女神ちゃんの通学路 ー今宵も私は釘を刺すー

一矢射的

都市伝説の姫

 夕焼け真っ赤な帰り道、カラスが鳴いたら帰りましょう♪

 午後五時を回りました。

 外で遊んでいる子ども達は、気を付けてお家に帰りましょう。




 音割れスピーカーから無線放送が街に流れる中、石橋ワタルは沈痛な面持ちで茜色の夕暮れを眺めていた。白息しらいきあふれる唇から、自然と独り言が零れ落ちた。


「はぁ、嫌だ。今日は帰りたくないんだよぉ」


 うら若き美女が同じ台詞をささやくなら、さぞや甘美な響きがあっただろう。

 だが、ワタルは男の子。まだ小学五年生であった。

 そこは川沿いの土手。斜陽が差し、長い影法師がのり面に張り付いていた。

 回り道につぐ回り道。いつもの帰宅路を大きく外れ、とうとう家とは反対の方角まで来てしまった。

 少年の足取りは重く、背負うランドセルがズッシリと肩にのしかかっていた。


 彼の心を曇らせているのは、家で待ち受ける憂鬱ゆううつなイベントであった。

 いや、他にも悩みの種がもうひとつ。こうやって暗くなるまで通学路をうろついていると、決まって声をかけてくる「アイツ」の存在もあった。


「わーたーるーくぅーん!」


 ―― ほーらきた。


 ワタルが振り向くと、小首をかしげ 人差し指をあごにあてた少女が立っていた。

 天然パーマの黒髪で、お下げ二つの少女。服装は縞々しましまシャツの上からデニムのサロペットスカート、頭には鳥打ち帽子を被り、星のマークがついた子ども用ブーツを履いていた。

 フクロウみたいにパッチリしたお目目といつもニヤニヤ笑っている大きな口。八重歯が愛らしいのだけれど、どこか影を秘めた印象で好きになれなかった。


 学校で自分のことを「女神の娘」と言ってはばからない変わり者。

 いつしか、ついたあだ名が……。


「やぁ、女神ちゃん」

「よい黄昏たそがれね、ワタルくーん」


 これは恐らく英語けんにおけるグッドモーニングみたいな挨拶あいさつなのだ。

 常識を期待するだけ無駄な相手だった。


「どうしたのさ、ワタルくーん。またお家に帰りたくないの? キミんちは問題が多いからね。まったく、ご愁傷様しゅうしょうさま

「君ん所よりはマシだと思う」

「お互い様かぁ~まいっちゃうね。それで、今日はどうした? はははーん、わかったゾ。今日返された算数のテストがれい点だったとか」

「だから『一緒にしないで』って。僕は八十点だった」

「じゃあ何で?」

「言いたくない」

「困った子ちゃん! 夜の街はとっても危険なのに。仮面の人さらいや、双頭の人面犬を見たって噂を知らないの?」

「そんなこと口にするの、君だけだよ」

「ウフフ、皆は知らないのよのねー。家に帰りたがらない子どもがどうなってしまうのか」

「どうなるのさ?」

「オバケになっちゃうのよ。オバケに捕まったらオワリなんだって」

「もう、放っといてくれよ。君こそ早く帰れ」


 やっぱりこの娘は頭が少しヘンなのだろう。

 ワタルはきびすを返して歩き出した。それでも女神ちゃんはスキップしながら ついてきた。歩きながらも話すのを止めなかった。


「ダメ。アタシは迷子ちゃんが心変わりするまで付いていく。ママからそうしろとおおせつかっているんですからね」

「勘弁してよ。帰りたくないんだ。ウチの母親と喧嘩して」

「じゃあ、ずっと一緒ね! うれしい!」


 舌打ちしてワタルは足を速めた。

 それを呼び止める女神ちゃんの声。


「どこ行くの? もしかして橋の下の隠れ家へ行こうとしてる? 男子の溜まり場になってるトコ? いけないわ、昼ならともかく、夜の川は『釘刺し男』が出るんだから」


 新妻川にかかる鉄道橋の下には、クラスの男子が粗大ごみ置き場から拾ってきた調度品が沢山あった。ソファや机、衝立ついたてなんかが在って家出した子が身を隠すには丁度よいのだ。

