村の時間

ミラ

村の時間

 私の父は、私が生まれる前に死んだ。

 子供の頃、母が父について教えてくれたのはそれだけだった。

 母は山奥の小さな村の出身だった。故郷から遠く離れた都会で、母は一人で私を産み、育てた。

 私が学校を卒業して今の職を選んだとき、母はずいぶん驚いた様子だった。理由を聞いて私も驚いた。私は父と同じ仕事を選んだのだ。私はそれ以前に父の仕事について何も教えられてはいなかったのだから、同じ職業を選んだのは全くの偶然である。

 数年後、私の新たな赴任先が母の生まれ故郷の村に決まったとき、母はすでに亡くなっていたから、その第二の偶然に驚いたのは私一人だけだった。


 私が急遽その村に赴任することになったのには理由があった。前任者が失踪したのだ。私の任務は失踪した前任者を捜し出すこと、そして前任者の失踪によって生じた問題を解決することだった。

 その日、正午過ぎに最寄りの駅に降りた私は、駅の真向いに見つけたタクシーの営業所へ行き、村まで乗せてくれるように頼んでみた。

「あの村へは歩きでないと入れないよ。車の通れる道が無いんだ。というか、あの村はとっくに廃村になっているんじゃないかな」

 中年の運転手は机で弁当を食べながら、気の毒そうに言った。

 ある程度は予想していたことだったので、私は礼を言って営業所を出た。

 地図を見ながら舗装されてない山道を歩いて行く。運転手が言った通り、道は少しずつ狭くなり、やがて人一人分の幅しかなくなった。元々は車が通れるくらいの道幅があったようだが、長年使われないうちに、両側から植物が押し寄せて細くなったのだろう。

 木々に囲まれた単調な山道を一人黙々と歩いてると、次第に時間の感覚がおかしくなっていくのがわかった。同じ道を何度も繰り返し歩いているような気分になるのだ。それでもひたすら歩き続けているうちに、ようやく開けた場所に出ることができた。

 そこが村だった。


 緑豊かな山々の間を縫って緩やかな川が流れ、両岸にある道に沿って田畑や農家が並んでいる。

 この村で私の母は生まれ育ち、そして父と出会ったのだ。

 前任者が使用していた住居兼職場である作業所は、村の集落とは少し離れた場所にポツンと寂しく建っていた。何の飾りも無い、四角い小さな建物である。

 私の父も昔、ここで働いていたのだろう。

 今日からは私がそこの主となるわけだ。

 建物正面のドアを開け、中に入る。鍵はかかっていなかった。入ってすぐの作業場は雑然としていて、仕事の活気の名残があり、今にも前任者が姿を現しそうだ。

 作業場を出て奥へ進むと、キッチンとトイレ、バスルームと続き、突き当たりにベッドの置いてある小さな部屋があった。私は中に入り、床に荷物を置いた。ベッドに腰を下ろして、部屋の中を見回した。

 作業場とは打って変わって、殺風景で生活感のない部屋だった。ベッドとは反対側の壁に寄せて小さな机があり、その上に目覚まし時計が置かれているだけで、他に前任者の私物といえるものは何も無い。どうやら彼は仕事中心の生活を送っていたようだ。

 あるいは自ら荷物をまとめて出て行ったのだろうか。

 失踪した前任者が村の外へ出たのか、それともまだ村のどこかにいるのか、そもそも自分の意志で失踪したのかどうかもまだわからない。事件や事故に巻き込まれた可能性もある。

 まずは失踪を通報してきた村役場の人間に詳しい話を訊く必要があった。それがこの村での、私の初仕事だ。


「まさかこんなに早くお越しくださるとは。驚きました」

 失踪を通報してきた役人は本当に驚いた様子だった。彼からすれば、通報した直後に私がやってきたのだから無理もない。

 私たちは村役場の応接室で面会していた。村役場は作業所から見て、村の中央を流れる川の対岸、短い橋を渡ってすぐの場所にあった。受付の若い女性に用件を告げると、応接室に通されてしばらく待たされた後、この役人が入ってきたのだ。

 結局その役人からは、たいした情報を得ることが出来なかった。毎日数回、作業所から送られてくる定時連絡が今朝からなく、本人の所在も不明であることから、規約に従って本部に連絡したということだった。

 私は役場を出て作業所に戻った。今のところ、これといった手がかりは何もない。さてこれからどうしたものかと考えているときに、来客を告げるインターホンが鳴った。

 玄関に出てみると、村役場で受付をしていた若い女性だった。

「お話があります」彼女が言った。


 椅子に座って、作業場に置かれた各種の機器を物珍しそうに眺めている女性に、私はコーヒーカップを差し出した。

「どうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

 私は小テーブルを挟んだ向かいの椅子に座り、自分のカップのコーヒーを一口飲んだ。悪くない。前任者がキッチンに残していったものだが、少なくとも彼はコーヒーの味がわかる男のようだ。

「それでお話というのは?」

「はい、実は」

 彼女の友人が、失踪した前任者と交際していたのだという。友人は妊娠しており、そのことを自分の父親に打ち明けて結婚の許しを得るつもりだと、二日ほど前に彼女に相談していた。

