第十八話 紅蓮の石


 (一)

 

 御主殿が燃えている。山の麓から黒い煙が濛々もうもうと立ち上がってくる。小梅は強い女子おなごだった。落城した日、おれたちは山頂近くで数十人もの敵兵にとり囲まれた。今にも刀と槍でなますのように切り刻まれそうになった時、おれたちの前に立ち「城主北条氏照の娘、波利姫じゃ。わらわを捕らえて人質にせよ」と「その代わり連れの者は村の百姓の家族だから見逃がせ」と毅然きぜんと言った。敵兵にその身を委ねて包囲の輪を解かせ、おれたちを逃がした。


 敵兵たちは、小梅の折編み笠を取り上げて顔を見る。そのに気高さ美しさに骨抜きにされたようだった。そして、良い獲物を得たと満足そうな笑みを浮かべる。だが、捕らえた若い北条の姫を見て、何人かの兵が下卑た顔をする。小梅によからぬ事をしようとしている。押し倒された小梅はまるで人形のようにされるがまま。声も上げずに敵兵を睨んだ。


「何をしている。竜ノ介、早く来い」

小梅が気になり、離れたところから見ていたおれを、矢助が低い声で呼ぶ。


 波利姫を中山助六郎の元に無事連れていくことが仕事だと、頭ではわかっていたが、おれにはできなかった。敵兵たちから今にも裸にかれて、はずかしめをうけようとしている小梅を助けなければ、おれは一生後悔すると思った。全身の力をふりしぼり、雄叫びを上げて敵兵たちに襲いかかる。槍を振り回して暴れた。不意をつかれた兵たちが退く。


「先に行け。おれも後から行く」

小梅に駆け寄り抱き起こす。


「余計なことを。あたしの命は波利姫様に捧げた。守らなくてもいい。早く逃げて」

「そうはいかない、早く行け。あとで追いかける」


小梅は風魔の女。山道を歩くのが速い。おれよりもずっと。裏高尾へ逃げるまで、おれがここで敵を食い止める。


「わかった。必ず追い着いて」

小梅の頬は涙で濡れていた。


 無我夢中で暴れ回った。何人、ほふったのか。おれのまわりにたくさんの敵兵が倒れていた。生臭い血の匂いにも慣れて、人では無く血に飢えた獣になっていた。しかし、己の体からも血が流れている。槍が短くなっていた。いつ折れたのか。穂先も取れている。刀傷が広がり、だんだん痛みだした。気が遠くなっていく。体に力が入らない。小梅たちに追いつくのは、もう無理だ。そうだ、中山勘解由のもとへ行こう。おれは中の丸へと向かう。


 中の丸では、味方の兵の姿はほとんど見えなかった。おれの目も見えなくなってきた。目の中に血がたれてくるせいか、すべてが赤く見えた。馬のいななきが聞こえる。たくましい腕の騎馬武者が山頂近くの曲輪を馬で駆けていく。特徴のある白髪交じりの縮れた長い髪と髭が兜からのぞく。勘解由様だ。馬上から見事な槍さばきで敵兵を次々となぎ倒していく。まさに鬼神のごとき、その姿。ああ、でも戦っているのは、お一人だけ。よく見ると、馬の脇腹には幾本もの矢が刺さっているではないか。それをもろともせずに曲輪を駆け回り、敵兵を後ろ足蹴利上げる。さすがに勘解由様の愛馬荒波。だが、味方は皆討ち死に。奥方さまほ何処に。勘解由様、もしや荒波の上で自刃じじんされるおつもりか。おれは、そこで目を閉じた。


 

 やはり、ここが一番落ち着く。陽当たりと風の通りがいい。あそこに赤い花が咲いている。丸くて髭がある不思議な形だ。直刃すぐはのような真っ直ぐな茎には葉が無いのだな。まるで火花のようだ。赤い花は下原刀しもはらとう鍛錬場の裏庭にも咲いていた。榧丸とよく猫のようにじゃれ合っていた庭。いつも、おれたちの近くに咲いていた花。この花のような赤い小袖を榧丸に着せたら、どんなに似合うだろうと思っていた。

 

 おや、人影が。御主殿正門の石段を下りてくる。ここは幽鬼の山城。忌み山となってしまった。人が来る所ではない。

 

 なんと、榧丸か。おれのかわいい弟が来た。緑の黒髪を切ったのか。凜々しく男らしくなった。懐に守り刀が入っているな。どうした、急に足を止めて。そんなおびえた顔をしてこっちを見ないでくれ。


