなくても分かるよと言われても、言いたくて言いたくて、頬に当てられた手のひらに自分の手を添えて私は優しい目に告げた。

「……好き…です。」と。


 まだ梅雨明けしていないけど、今日は天気に恵まれ、私は鼻歌を唄いながら夕刻の商店街へ。

 駅前に立って流れていく人波を眺めていると、白い半袖Tシャツの彼が私の名前を呼んだ。

「待たせてごめん。」

「ううん。私も着いたばかりだから。」

「そっか。………。」

何の変哲もない会話。いつもなら、その後には『じゃあ行こうか?』と続くのに、彼はそうとは言わず黙ってしまった。

「どうしたの?」

黙りながらまじまじと私を眺める彼は、最後に目を見て微笑む。

「……浴衣。よく似合ってるな、って。」

「……ありがと。」

もしかすると言ってくれないかもと、内心ちょっと不安だった浴衣姿。だけど、すぐに言ってくれた。

「そろそろ、行こ?」

嬉しいくせに恥ずかしなって、今日は私からそう急かしてしまった。

 今日は七月七日―――七夕。

 商店街の七夕祭。

賑わう通り。その真ん中あたりに用意された数本の大きな竹。

風が吹く度にサラサラと音を立て、色とりどりの短冊を揺らす。

「俺たちも願い事書こうか。」

「うん。」

そうやって二人肩を並べて短冊にペンを走らせる。

 書き終わった短冊も肩を並べて笹に結び付け、どんな願い事したの?と彼にたずねると、彼は「ユリカこそ」と返してしてくる。

だから私は「内緒」と舌を出して、彼の手を握って引っ張った。

 今夜は晴れてるから、きっと天の川が見られる。

彼の隣で。

人混みに溶けていくのを見守るように、私の短冊が風になびく。

そこには、私の一番の願い事。


『今夜、織姫様と彦星様が、私たちみたいに手を繋いで過ごせますように』

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季節はずれの天の川 金子大輔 @kaneko_daisuke

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