第十八話 紅蓮の石
(一)
御主殿が燃えている。山の麓から黒い煙が
敵兵たちは、小梅の折編み笠を取り上げて顔を見る。そのに気高さ美しさに骨抜きにされたようだった。そして、良い獲物を得たと満足そうな笑みを浮かべる。だが、捕らえた若い北条の姫を見て、何人かの兵が下卑た顔をする。小梅によからぬ事をしようとしている。押し倒された小梅はまるで人形のようにされるがまま。声も上げずに敵兵を睨んだ。
「何をしている。竜ノ介、早く来い」
小梅が気になり、離れたところから見ていたおれを、矢助が低い声で呼ぶ。
波利姫を中山助六郎の元に無事連れていくことが仕事だと、頭ではわかっていたが、おれにはできなかった。敵兵たちから今にも裸に
「先に行け。おれも後から行く」
小梅に駆け寄り抱き起こす。
「余計なことを。あたしの命は波利姫様に捧げた。守らなくてもいい。早く逃げて」
「そうはいかない、早く行け。あとで追いかける」
小梅は風魔の女。山道を歩くのが速い。おれよりもずっと。裏高尾へ逃げるまで、おれがここで敵を食い止める。
「わかった。必ず追い着いて」
小梅の頬は涙で濡れていた。
無我夢中で暴れ回った。何人、
中の丸では、味方の兵の姿はほとんど見えなかった。おれの目も見えなくなってきた。目の中に血がたれてくるせいか、すべてが赤く見えた。馬のいななきが聞こえる。
やはり、ここが一番落ち着く。陽当たりと風の通りがいい。あそこに赤い花が咲いている。丸くて髭がある不思議な形だ。
おや、人影が。御主殿正門の石段を下りてくる。ここは幽鬼の山城。忌み山となってしまった。人が来る所ではない。
なんと、榧丸か。おれのかわいい弟が来た。緑の黒髪を切ったのか。凜々しく男らしくなった。懐に守り刀が入っているな。どうした、急に足を止めて。そんな
「竜兄、ここにいたのか。この廃城の門番をしているんだな。こんな姿になって。苦しくはないのか」
榧丸の涼しげな目が涙で
天正十七年六月二十三日。無数の梅鉢紋の旗指物が風にはためく。中の丸は前田軍によって、今にも攻め落とされる。折れた槍を振り回しながら曲輪へ飛び込んだ。おれは馬上のお姿を見つけて、その名を叫ぶ。勘解由様は一瞬驚いた顔をされたが、あの厳しくも温かい目で見つめて
おれは大勢の前田の兵に取り押さえられて、首を切り落とされたのだ。敵の手に落ちてたまるかと、おれの生首は中の丸から火の玉となって空を飛んだのか。御主殿正門の石段を下りる途中、右側の石垣の角、下から三段目の
榧丸は石段にうつ伏せに倒れこんだ。額を石に打ち付けるようにして、しばらく
「熱かったろうね。竜兄、守り刀をありがとう。大切にするよ」
そう言って、おれの前にぺたりと座り込み、また泣きじゃくる。涙に濡れた顔もかわいらしい。
榧丸が涙をふき、石垣を見ると竜ノ介の生首は消えていた。そこには炎に焼かれた
(二)
城を出てからも、つらくて道ばたの草や石に突っ伏して何度も泣いた。心を落ち着けようと、
「
花が咲く頃に葉は消える。葉があるときに花は咲かない。花と葉は一生会えない。おれと竜兄みたいだ。
向こうから、編み笠に黒い小袖の若衆と、折編み笠の女が歩いて来る。慌てて涙を手の甲で拭う。女は背に
「くりから丸や、お腹がすいたのね。お乳をあげようね」
母親は道の傍らに座り込み、粗末な着物の襟を緩めた。つきたての餅のような形の定まらぬ重そうな乳房を片手に乗せて、赤子に差し出す。さぞ、乳の出が良いのだろう。果実のように、真っ黒に熟れた乳首に吸い付く。赤子の頬が丸餅に見える。榧丸は立ち止まり、その光景をぼんやりと見つめていた。
立ち尽くしてこちらを見ている榧丸に気づいた二人は、編み笠越しから睨み返しててきた。何だ。なんて感じが悪い奴らだ。子どもや赤ん坊は好きだけど、あの二人は殺気立っていて怖い。関わらないほうがいいな。夫婦ではないようだが、旅の途中の姉と弟だろうか。曼珠沙華を手にした榧丸は、二度と目を合わせぬようにうつむき、足早に通り過ぎる。
もう涙も枯れた。相模川を舟で下って座間へ帰ろう。おれは竜兄のための刀を打つことだけが夢だった。それは今も変わらない。そうだ、また八王子で刀を作ればいい。竜兄のそばで暮らしたい。下原刀工は八王子へ戻るべきだ。
それにしても、ふっくらとした愛らしい赤子だった。くりから丸、
「赤い
手にしていた曼珠沙華を、空に向かって放り投げた。
青い空に赤い花が浮かんで消えた。
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