 図星を突かれて少年はカッとなった。


「うるさいんだよ! 嘘つき」


 とうとうワタルは少女を置いて駆けだした。

 少年は知っていた。女神ちゃんが同級生から陰口を叩かれていること。口を開く度に大味なホラばかりなのだから無理もなかった。

 嫌われているだけでなく、同時に恐れられているのだから余計始末が悪かった。女神ちゃんをイジメた無謀なワルがいつしか学校に来なくなり、こっそりと転校してしまうという話も耳にした。彼の知る噂話の全てが彼女と距離を置くように推奨すいしょうしていた。


 ―― 女神ちゃんだって、暗がりに一人残されたら怖くなって帰るだろうさ。


 ワタルはそう決めつけて土手の道をひた走った。

 ところがだ、鉄橋が見えてきたのは良いが、彼を待ち構えていたのは目指す橋の下から鳴る奇妙な物音だった。


 カァーン、カァーン! ガンガン!


 何かを強く叩きつけるような音だった。

 それに混じって鳥の羽ばたくような音も聞こえてきた。

 見れば夕闇の底、橋の支柱へ手にしたトンカチを叩きつけている人影があった。


 ―― なんだ? 何やってんだアイツ?


 ワタルが恐る恐る近づいたその時、ちょうど電車が橋を通過して河原を琥珀色の光で照らしだした。


 光、闇、光、闇。電車の窓から注ぐ明暗の中でワタルは見た。

 建築現場でよく見かける作業服姿。そんな格好の男が、コンクリートの支柱に釘を打ち付けていた。

 その釘でもって柱に固定しているのは、なんと「まだ生きている」カラスであった。


「ギャアギャア、クワァアア」


 おぞましいカラスの鳴き声を、電車の轟音がかき消した。

 やがて、男はトンカチを扱う手を休め振り返った。


 黄色いヘルメットは薄汚れており、それを被った顔は悪夢の登場人物と見紛うほど酷かった。皮膚の剥がれた顔面に包帯を幾重にも巻きつけ、唇のない口からは乱杭歯らんくいばがのぞく、その醜怪さはさながらミイラ男だった。その上、ミイラの右目にはカラスを打ち付けたものと同じ五寸釘ごすんくぎが深々と突き刺さっていた。

 そして、ヘルメットの側面には「不安全」という謎のシールが張られていた。


 電車は足元の凶行にも我関せずと走り去り、次に静寂を破ったのは少年の背後から響く女神ちゃんの愉悦に満ちた声であった。


「あれが『釘刺し男』よ。ワタルくぅーん、信じてくれた? もう、人が釘を刺すのに聞かないから」

「何だよ、アレ!?」

「説明の暇ある? たぶんキミも釘を打たれるけど」


 女神ちゃんの言う通り、釘刺し男は二人を見るなり獣染みた咆哮ほうこうを発した。

 次はお前だ。そう宣告されたに等しい示威じい行動であった。


 ワタルは絶叫を上げ、逃げ出した。

 しかし、大人と子どもの脚力の差はいかほどであろうか。最寄りの土手を登る暇もなく追いつかれてしまうのが目に見えていた。

 そこで咄嗟とっさにワタルが選んだのは川に逃げ込む手段だった。重いランドセルを捨て水へ踏み込む。数メートルも進めば足がつかない深さとなり、泳ぎを逡巡しゅんじゅんした追跡者は浅瀬に踏みとどまざるを得なかった。


「グゥルル…」


 肝を冷やす唸り声を耳にしながら、ワタルは必死に水をかいた。命懸けの水泳は時間にして五分ほど、川に流され、何度も足をつりそうになりながらもどうにか対岸へ渡り切ることができた。

 吐く息も白い季節にとんでもない暴挙、歯の根はかみ合わず、全身の震えはもはや痙攣けいれんに等しかった。それでも一緒に泳いだはずの女神ちゃんは平然としていた。その手には少年のランドセルまであるではないか。


