第十七話 廃城へ

「おねえちゃん。あれれ、おにいちゃんかな。このはしはまんなかが、くさっているから、きをつけて。おちてもあさい川だから、しなないけど、おちないほうがいいよ。ほら川のなかをみて」


 廃城となった八王子城に入ろうとする者はいない。激しい戦で城にいた二千五百もの人々がほふられた。敵兵だって、たくさん死んだ。だから皆、恐れて近寄らない。み山となっている。でも、どうしても入りたい。

 

 花籠沢に長い板を渡しただけの橋が架かっていた。かなりちている。でも、ここまできたら行くしかない。他に城へ入る道がわからないのだから仕方がない。橋の向こうで小さな男の子が呼んでいる。


 これぐらいの高さなら落ちても大丈夫だが、新しい小袖を着ているから、濡らしたくはない。父さんに内緒で夜明けに家を出て来た。初めての一人旅だ。腰には父さんがくれた打刀。数日前に腰まで伸びた長い髪を切って、それを売った。思ったよりも高く売れた。竜兄が綺麗だと褒めてくれた髪。買い取った商人も良い髪だと言う。おれは髪ぐらいしか取り柄がない。


 ふと川面かわもに目を落とすと、水の中に平べったくて、赤黒い小さい物が見える。赤い魚でもいるのかと思い、しゃがみ込んで川の中をのぞき込む。


「うわ、何だこれ、ひるだ。赤い蛭がたくさんいる。気味悪い。清らかな川のせせらぎに蛭がいるなんて妙だな」


恐る恐る、榧丸は板に足を掛ける。注意深く一歩一歩進む。板の橋はぎしぎしと音を立てたが、体が軽いせいか難なく渡りきる。


「おにいちゃん、ぶじにわたれたね。よかった。あかいひるをみたね。いくさのとき、このちかくのくるわでしんだ、ぶしたちのちしおがかたまって、ひるになった。なんぜんも、なんまんも、かぞええきれないほど、あかいひるがいるよ」


「血潮が蛭に変化したというのか」

榧丸は絶句した。もし川に落ちていたら、赤い蛭が群がってきてて、体中のすべての血を吸いつくされたに違いないと思い、ぞっとする。


 気を取り直して、ぼろぼろの着物を着た男の子に話しかけた。

「一人かい」

「うん、ともだちはもういない。みんな、いくさのときに、おしろにいたからころされた。あそぼうよ。おにいちゃんは、ぶしかな。おこしょうかな」

榧丸の脇差しを眺めながら言う。


「刀鍛冶だよ」

「ふううん、でも、かたなかじにはみえないね。みこさんみたい」

「まだ刀鍛冶になったばかりだからね。この辺の子かな。戦の後、八王子の村々には、たくさん人が戻ってきていると聞いたけど、そうなのかい」

「うん、よくわからないや。でも、おにいちゃんは、しっているよね。おしろには、はいっちゃいけないんだよ」

「知っているよ。でも中に入りたい。人をさがしているんだ」


 男の子が小さな右手を差し伸べた。皮膚が黒く引きつりごわごわとしてる。榧丸は驚き、手を引っ込めた。顔はきれいだが、この子は体中にひど火傷やけどを負っている。


「それなら、おしろのなかへ、いっしょにいこうよ。ほんとうはね、ずっと一人じゃこわくて入れなかった。二人ならだいじょうぶ」

強く手を捕まれた。


「おしろはひろいよ。おにいちゃんはどこへいきたい。あいたい人はどこにいるの。山のうえかな。山のうえのほんまるには、おどうがあって、いくさのときには、おぼうさんが二人ずっと、ほうじょうけのために、しょうりきがんをしていたけど、おどうごともえちゃったって」


「探している人は、どこにいるかわからないんだ。遠くから八王子まで歩いてきて疲れている。山を登るなら明日かな。今日はここで野宿する。食べ物は持っている。城内には井戸がいくつもあると聞いた。ところで名をなんという」