 ところが昨日の午後からその友人と連絡が取れなくなった。友人は小学校で教師をしているのだが、職場である小学校も今日は無断で休んでいるという。

 これらの事実が、前任者の失踪と関係があるのかどうかまだわからないが、とにかく他に手がかりがない以上、調べてみるしかない。

「プライベートなことなので、お話しすべきかどうか迷ったのですが、二人が心配で」

「わかりました。情報提供ありがとうございます。お友達の消息についても調べてみましょう」私は言った。「お友達の名前、それと住所を教えていただけますか」


 私は前任者と交際していた女教師の自宅を訪ねることにした。女教師は農業を営む父親と二人暮らしだという。

 川に沿って緩やかな坂道を上っていくと、受付の女性に教えられた通りの外観をした農家がそこにあった。

 玄関に出てきた初老の男性に私は用件を伝えた。私の身分は県の職員ということにしておいた。

「娘は、今はいない」彼はぼそっと呟くように言った。

 最初は私を警戒して口が重かったが、しばらく世間話などをしているうちに気を許したのだろう。私の質問に答えてくれるようになった。

 彼は昨夜、娘から妊娠の事実を告げられたという。相手の男と結婚したいとも。

「私はもちろん反対したよ」

「どうしてですか」私は尋ねた。

「当たり前だろう。あんな得体の知れない仕事をしている男に、娘はやれない」

 私は苦笑するしかなかった。未だに我々の仕事について正しく理解している人は少ないのだ。

 それから彼は娘と激しい口論になり、最後には娘が家を出て行ったという。

 彼が何か大事なことを隠しているように感じた私は、さらにいくつか質問をして、その答えの矛盾を指摘し、彼を執拗に問い詰めた。彼はついに根負けして言った。

「もういい。白状するよ。私はあの男を殺したんだ」


 昨夜、彼は娘と話をした後、散歩してくると言って家を出た。

 その足で作業所を訪ね、二人だけでゆっくり話がしたいからと、前任者を夜の山歩きに連れ出した。

「そのときは本当に話をするだけのつもりだったんだ。だが、魔が差したんだろうな」

 月明かりの下、細い山道を歩きながら二人で話をしている時、彼は隙を見て前任者を谷に突き落とした。

 そのあとすぐ家に戻ったのだが、父親の様子がおかしいことに気づいた娘に問い詰められ、自分のしたことを打ち明けた。

 娘は泣きながら家を飛びだし、そのまま今も帰ってきていない。

「この村を出て、一人で子供を育てると言っていたよ」

 すべてを話し終えた父親は、魂が抜けたように虚ろな表情をしていた。これでは事件現場までの案内を頼むのは無理だと判断した私は、一人で現場を捜すことにした。


 日が落ちる前に前任者の遺体を発見出来たのは幸運だった。

 苦労して深い谷底まで降りた私は、うつ伏せに倒れていた遺体を抱きかかえて、仰向けに横たえた。

 私は前任者の死に顔を見つめた。まだどこか幼さの残るこの青年が、私の実の父親なのだと思うと、なんとも不思議な気分だった。顔立ちにどことなく私に似たところがあるような気もした。

 女教師が私の母と同姓同名だと知ったとき、私は単なる偶然だと思い、気にも掛けなかった。しかし、受付の女性が帰った後、作業所の機器を確認したところ、私がこの村に来たときの外部世界と、この村の時間のずれの大きさが、私の年齢とほぼ同じだとわかったのだ。

 そこまで大きな遅延が生じているとは想定せず、確認を怠ったのは私の落ち度である。そしてこの距離は今も開きつつある。急がなければならない。

「それでは引き継ぎをさせていただきます」私はそう宣言して彼の胸をはだけ、心臓の近くに埋め込まれていた時間結晶を取り外した。

 青く光り輝く親指大の結晶を、私は握りしめた。ゆっくりと氷が溶けていくような感覚とともに、時間結晶は手のひらに吸い込まれていった。やがて胸の辺りがじんわりと暖かくなった。時間結晶が所定の位置に定着したのだ。

 時間結晶は生体と融合することで、停滞していた時間を正常な速度に戻すことが出来る。

 水晶には電圧を掛けると、一定の周期で規則的に振動する性質がある。クォーツ時計はその性質を利用して時を刻んでいるわけだが、時間結晶は人間の生体電位に反応して、周囲の時間それ自体に影響を与えるのだ。

 前任者である私の父が死んで以降、引き延ばされていたこの村の時間は、私が時間結晶と融合したことで、再び外の世界と同期することが可能になった。もちろん作業所にある機器で、さらに細かい調整をする必要はあるのだが。

 かつては世界中の時間が同じ速度で流れていたという。私が生まれる遙か以前の話だ。しかしいつからか、主に外部から孤立した社会で時間の遅延現象が生じるようになった。

 科学者たちによる長い試行錯誤の末、時間結晶と融合した時間調律師を常駐させることで、外部世界との同期が可能になり、事態は収束したのである。

 私は土を掘って父の死体を埋めた。社会正義には反するが、今となっては私の唯一の肉親である母方の祖父が逮捕されるのは避けたかった。最後まで父の死の理由を語らなかった母も、きっと賛成してくれるだろう。

 本部には時間結晶のみが発見され、前任者は行方不明だと報告するつもりだ。

 作業を終えた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 私は父を埋めた場所に墓標代わりの石を置いて、手を合わせた。

「さよなら、父さん」

 それから私は谷を出て、作業所へと向かった。

 村の時間を正すために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

村の時間 ミラ @miraxxsf

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る