「いやぁ、濡れちゃったね。でもこれで帰る気になったかな?」

「そ、それどころじゃないよ。寒くて」

「うん、そっかー。じゃあアタシの家が近いから、そこで服を乾かしていきなよ」


 女神ちゃんが指さしたのは川沿いにある邸宅。庭は草ぼうぼうで、越屋根こしやねには風穴が穿うがたれていた。どこからどう見ても、その洋館は廃屋だった。


 それでも背に腹は代えられぬ、凍死よりは何だってマシだった。

 住宅裏手の古めかしい板塀には所々穴が開いており、四つん這いになって庭へと侵入した。そこからさらに割れた窓を乗り越え、二人は暖炉がある居間らしき室内へと入った。

 壁紙やカーテンはボロボロ、人が住んでいる気配は皆無であった。


「君はやっぱり嘘つきだ。誰の家なのさ、ここは」

「アタシんちよぉ? まぁ火にあたりなさい。月の女神邸にようこそ」


 彼女は戸棚からマッチ箱を出してくると、古新聞を火種に暖炉へ火を起こした。

 確かにその仕草は随分と手慣れている風だった。


 ワタルは体を温めながら起きた出来事を頭の中で整理しようとした。


「僕には何がなんだかわからないよ。夜中の怪物は、君のホラじゃなかったの?」

「昼間のアタシはただのホラ吹き、でも日が落ちればうつつと虚構が入れ替わる。夜はママの時間だからね」

「ママって女神様? そんな人どこにいるの? この屋敷?」

「今は星空に。月はいつでも迷子に付き添って、家までお見送りするものでしょう?」

「そんなこと信じられないよ。でも、怪物は本当にいたし、ああ、もう!」


 女神ちゃんは困った顔で首を振った。


「あれは夜の街の住人。昼の街で居場所をなくした、可哀想な人たちね。別に怪物ではないから」

「でも僕らを襲ってきた」

「夜の住人はみな寂しがり屋で、仲間を求めてうろついているの。釘刺し男の奴は気に入ったものに釘をうってシルシをつけたがる習性があるわ。釘を打たれると、みな彼の仲間に……夜の住人になってしまうのよ」

「そんな愛情表現ってある?」

「あるよぉ、大人はそれを独占欲っていうの。夜の住人は、みんな好きなモノを独り占めしたがるからね。例外はないよ、ワタルくぅーん」


 その時、女神ちゃんの笑顔がなぜかいつもよりずっと不気味に感じた。

 しかし、それも一瞬のこと。

 すぐいつも通りに小首を傾げて、女神ちゃんは話題の矛先を変えた。


「それで、ワタルくんはどうしてお母さんと喧嘩したの」

「公園で捨て猫を拾ってきたんだ。ウチはマンションだからペット禁止で。お母さんは飼えないから捨ててきなさいって」

「へえ」

「でも僕は納得いかなかった。隣のおばあちゃんが内緒で猫を飼っているのを知っていたからさ」


 押し入れでコッソリ飼おうと目論んだのに、すぐ発覚して、猫は家から追い出されてしまった。今朝がたワタルはその件で大目玉を喰らい、親の説教から逃げ出すように登校したばかりであった。帰れば続きが待っているのは明白だった。


「でも今頃、お母さんは心配してるよ」

「だって、お母さんはクロを捨てたんだ。車でウンと遠くまで捨てに行ったんだ」

「なにさ、それぐらい。帰りなさい、アタシ達の仲間にされたくなかったらね」


 釘刺し男の不気味な容姿が頭に浮かんだ。

 少し悩んでから、ワタルは諦めて口を開いた。


「わかったよ、もうコリゴリだ」








 夜空に満月が昇る頃。二人はタワーマンションの前に立っていた。

 辺りには微かな霧が漂い、ただならぬ雰囲気をかもし出していた。

 その異変を感じ取り、女神ちゃんが鼻をヒクヒクさせながら呟いた。


「妙ね。釘刺し男め、まだ諦めてないのかしらん。『夜の住人』の気配がするわ」

「大丈夫だよ、家の中に入ってしまえば」


 もう母に心配をかけたくない。

 その一心でワタルはマンションの階段を駆け上った。

 だがしかし、薄霧たれこめる共用廊下は昼間と全く様変わりしていた。


 無限に続く果ての見えない廊下。左手には手摺てすりと霧の夜景。そして、逆側に目をやれば延々と並ぶ「304号室」プレートの扉。ワタルの見慣れた自室のドアが百枚以上も壁に並んでいた。