「こがね」

よく見ると黒目が大きく、かわいらしい顔をしている。六つぐらいだろうか。


「おにいちゃん、ここでのじゅくは、ぜったいだめだよ。あぶないよ。いきたいところがあるんだ。ごしゅでんへ、いきたい。ここからすぐだよ」

「わかった、そこへ行こうか」


細い道を行き、段差のある曲輪を通りぬけ、御主殿の通用門らしき所を入ると、広い野原が広がっていた。


「ここが、ごしゅでんのあったくるわだよ。きれいなにわと、おおきないけがあるんだよ」

こがねが嬉しそうに、飛び跳ねた。


 御主殿のあった曲輪だと。多くの身分の高い女人たちが、敵から辱められるのを恐れ、自刃して滝や川へ身を投げ命を落とした場所か。城山川は三日三晩、血に赤く染まったという噂を聞いた。


 二人は広く何も無い野原を行く。西側に奇岩が配されたひょうたん形の大きな池がある。水は深緑色によどんでいた。たくさんの怨念が暗い水面みなもから浮かび上がってくるのがわかる。池に近寄れば足を捕まれて引きずり込まれるに違いない。怨念が渦巻いている。


「おや、刀を差した若者が来た。たたってやる。呪ってやろう」

「我らの眠りを妨げるとは憎い。池に引きずりこんでやれ」

「何やら、ただの人ではないな。陰陽師おんみょうじ巫女みこか」

ふところに何か光る物を持っている。守り刀だ。それのせいで、怖くて近寄れぬ」


榧丸は強く、こがねの手を握る。

「あぶないからね、池に近寄ってはいけないよ」


悲しげな女人にょにんたちの悲鳴とすすり泣きがあたりに響く。

「痛い痛い、やめてー助けてー」

「着物を返して、乱暴しないでー」

「この子を殺さないでー」

「ぼうやを返してー」


 榧丸は恐ろしさのあまりに、こがねの手を放すと両耳を塞ぎ、目をつぶってうずくまった。どれだけそうしていたかわからない。おそるおそる耳を覆っていた手をはずして、目を開ける。こがねの姿がどこにも無い。


「こがね、どこだ」

まわりを見渡して、大声で叫んでみたが返事は無い。空を見上げると、透き通るような鳥のさえずりが聞こえるだけだった。誰もいない静かな野原に秋風が吹く。榧丸は立ち上がって歩き始める。


 

 八王子城が落城してから一年以上が過ぎた。戦で建物はすべて焼かれた。


「ここに氏照様と姫が暮らした御主殿と呼ばれた大きな館があったのか」


 草むらの中に、焼け落ちた館の残骸を見つけた。炭のように黒く焼かれた巨大な柱が長く横たわっている。その周囲のあちらこちらに、陶器のかけらが積み上げられていた。それらを使った大勢の人々の暮らしが忍ばれ、息づかいが感じられた。


「なんだろう。あそこに光っている物が見える」

草の間から、日に照らされてきらきらと光るかけらを手に取った。陽にかざすと、それは透きとおっていて、白い網目のような模様がある。


「何と、珍しい。これは溶けない氷。異国の陶器かもしれない」

源二郎に見せたいと思い、榧丸は懐に入れようとする。


「いけない、いけない。きっと、これは北条家の宝物に違いない。この地に留めておかねば。持って帰ったりしたら氏照様に恨まれる。」

そっと元の土の上に落いた。


 かさかさざわざわと野原に生き物の気配がする。足下あしもとを目を落とすと、草の間をたくさんの黒い蜘蛛がうごめいていた。気味が悪いから、草鞋ぞうりの裏で踏み潰してやれと思ったがよく見ると、どの蜘蛛もその背に小さな蜘蛛を乗せている。


「親子蜘蛛か」

踏み潰すのをやめる。


「おにいちゃん、ありがとう、かあちゃんにあえたよ」

こがねの声が聞こえた。


「こがね、よかったな」

このたくさんの親子蜘蛛は、御主殿に居た母親と子どもたちだったのか。


 こがねと手を繋いだ時、その手指の冷たさに驚いた。竜兄の指と同じぐらい冷たかった。父さんが言った通りだ。竜兄はやはり、もうこの世の者ではない。榧丸は悲しいけれど、泣くことができず立ち尽くした。


「おにいちゃんのあいたい人に、はやくあえるといいね」

遠くから、こがねの声が聞こえる。


 そういえば、竜兄は門番をしていると言った。この城のどこの門だろう。さっき通ってきた門には、いなかった。ここは御主殿で北条氏照様が暮らしていた場所。ということは、八王子城のなかで一番立派な門があったはずだ。御主殿の南か。榧丸は早足で歩き始める。

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