第十九話 くりから丸


「赤子が生まれると、母親の乳はこんなにも大きく、豊かになるものなのか。驚くばかりじゃ。ところで今、泣き過ぎて目を腫らしたような、赤目の白兎のような奇妙な若者がこちらを見ていたな」

「ええ、曼珠沙華を手にした、青白い顔の妖しい若衆でしたね」

二人は顔を見合わせる。


「それにしても、くりぼうは元気な子に育っている」

「はい、父親に似て体の大きな強い武士になることでしょう」

小梅が嬉しそうに微笑む。


「武士は良くない。命が短い。医者がいい。あるいは刀鍛冶がいいのではないか。この子の父親は若いながらも名匠だった」

「はあ、そうですね。姫様はあの短刀を渡してしまわれた。小梅は残念に思います。この子に、父の形見として持たせたかったのです」

「は、何と申す。子を産むと女子は欲深くなるのか。あの短刀には、下手な字で榧丸のためと銘が切られていたではないか。子種を貰っただけで充分であろう」

「はあ、もういいです。ところで姫さま、これから無茶はおやめ下さい。いくら泳ぎが得意だからといって、大きくて流れの速い相模川へ飛び込むなんて。命知らずにもほどがあります」

「その話し聞き飽きた。何千回も同じ事を言うつもりか。わらわは、八王子城で命を落とした多くの者たちの供養をしたいと思い出家した。しかし、年増の尼僧たちにいじめられて、色々とつらかったのじゃ。だから入水したと見せかけて、逃げ出したのだ。思ったよりも流されて危なかったが」

口をとがらせて、悪びれずに言う。


「確かに、尼寺は姫様にはおつらい所だったとお察しします。猪肉を食べられませんからね。これまで姫様に永らくお仕えしておりましたが、この子を大きくするために、しばらくお暇をいただきたいと思います。久良岐の山里へ帰ります」

赤子を抱いたまま、深々と頭を下げる。


「寂しいことを言う。わらわよりも我が子が大事か」

せつなそうに、ためいきをついた。


「姫様はこれから、どうなさるおつもりですか」

「相即寺へ行く。お父上が帰依きえしていた讃誉牛秀さんよぎゅうしゅうに会いに行く。戦の後、山に残された一千三百体もの亡骸を戸板に乗せて下ろし、村人たちと共に大八車に乗せて相即寺まで運んで埋葬してくださった。偉いお坊様だ。夏の一番暑い盛りに千を超える亡骸を.....」

姫が言葉を詰まらせた。


「わかりました。お供いたします。でも、その後は何処へ。一緒に久良岐へ帰りましょう。逍風居士もきっと、待っておいでです」


「かわゆいのお」

小梅の問いには答えない。微笑みながら波利姫はくりから丸の頬を人差し指でつついている。


                             (了)













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紅蓮の石 八王子城秘話 オボロツキーヨ @riwa

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