「な、なにこれ?」

「やっぱり誰かが君を家に帰したくないようね。気を付けて、本物は一つ。間違った扉を開けたら何が起こるか判らないよ」


 そう言われても、どの扉も見た目は同じで区別なんてつけようがなかった。

 ノックをしても、呼び鈴を鳴らしてもやはり反応はなかった。

 二人が困り果てた時、不意に猫の鳴き声が前方から聞こえてきた。


「……クロ?」


 遠くに捨てられたはずの黒猫が、とあるドアの前でワタルを呼んでいた。

 彼が近寄ると、ここだと言わんばかりに扉で爪を研ぎ始めた。


「ここ? これが正解なのかい? お前、恩返しをしてくれるのか」

「にゃあ~」


「……本当にそう? ワタルくぅーん。アタシの言った事をよく思い出してね」


 猫を撫でてやるワタルに、女神ちゃんが腕を組みながら忠告した。

 撫でる手が止まり、冷汗が少年の背筋を流れ落ちた。


 ―― 夜の住人はみんな独占欲が強く、常に仲間を欲している。

 ―― 釘刺し男に釘を刺されたら、そいつも夜の住人になる。

 ―― 例外はない、誰も。


 恐る恐る、ワタルはクロの身体を撫でまわしてみた。

 首筋を撫でた時、指先に何か硬い物が触れた。丸くて平べったい画鋲の頭みたいなものだ。それが首に刺さった五寸釘だと判った時、ワタルの顔から血の気が引いた。


「フゥー!」


 猫は全身の毛を逆立たせ、牙を剥きだしにした。

 ワタルの喉元へ噛みつこうとした正にその時、女神ちゃんが跳躍ちょうやくした猫の首根っこをムンズと捕まえた。


「キミなんかにあげないよ!」


 ポイッ!


 哀れ黒猫は廊下の手摺りを越え、落ちていった。

 尻もちをついて放心状態にあったワタルは、やがて悔しそうな顔をして立ち上がった。


「このドアじゃないかもって……クロが扉を選んだ時、そう思ったんだ」

「どうして?」

「匂いがさ、さっきからずっとしていたもの。母さんの得意料理、ビーフシチューだ。僕と仲直りしたくて、僕の一番好きなメニューを……」

「判ったようね。あの猫なら心配いらないわ。夜の住人は寂しがり屋だけどタフな奴ばかりだから。だからね……昼間の住人はもう、あるべき所に帰んなさい」

「うん。ありがとう、女神ちゃん」

「また学校でね、ワタルくぅーん」


 匂いの漂ってくるドアが正解。

 少年が自宅の扉を開くと、見送りを終えた少女は軽やかな足取りで去っていった。肩越しに手を振りながら、ワタルと顔を合わせようともしなかった。


 ―― まさか泣いてないよね?


 なぜか、そんな考えが少年の頭をかすめた。


 そして自宅のドアが静かに閉じられる。

 回り道の果て。ようやく訪れた「ただいま」の時間だった。









 それから一週間後、ワタルは帰り道で女神ちゃんと再会した。

 街に流れる無線放送。スキップを踏む少女。あの時と何も変わらぬ光景だった。


「どうしたの、ワタルくぅーん? またお家に帰りたくない病が発症しちゃった?」

「だから『一緒にしないで』ってば。お母さんには遅くなるって言ったから」

「うーん? 何かご用事」

「うん、僕らにとって凄く大事な用。」


 そこまで言うと、ワタルは女神ちゃんの手を握って微笑んだ。


「この前は夜の街を案内してくれてありがとう。今度は僕の番だよね」

「え、ふえぇ!?」

「昼間の居場所を作ろう。君なら出来る。それとも……まさか怖い?」

「いやいや、なんでアタシが……やだ、ねえ、ちょっと待ってよ」


 ワタルは少女の手を引いて歩きだした。

 覚悟はもう決まっていた。

 人目なんて気にしない。勇気の火は、もう少年の胸に煌々こうこうと灯っていた。


「友達が五十円でゲームをやれる駄菓子屋を教えてくれたんだ。そこに行こうよ」

「ちょ、寄り道はダメよ。また夜になっちゃうよ、ワタルくん」

「平気でしょ、君が居るもの」

「……ったく、特別だよ。手を繋ぐのはワタル君だけだからね」


 互いを認め合った男女が手をとり、道を行く。

 たとえ夕闇の中でも、繋がれた手にはお日様が宿っていた。



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女神ちゃんの通学路 ー今宵も私は釘を刺すー 一矢射的 @taitan2345

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