第5話
「……あの、係長」
「おう、なんだ」
三杯目のコーヒーが運ばれてきた後。美味しそうに口をつける係長に、私は意を決して聞いてみる。
「係長の趣味はゲームで、それも対戦だって言ってましたよね。それって相手がいるってことですよね」
腕を組んで、係長は深く頷いた。
お前の趣味も相手がいるのか、と問われて。私はある意味そうですと言葉を返す。
微妙なところだし、争っている訳ではもちろんないけれど。私の趣味に、相手というか「他の人たち」がいるのは確かなことだ。
「たとえばですけど。自分より強い相手がゴロゴロいて、全然勝てなくて、歯も全く立たなくて。ずっと負けが続いてばかりだったとして、それでも楽しいと思いますか?」
「楽しい訳ねぇよ。FPSは勝ってこそ、相手をキルしてこそ楽しいんだ。出会い頭で撃ち勝てたら気持ちいいし、遠距離からヘッショで確キル取れたら脳汁ドバーってヤツだ。けど負けるのは最悪だよな。キルレが1以下になるなんて、腹立つ以外の何ものでもねぇよ」
「いやキルとかヘッショとかはわかんないですけど。私の趣味は勝負ではなくて、ええと、なんて言うんでしょう。技術の見せ合い? でもそれは、点数とか明確な基準があるわけではなくて……」
はぁ? と言いたげな係長の表情。
そりゃそうだろうと思う。小説を書かない人に、小説を書く難しさはきっと理解できない。私が、係長のいう確キルとかキルレとかを理解できないのと同様に。
「よくわからねぇけど。つまり、お前が悩んでるのは、『自分の技術が他人よりも劣っている』ってことか?」
「そう、です。そうなんです。私の技術は、他人と比べたらまだまだで。でも明確な基準があるわけじゃなくて、それに技術がないのは本当で。それは自分が一番よくわかってて……」
「お前、見込みあるな」
「見込み?」
「オレがやってるゲームではな。自責傾向の強いヤツは伸びるって言われてんだ。要は、自分が弱いのは自分のせいだと思えるヤツは伸び代があんだよ。だが負けた時、回線の速度のせいにしたり武器のせいにしたりする、他責傾向の強いヤツは伸びねぇ」
「自分のせい……」
「なぜ負けたのか、それを分析すんだよ。原因を突き止めて次は勝てるよう改善していく。そしたら前の自分より強くなれる。お前の趣味がなんなのかは知らねぇが、うまくなるってどれもそういうもんだろう? そしてそれは仕事も一緒だ。原因を突き止めて改善する。うまくやるにはそれしかねぇんだよな」
仕事がうまく行かないのも。趣味の創作がうまく行かないのも。そして自分の人生が、うまく行かないのも。全部、原因は自分だ。
でも本当に、そう思っていただろうか。全部自分の責任だと、きちんと思えていただろうか。
人事部の時、仕事がうまく行かないのを上司のせいにしていなかったか。創作でも、自分の作品が読まれないのを他人のせいにしていなかったか。改めて考えてみると、自信がない。
「他人のせいにするのは楽だ。人間は易きに流れやすいからな。それは仕方のねぇことだけどよ。そこを踏ん張って自分のせいにして、改善していく。そしてその過程を楽しむ。それが人生を楽しくさせるコツなんじゃねぇのかと、オレは思うワケさ」
コーヒーを呷る係長。それに倣って、私も三杯目のコーヒーに口をつけた。さっきのコーヒーとは違って、重くて苦い。そしてずしりとしたパンチが効いていた。
でもその奥に、優しい香りが隠れている。それはそんなコーヒーだった。
「……さてと。ガラにもねぇこと言っちまったぜ。風も出てきて寒くなってきたし、今日は解散するか」
「あの、係長」
「どうした?」
「その……、今日はありがとうございました」
「オレはなんもしてねぇよ。まぁとにかくだ。お前はお前の趣味を全力で頑張れ。そしてまたそれが楽しくなってきたら、オレにお前の趣味を教えてくれよな。オレぁ多趣味だからな、新しい趣味を探すのも趣味なんだ。人生をより楽しむためにな」
「……頑張ってみます。もちろん仕事も」
「仕事なんか頑張る必要ねぇよ。給料分働いていればいいって言ったろ?」
「でも私は、自分に少しでも価値を……」
「ソーへー、次からその『でも』は禁止な。お前は自分を安く見積もり過ぎる。それは悪いクセだぞ」
でも、と言いそうになるのをなんとか堪える。係長にはそれが見え透いていたようで、クスリと小さく笑われた。
「あぁそうだ、最後にひとつ教えてやる。三杯目のコーヒーはな、ヴェトナムロブスタ・ワイニーハニーって名前なんだ」
「ベトナム……なんです?」
「ヴェトナムロブスタ・ワイニーハニー。それはロブスタ種って種類の豆でな、一般的に飲まれてるアラビカ種って豆よりは味が落ちるとされてんだ。さっきのカシ・シエロはアラビカ種。そのワイニーハニーは正直、カシ・シエロより苦くて重いだろ?」
「確かに、ちょっとだけ苦く感じました」
「ロブスタ種は、アラビカ種より価格が安い。でもそれは人間が勝手に付けた価値だ。実をつけるコーヒーは、自分が高いか安いかなんて考えねぇ。種子を残そうと頑張って生きてるだけだ。だからよ、ソーへー。自分には価値がないなんて、考えるのはもうやめろ。ロブスタ種にはロブスタ種のいいところがある。お前にはお前のいいところがあるようにな」
「私の、いいところ?」
「ある。間違いなくある。だから自信を持て、ソーへー。お前が、自分には価値がないと思っていても。ロブスタ種のコーヒーが好きな変わり者もいるんだぜ」
そう言った係長は、ゆるりと席を立って。そしてさらりと伝票を取ると、「そんじゃ、また月曜」と帰ろうとする。慌ててお金を出そうとすると、結構な勢いで断られた。
三十代独身の財力、なめんじゃねぇぞ、と笑いながら。
私の上司である春原係長は、本当によくわからない人だ。
でも。それでも係長は。どこまでもどこまでも、本当に優しい人なのは間違いない。
……言葉遣いはびっくりするくらい、悪いけれど。
──────────────
私はひとりになった後、月あかりが照らす線路沿いの道をただ歩いていた。
久しぶりに、小説を書きたい意欲が湧き上がっている。仕事がうまく行かなくて創作に対するモチベーションが下がっていたけれど、私はもう悩まない。仕事でも趣味でも、もう悩まないと決めたのだ。
どんなお話を書くのか、その構想はすぐに決まった。今日のこと、つまり係長とのコーヒー談義を書こう。ヤマもオチもないけれど、書きたいものを好きなように書こうと決めたのだ。別に誰にも評価されなくたっていい。自分が好きだから書く。理由はそれで充分だから。
スマホをポケットから取り出した私は。いつものテキストエディタを立ち上げて、「新規作成」をタップする。
流れるような手つきで、私はそのタイトルを打ち込んだ。
『珈琲は月の下で』
【終わり】
珈琲は月の下で 薮坂 @yabusaka
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