「竜兄、ここにいたのか。この廃城の門番をしているんだな。こんな姿になって。苦しくはないのか」


榧丸の涼しげな目が涙でふくれ上がる。おれに涙を初めて見せた。常人には見えないはずだぞ。おまえには、おれの姿が見えるというのか。見られたくはなかった。


 

 天正十七年六月二十三日。無数の梅鉢紋の旗指物が風にはためく。中の丸は前田軍によって、今にも攻め落とされる。折れた槍を振り回しながら曲輪へ飛び込んだ。おれは馬上のお姿を見つけて、その名を叫ぶ。勘解由様は一瞬驚いた顔をされたが、あの厳しくも温かい目で見つめてうなずいて下さった。

 

 おれは大勢の前田の兵に取り押さえられて、首を切り落とされたのだ。敵の手に落ちてたまるかと、おれの生首は中の丸から火の玉となって空を飛んだのか。御主殿正門の石段を下りる途中、右側の石垣の角、下から三段目の隙間すきまに生首ははさまった。そして、石垣の石の一つに変化へんげした。だが、榧丸には石垣の石ではなく、おれの生首に見えるらしい。敵兵は御主殿正門とその下にある二階にかい門櫓もんやぐらに火を放った。


 

 榧丸は石段にうつ伏せに倒れこんだ。額を石に打ち付けるようにして、しばらく嗚咽おえつをくりかえしていたが、やがて顔を上げる。石垣の石となっちまったおれに近づき、何度も口づけた。顔を指で何度もなぞって、優しく撫でてくれた。そして、竹筒の水をおれの顔にばしゃりと何度もかける。心地良い。榧丸の赤い唇も細い手指も何もかも、おれを慰めるためにある。


「熱かったろうね。竜兄、守り刀をありがとう。大切にするよ」

そう言って、おれの前にぺたりと座り込み、また泣きじゃくる。涙に濡れた顔もかわいらしい。


 

 榧丸が涙をふき、石垣を見ると竜ノ介の生首は消えていた。そこには炎に焼かれた野面のづら積みの石垣があるだけだった。




(二)

 

 城を出てからも、つらくて道ばたの草や石に突っ伏して何度も泣いた。心を落ち着けようと、かたわらに咲いていた赤い曼珠まんじゅ沙華しゃげを一輪摘んだ。竜兄はこの花が好きだと言っていた。


何故なにゆえ、葉が無い」


花が咲く頃に葉は消える。葉があるときに花は咲かない。花と葉は一生会えない。おれと竜兄みたいだ。

 

 向こうから、編み笠に黒い小袖の若衆と、折編み笠の女が歩いて来る。慌てて涙を手の甲で拭う。女は背に赤子あかごを背負っている。赤子が急に激しく泣きだした。若衆が赤子を背から下ろすと、母親に抱かせる。女の腰に下がっている、色あせた赤の巾着袋が目についた。どこかで見たことのある巾着袋だ。


「くりから丸や、お腹がすいたのね。お乳をあげようね」


母親は道の傍らに座り込み、粗末な着物の襟を緩めた。つきたての餅のような形の定まらぬ重そうな乳房を片手に乗せて、赤子に差し出す。さぞ、乳の出が良いのだろう。果実のように、真っ黒に熟れた乳首に吸い付く。赤子の頬が丸餅に見える。榧丸は立ち止まり、その光景をぼんやりと見つめていた。


 立ち尽くしてこちらを見ている榧丸に気づいた二人は、編み笠越しから睨み返しててきた。何だ。なんて感じが悪い奴らだ。子どもや赤ん坊は好きだけど、あの二人は殺気立っていて怖い。関わらないほうがいいな。夫婦ではないようだが、旅の途中の姉と弟だろうか。曼珠沙華を手にした榧丸は、二度と目を合わせぬようにうつむき、足早に通り過ぎる。

 

 もう涙も枯れた。相模川を舟で下って座間へ帰ろう。おれは竜兄のための刀を打つことだけが夢だった。それは今も変わらない。そうだ、また八王子で刀を作ればいい。竜兄のそばで暮らしたい。下原刀工は八王子へ戻るべきだ。

 

 それにしても、ふっくらとした愛らしい赤子だった。くりから丸、倶利くり…伽羅から龍。あの赤子は男の子か。


「赤い蜘蛛くも、炎となって天に昇れ」

手にしていた曼珠沙華を、空に向かって放り投げた。

青い空に赤い花が浮かんで消えた。


 

 

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